安乘の稚兒 伊良子清白
安乘の稚兒 伊良子清白
志摩の果安乘の小村
早手風岩をどももし
柳道木々を根こじて
虚空飛ぶ断れの細葉
水底の泥を逆上げ
かきにごす海の病
そゝり立つ波の大鋸
過げとこそ船をまつらめ
とある家に飯蒸かへり
男もあらず女も出で行きて
稚子ひとり小籠に座り
ほゝゑみて海に對へり
荒壁の小家一村
反響する心と心
稚子ひとり恐怖をしらず
ほゝゑみて海に對へり
いみじくも貴き景色
今もなほ胸にぞ跳る
少くして人と行きたる
志摩のはて安乘の小村
*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]
安乘(あのり)の稚兒(ちご) 伊良子清白
志摩(しま)の果(はて)安乘(あのり)の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩(いは)をどももし
柳道(やなぎみち)木々(きゞ)を根(ね)こじて
虚空(みそら)飛(と)ぶ断(ちぎ)れの細葉(ほそば)
水底(みなぞこ)の泥(どろ)を逆上(さかあ)げ
かきにごす海(うみ)の病(いたづき)
そゝり立(た)つ波(なみ)の大鋸(おほのこ)
過(よ)げとこそ船(ふね)をまつらめ
とある家(や)に飯(いひ)蒸(むせ)かへり
男(を)もあらず女(め)も出(い)で行(ゆ)きて
稚子(ちご)ひとり小籠(こかご)に座(すわ)り
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり
荒壁(あらかべ)の小家一村(こいへひとむら)
反響(こだま)する心(こゝろ)と心(こゝろ)
稚子(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり
いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)
今(いま)もなほ胸(むね)にぞ跳(をど)る
少(わか)くして人(ひと)と行(ゆ)きたる
志摩(しま)のはて安乘(あのり)の小村(こむら)
***
「孔雀船」からアンソロジーには必ず採られるのが冒頭の「漂泊」とこの詩であるが、30年前、この詩集を読んだ時に、やはりその映像印象の鮮烈さで、この「安乗の稚児」はすべての僕の詩歌の衝撃の頂点にあると言っても過言ではない。
僕はこの詩を読むと確かに訪れたことがない寒漁村安乗を訪れた青年清白になれる――
そして
僕はこの詩を読み終えた後、確かにこの無人の漁人の家の「稚子ひとり小籠に座り/ほゝゑみて海に對へ」る稚児である自分自身を見出すのだ――僕にははっきりと荒れすさぶ波浪が見える――にっこりと微笑んでいる「僕」が感じられる――
*
何をしてるんだだって? 授業もなし、午前中だけ山の代休をもらったんだ。これから風呂に入って、棒のようになった両足をほぐしにかかろう。