『千の風になって「日本の敗戦」』注
昨日、『千の風になって「日本の敗戦」』を私がリンクに張ったのは、僕の個人的な思いがあるからで、You Tube の映像著作権権侵害を肯定するものでは、全くない。
そもそも、この映像を貼り付けた君(誰だか勿論知らない)の『御遺体の映像がでるので心臓の弱い人は見ないでく ださい』という注意書きには、大いに失望した。僕は思う。であれば、この映像の中の君の言う「御遺体」の方にこそ「見せないで下さい」という権利があるのであって、それを、気持ちが悪くなるかも知れませんから「見ないで下さい」という権利(君は心遣いというのだろう)など、全くない。これは断定する。君がすべての点に於いて正しく確信犯なら、こんな注記は、附けるな!
……僕はともかく、あの音楽に載せて映されるあの映像の特攻のシーンを、片翼を失って旋回しながら海へと落下し行く、余りにも美しい線を描きながら水面に激突する飛行機に乗っていた飛行士の思いを考える……
このブログの遠い最初に「僕が教師を辞めたい理由」で書いた。僕の父は少年航空兵であった。あの堕ちてゆく戦闘機の中に、僕の父がいたのかもしれない。そうしてその時、僕は、いない、のだ。「たかが」それだけのことだ。僕にはしかし「されど」なのだ。僕は、性懲りもなく、今日も自分で張ったブログから、また、あの映像を見ている……そうして考える。「平和ボケ」という言葉はおぞましい言葉だ(僕は金輪際遣わない)。「平和ボケ」という命題は、『だから現実を認識して軍事力を強化せよ』という理屈に容易に我々を導く。そうではないはずなのに。僕は思う。戦後民主主義の中で、「犬死した人間」と評した戦争で死んでいった人々と、僕らは本当に、正面から胸を張って対話できるのか? そもそも「犬死」などあるのだろうか? いや、それどころか僕らは今、上質のドッグフードを与えられた「犬のように生きてはいないか」!?