柴田昌平「ひめゆり」についての追記 終章
大丈夫だ。これで終わりにする。
二人の違った場所の別な証言者。そこで共通する、言葉。
追い詰められた南部の海岸で、自決のために複数の少女たちが集まり、手榴弾を掲げてピンを弾き飛ばそうとした――
もう一度 お母さんに逢って 死にたい!――
これが彼らを救ったことに、僕らは単純な真理を感じるべきだ。
僕らを救うのは「父」ではない――
「母」である――
父権的男性は所詮勝つか殺すか負けるか殺されるかのゲームに没頭する愚劣な輩である。何としても性染色体の奇形によって生まれた鬼っ子だから。
母性が人類を確かに救うのだ――
「女」のみが人類を救うのだ――
如何にも、たかが陳腐な、しかし、されどまことの言葉では、ないか――
「如何にも不審なことが、逆説的な本当であ」ることの証しである。