鷄肋集 増田晃
壹
柘榴をとりてわがうたひたる歌ひとつ、「おお神よ、かく柘榴の自(みずか)ら割りてかゞやきいづるは、御身がうるはしの業(わざ)のあらはれなり。御身は石塊ともおぼしき堅きものに、かへりてうるはしき欲念をあたへたまふ。」
貳
鑷子(けぬき)をとりてわが悔みたる、「神よ、たとへ世のひとすべてわれを拒むも、もし鑷子もて鬚ぬくをりに わが屈托を得ぬき玉はば…」
[やぶちゃん注:この最後の部分の「得」は動詞ではなく、上代に動詞「得」の連用形から派生した副詞の「え」で、首尾よく~できる、という可能を表わす。従って本来ならば「え」と平仮名表記すべきところである。]
參
薔薇のかをりをうたふわが歌、「薔薇よ、薔薇よ、汝(な)がかをりはわが愛しきの くちに醸(か)めるわづかの酒を、身震ひつ羞らひしつつ くち移さして飮ましむごとし。」
肆
飴をなめてわがうたひたる一息の歌、「神よ、われにあらゆる蘇生をきたらしめたまへ、わが渇きをば生ける水の井より 愛するものの撓む脣より醫さしめたまへ。神よ、われを生かさしめたまへ、牧野の牛とともに水を吸ひ、獅子らとともにおとがひをば濡らさしめたまへ。」
[やぶちゃん注:「撓む」は「撓(たは)む」、「脣」は「くちびる」であるが「くち」と読ませているかもしれない。「醫さし」は「醫(いや)さし」と読んでいるのであろう。]
伍
椿を見つつわがうたへる一息の歌、「汝は生ける炬火(たいまつ)なり。神はあめなる聖き火より盡きざるのあぶらを汝(な)にそそぎぬ。」
陸
第一の詩章をなさんとしてわが祈るいのり、「われに第一の詩章をなさしめたまへ。われをして天平の光明のみ后(きさき)をば頌さしめ、春の宴げに燦めく宵をかなしましめたまへ。若草のべに春山の霞み壯夫(をとこ)をして、藤を咲かしむの歌をうたはさしめ、愛すべき口ひろき邪鬼をしては、一ふしのセレナアドをも聞かさしめたまへ。われらのいにしへの相聞の歌をば、ふたゝびわが口よりなさしめたまへ。」
[やぶちゃん注:「燦めく」は「燦(きら)めく」。]
漆
あはれ必ずや猪(しし)きたりわれを刺さむ。伏すむくろよりくれないの花びら散らむ。あねもねよ、あねもねよ、汝(なれ)こそあはれわが願ふたゞ一つの喜びはた哀しみなれば………
捌
第二の詩章をなさんとしてわが祈るいのり、「われに第二の詩章をなさしめたまへ。われをして緑の蘆をきらしめ、笛吹きて姫君をたゝへまつる歌をなさしめたまへ。月のほてりに臈たけたるその面(おも)ざしを仰見しつつ 幸(さち)うすきわが來し方をうたはんとするその果敢(はかな)さよ。また百鬼つどふ夜々(よるよる)には、われをしてかれを護るうたをなさしめたまへ。有明しのかげに忍ぶ物怪(もののけ)には、はやく護法童子きたらしめたまへ。われらのいにしへの相聞のうたをば ふたゝびわが口よりなさしめたまへ。」
[やぶちゃん注:「有明し」は「有明(ありあか)し」で、夜遅くまで点している行灯。]
玖
目刺をとりてうたへる。「神よ、かく目刺の眼の青く澄めるは、いたく賤しめられ日に干さるるも、なほ大海の荒々しきを忘れざるがゆゑなり。わが魂けふ虐げられ踏みしだかれて、なほ野牛の群のかけのぼりし 緑の草原の白桃の虹を忘れず。」
[やぶちゃん注:本詩は、私には芥川龍之介の「木がらしや目刺にのこる海のいろ」という大正十(1921)年発表の句を強く意識させる。
・「白桃の虹」は不明。ただこれは明らかに地名思われる。「白桃」を含む地名は和歌山県海草郡美里町の「白桃峠」(しらももとうげ)を見出したに過ぎない。識者のご教授を乞う。前掲の「桃の樹のうたへる」にも現れる。該当注も参照のこと。]
拾
神よこよひ、われは御身が水沫(みなわ)なり、砂まきおこし靜かにふきいで、己(おの)があはれさへ知らざる身なり………
拾壹
神は長き梭(をさ)もてアラクネを打ち、蜘蛛となし永らはしめぬ。われ今宵憤(いきどほ)りあり、にごれる村肝をおさへかねつつ、自ら縊るをさへ許さざりし 神が呪ひをうるはしと思へり。
[やぶちゃん注:ギリシア神話のアテナとアラクネの話をモチーフとする。
・「梭」のルビは厳密には誤りである。これは「ひ」もしくは「さ」と読んで、機織で横糸を巻き収めた管を入れる船形木製の道具で、縦糸の間を左右に潜らせて横糸を配するシャトルを言う。対して「をさ=おさ」は「筬」で、竹または金属の薄片を櫛の歯のように並べて木製の枠をつけたもので、縦糸を整え、横糸を打ち込む道具。但し、この辺の呼称は増田が誤まったように、一般には混同・誤解されて用いられていたようである。
・「村肝」は「群肝(むらぎも)」。
・「縊る」は「縊(くびくく)る」。ギリシア神話ではアラクネは縊死し、アテナはトリカブトの汁を用いて彼女を蜘蛛に転生させる。]
拾貳
鷄の肋骨の一筋を洗ひてうたふ、「神よ、人われを賤みて踏みにぢれども、われそを苦しみとせざれば、何の甲斐のあらむや。たとへけふ冬の泥濘にまみれて行方わかずとも、わが夢は霧を瀘(こ)す虹なればなり。」
[やぶちゃん注:「瀘」は誤字(これは中国の河川名を示すのみ)。「濾」が正しい。なお、以上の「壹」から「拾貳」の標題は、底本ではすべてポイント落ち。]