尾崎放哉 鉦たたき
鉦たたき 尾崎放哉
私がこの島に來たのは未だ八月の半ば頃でありましたので、例の井師の句のなかにある「氷水でお別れ」をして京都を十時半の夜行でズーとやつて來たのです。ですから非常に暑くて、浴衣一枚すらも身體につけて居られない位でした、島は到る處これ蝉聲嘒嘒。しかし季節といふものは爭はれないもので、それからだんだんと虫は啼き出す、月の色は冴えて來る、朝晩の風は白くなつて來ると云ふわけで、庵も追々と、正に秋の南郷庵らしくなつて參りましたのです。
一體、庵のぐるりの庭で、草花とでも云へるものは、それは無暗と生えて居る實生の鷄頭、美しい葉鷄頭が二本、未だ咲きませぬが、之も十數株の菊、それと、白の一重の木槿が二本……裏と表とに一本宛あります。二本共高さ三四尺位で、各々十數個の花をつけて居ります、そして、朝風に開き、夕靄に蕾んで、長い間私をなぐさめてくれて居ります。まあこれ位なものでありませう。あとは全部雜草、殊に西側山よりの方は、名も知れぬ色々の草が一面に山へかけて生ひ繁つて居ります。然し、よく注意して見ると、これ等雜草の中にもホチホチ小さな空色の花が無數に咲いて居ります、島の人は之を、かまぐさ、とか、とりぐさ、とか呼んで居ります。丁度小鳥の頭のやうな恰好をして居るからださうです。紺碧の空色の小さい花びらをたつた二まい宛開いたまんま、數知れず、默りこくつて咲いて居ます。私だちも草花であります、よく見て下さい――と云つた風に。
かう云ふ有樣ですから、追々と涼しくなつて來るといつしよに、所謂、虫聲喞々。あたりがごく靜かですから晝間でも啼いて居ます、雨のしとしと降る日でも啼いて居ります。ですから夜分になつて一層あたりがしんかんとして來ると、それは賑かなことであります。私は朝早く起きることが好きでありました、五時には毎朝起きて居りますし、どうかすると、四時頃、まだ暗いうちから起き出して來て、例の一本の柱によりかゝつて、朝がだんだんと明けて來るのを喜んで見て居るのであります。さう云つた風ですから、夜寢るのは自然早いのです。暮れて來ると直ぐに蚊帳を吊つて床の中には入つてしまひます、殆んど今迄ランプをつけた事が無い、これは一つは、私の大敵である蚊群を恐れる事にもよるのですけれども、まづ、暗くなれば、蚊帳のなかにはいつて居るのが原則であります、そして布團の上で、ボンヤリして居たり、腹をへらしたりして居ります。ですから自然、夜は虫鳴く聲のなかに浸り込んで聞くともなしに聞いて居るときが多いのであります。ヂツとして聞いて居ますと、それは色々樣々な虫が鳴きます、遠くからも、近くからも、上からも、下からも、或は風の音の如く、又波の叫びの如く――。その中に一人で横になつて居るのでありますから、まるで、野原の草のなかにでも寢てゐるやうな氣持がするのであります、斯樣にして一人安らかな眠のなかに、いつとは無しに落ち込んで行くのであります。其時なのです、フト鉦叩きがないてるのを聞き出したのは――。
鉦叩きと云ふ虫の名は古くから知つて居ますが、其姿は實の處私は未だ見た事がないのです、どの位の大きさで、どんな色合をして、どんな恰好をして居るのか、チツトも知りもしない癖で居て、其のなく聲を知つてるだけで、心を牽かれるのであります。此の鉦叩きといふ虫のことについては、かつて、小泉八雲氏が、なんかに書いて居られたやうに思ふのですが、只今、チツトも記憶して居りません。只、同氏が、大變この虫の啼く聲を賞揚して居られたと云ふ事は決して間違ひありません。東京の郊外にも――澁谷邊にも――ちよい/\居るのですから、御承知の方も多いであらうと思はれますが、あの、カーン、カーン、カーンと云ふ啼き聲が、何とも云ふに云はれない淋しい氣持をひき起してくれるのです。それは他の虫等のやうに、其聲には、色もなければ、艷もない、勿論、力も無いのです、それで居てこの虫がなきますと、他のたくさんの虫の聲々と少しも混雜することなしに、只、カーン、カーン、カーン………如何にも淋しい、如何にも力の無い聲で、それで居て、それを聞く人の胸には何ものか非常にこたへるあるものを持つて居るのです。そのカーン、カーンと云ふ聲は、大抵十五六遍から、二十二三遍位くり返すやうです、中には、八十遍以上も啼いたのを數へた‥ 寢ながら數へた事がありましたが、まあこんなのは例外です、そして此虫は、一ケ所に決してたくさんは居らぬやうであります、大抵多いときで三疋か四疋位、時にはたつた一疋でないて居る揚合――多くの虫等の中に交つて――を幾度も知つて居るのであります。
瞑目してヂツと聞いて居りますと、この、カーン、カーン、カーンと云ふ聲は、どうしても此の地上のものとは思はれません。どう考へて見ても、この聲は、地の底、四五尺の處から響いて來るやうにきこえます、そして、カーン、カーン、如何にも鉦を叩いて靜かに讀經でもしてゐるやうに思はれるのであります。これは決して虫では無い、虫の聲では無い、……坊主、しかし、ごく小さい豆人形のやうな小坊主が、まつ黒い衣をきて、たつた一人、靜かに、……地の底で鉦を叩いて居る、其の聲なのだ、何の呪詛か、何の因果か、どうしても一生地の底から上には出る事が出來ないやうに運命づけられた小坊主が、たつた一人、靜かに、… 鉦を叩いて居る、一年のうちで只此の秋の季節だけを、佛から許された法悦として、誰に聞かせるのでもなく、自分が聞いて居るわけでも無く、只、カーン、カーン、カーン、……死んで居るのか、生きて居るのか、それすらもよく解らない…‥只而し、秋の空のやうに青く澄み切つた小さな眼を持つて居る小坊主… 私には、どう考へなほして見ても、かうとしか思はれないのであります。
其の私の好きな、虫のなかで一番好きな鉦叩きが、この庵の、この雜草のなかに居たのであります。私は最初その聲を聞きつけたときに、ハツと思ひました、あゝ、居てくれたか、居てくれたのか‥‥それもこの頃では秋益々闌けて、朝晩の風は冷え性の私に寒いくらゐ、時折、夜中の枕に聞こえて來るその聲も、これ恐らくは夢でありませう。
*
夕刻、アリスと散歩していた叢で、カネタタキの声を存分に聴いた。
思い出したのだ。
僕の好きな放哉のこの小品。
正字正仮名で公開する。既にほかにある? いや、正字は、ないと思うね。本作は、過去に刊行された余程古い放哉全集及び関連書でも、実は新字なのだ。
本テクストは底本として、現存数冊と言われる初版の「大空」を元にしている。勿論、本物を僕が持っている訳がない。1983年にほるぷ社が復刻したものを用いた。セット販売の詩歌文学館の紫陽花セット、薄給のボーナスをつぎ込んで買ったこれが、今、初めて真に役に立った。
句読点も周知のものとは大分違う。おまけに鉦たたき声は「チーン」(彌生書房版全集)ではなく、「カーン」である。傍点「丶」は下線に換えた。リーダーは1・2・3点及び欠落が存在するが、ママとした。最新の筑摩書房版全集は、新字採用であり、僕のポリシーに於いて視野の埒外にある上に、「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版)」の冒頭注で述べたような、胡散臭さ(それはまさに嫌いな桑原武夫が「第二芸術」で述べた如き中世ギルド的腐臭である)ゆえに、全く校合していない。
僕は卒論でこれをフロイドのタナトス説と結びつけて書いた。そんな稚拙なことは、しかし、どうでもいい――
放哉の誰にも結びつこうとしない意固地な感性に、僕はこの年になって、やっと、結びつけた気がしたのだ、あの今夕の、あのカネタタキの声を聴いて――