桃の樹のうたへる 増田晃
桃の樹のうたへる 増田晃
八千年の昔 私はまだ
道のべのたおやかな桃の樹にすぎなかつた。………
とある日 比良坂のかなたより
時ならぬ喚聲のあがりくるを聞いた。
かなた咫尺も辨ぜぬ常世の闇のなかより
轟然たる稻妻が八百折に折れつつ
蛇のごと天に走りあがり谺するを聞いた。
その閃きのあひだに 走る大森林のごとく
見た事もない形相の軍が蒼白に現れる。
あたりの草木は逃れんとして髪を振亂し
大地を掃きつつしきりに身悶えて泣きおびえた。
私は多くの黄金(きん)より重い桃子をかかへ、
神に祈りこの鶸なす若枝をさしのべた。………
しかしその時汚れた見すぼらしい小男が
息も切れぎれに何度も轉んで膝をすりむぎ
私のもとに走りすがり夢中に實を捩ぎとり
迫りくる黄泉の兵らに恐ろしい力で投げ始めた。
一町と離れぬところで先鋒がそれにたぢろぎ
互いに仆しあひ頭蓋を割られて逃げるのを私は見た。
かの雷神には己の大いなる落雷よりも
赤と緑に熟(う)れたこの小さな桃子がこはかつたのか。………
八千年の昔 私はまだ
道のべのたをやかな桃の樹にすぎなかつた。………
その男は彈息抑へきれず歡喜し
踊り上つて泣狂ひながら私を抱いた。
「助かつたぞ、みんなおまへのお蔭だぞ、
熟(う)れたみづ/\しい實の唯一つのなかにも
あの黄泉(よみ)の全軍より勁い力があるぞ。
もし私の子孫が危く死にゆかんとする時は
その蜜になまめく一つの實で助けてくれ。
飢餓にくるしみ 親しき友に背かれ
子を失ひ妻に去られ希みなき日あらば、
微風が孕んだ一つの實で助けてやつてくれ。
けふこそおまへを意富加牟豆美(おほかみづみ)命と名づけ
蘇生の神となし大地に祝さう。」………
その男は語り乍ら見る見る中に大きくなり、
衣の穢れは落ちてざらめ雪となり晃めき初(そ)め、
その帶はかはつて白桃の虹となり朱の羞らひ、
その髪は山をゆるくつたひくる緑の露のごとく、
その炯々たる眼光は鳥刺に放つ矢のごとく、
そのたくましき腕(かひな)は花の蕋に濡れて大空にうごき、
全身からは白金の日光したゝりて雲つく大祖伊邪那岐命(おほおやいざなぎのみこと)となり
のつしのつしと歩きながら立去り玉ふた。………
[やぶちゃん注:本詩は「古事記」に現れるイサナキの呪的逃走神話のエンディング部分をモチーフとする。但し、最終連はイサナキの日向での禊シーンを用いながら、自由に構成したもののように見受けられる。
・「比良坂」は黄泉津良坂(ヨモツヒラサカ)。黄泉の国と現世を繋ぐ坂で、出雲国の伊賦夜(いふや)坂とする。現在の島根県八束群東出雲町揖屋。
・「八百折」は「やほをれ」。幾重にも折れ曲がったの意。
・「軍」は「つはもの」か「いさ」か「むれ」と読むか。音読の感触からいうと「むれ」が良いか。イサナミが率いてきたヨモツシコメ・イカヅチ等、黄泉の国の軍団。
・「鶸」は「ひわ」で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科ヒワ族Cardueliniの鳥の総称。カナリアやカワラヒワ、イスカ、ウソ等を含む。一般に狭義ではマヒワを指している。
・「汚れた見すぼらしい小男」はイサナキ。
・「すりむぎ」はママ。
・「捩ぎとり」は「(も)ぎとり」と読ませているのであろうが、「捩」は「捩(ねじ)る・(よじ)る・(もじ)る」であって、「もぎとり」ならば「捥ぎとり」が正しい。
・「仆しあひ」は「仆(たふ)しあひ」と読ませて、「倒し合う」の意であろう。音読みして「仆(ふ)しあひ」と読む可能性もあるか。なお、「仆」には「仆死」(ふし)のように「死ぬ・滅ぶ」の意味があるが、続く「頭蓋を割られて逃げる」には続かない。
・「雷神」は「らいじん」とも「いかづち」とも。「古事記」の本文に即すならば、後者であろうが、私は素直に前者で良いと感じている。イサナキの身に纏わるイサナキの体が産んだ八体の雷神(いかづちがみ)を言う。
・「桃子」は「もものみ」か「たうし」であるが、前者を取りたい。
・「勁い」は「勁(つよ)い」。
・「希み」は「希(のぞ)み」。
・「微風」は「そよかぜ」と読ませるのであろう。
・「意富加牟豆美命」はオホカムズミノミコトで、「大神の実」の意。
・「晃めき」は「晃(きら)めき」。増田の名でもある。]