まはれ右
尾形亀之助の「詩集 色ガラスの街」――その献辞。
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此の一巻を父と母とに捧ぐ
そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです
で 今私はここで小学生の頃 まはれ右を間違へたときのことを再び思ひ出します
[やぶちゃん注:以下、その「序の一 りんてん機とアルコポン」の末尾。傍点「丶」を下線に代えた。]
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――僕も、いつも人々が知っている、知っていると思っている「右」とは何か、それが、分からなかったのだ――いや、今もって分からない――いや、今もって分からないことを、僕は幸せだとさえ思っている――
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或夜の感想
眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。 (昭和改元の第二日)
[やぶちゃん注:芥川龍之介「侏儒の言葉」終章。]
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僕は眠りを死よりも愉快だとは思わない。眠りも死も、現実を逃避する目的性を前提とする限りに於いて愉快ではありえない。容易であるかどうかは、従って無化される――では、どちらもが真に愉快であるためには――それには、現実を美事、破壊するに若くは、ない。破壊するに足る、現実であれば、という条件付きで――
では、お休み――