碑銘三章 増田晃
碑銘三章 増田晃
○自爆三勇士の碑銘
日の御(み)いくさが進むべき路ひらかんと
自らを爆せしそのかみの勇士らここに眠る。
櫨こぼる久留米に産れ、仆れて神となりき。
[やぶちゃん注:「自爆三勇士」は上海事変中の昭和7(1932)年2月、中国軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地鉄条網に対し、点火した破壊筒をもって突入し、自らも爆死した独立工兵第十八大隊(久留米)の三名の一等兵を指す。「肉弾三勇士」とも。なお、以下、これを含む三篇の「○」を附した題は、すべて底本ではポイント落ち。
・「櫨」は「はぜ」と読み、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキを指す。日本には、その果実から木蝋(もくろう)を採取する目的で江戸期に琉球から持ち込まれた。秋に直径5~15㎜の扁平な球形の果実が熟す。]
○行方わかぬ戰死者の碑銘
行人よ、心してふるさとの人人に傳へよ。
わが雄々しきいくさ跡には彼岸花朱(あか)く咲きしも、
むくろは掘割(クリーク)の水に奪はれ神となれば、
つひに再びふるさとの門を見ることなし。
[やぶちゃん注:昭和18(1943)年、河北省承徳市隆化県石灰窯にて戦死した28歳の増田晃の遺骨がどうなったか、私は知らない。]
○いまだ少年なる兵士らのための碑銘
道ゆく人よ、未(いま)だ妻もなきこの若さにして
勇み仆れし神々のために泪せよ。
二百十日の風やみて夕空晴るるも
あやまちて折りし椎の若木はかへらず。
[やぶちゃん注:文句なしに、言うべきことを言ったオード!]