吉田玉男一周忌追善 菅原伝授手習鑑
昨夜、吉田玉男一周忌追善「菅原伝授手習鑑」を見た。
初段二段の四時間半、妻との遲き晝飯に、駒形どぜうに丸四枚、麥酒一に枡酒一、法界坊のご鑑賞、加茂の堤は、人形も、三味も乘れぬ其の初め、若手太夫は早とちり、されど續ける筆法の、傳授を受けし築地下、名だたる杖で折檻し、東天紅の時の聲、後の総ては丞相の、名殘の段へ淀みなく、畏れし酒氣の睡魔なく、嬉しきことの其の内に、玉男なきこそ哀しけれ。
玉男なき今回、僕は初めて太夫と三味線に耳傾ける余裕が持てた。それはそれ、文楽の本来の醍醐味とは言われようものの、過去において、玉男という人形に霊を与え得る稀有の男の芝居にのみ、僕の関心は働き続けてきた。その「霊なき」ことの欠落は、自ずと耳目(厳密には玄人衆のように「目」を太夫に向けることは僕はない。金輪際ないと言ってよい。それは舞台の人形への、人形遣いではなく人形への、唯一絶対の礼儀であると心得ている。また謡と三味とは、飽くまで聴覚的効果に限るものでなくてはならぬと僕は勝手に思っているのである)を馬手へ向かわせた。
この度は、「筆法伝授の段」の切、豊竹嶋大夫と竹澤宗助の組み合わせにとどめを刺す。次段の「築地の段」は僕の好みで、思わず落涙しかけたが、それはこの前段の「切」のテンションの高揚と抑制の絶妙なバランスあってのことである。
そうして「東天紅の段」終曲……夫に殺害された立田の前の沈む池に浮かぶ、青白い人魂……僕は、玉男が来た、と、はっと思った。
「丞相の名残の段」では、吉田簑助の奴宅内の、下手の股火鉢ならぬ股提灯の諧謔が、すっかり他役どころか、本来ならば大事な主展開の上手の演技そのものをも慮外して食らい尽くしてしまった。しかし、これでよい、と僕はほくそ笑んだ。これは「吉田玉男一周忌追善」である。僕は、そこに確かに、玉男へのオードを奏でる簑助を見た。遠い昔、人形遣いになることを夢見て、歯を食い縛った苦しい黒子姿の、あの土門拳が撮った袖幕の、少年の簑助が、そこにはいた。
心からの追悼は、少年にのみ許される。いや、少年にのみ、出来る――
昨日の簑助は、確かに美事に少年だった――