あなたが西部劇に出るとしたらバトン
今日の退屈な通勤の途上
バトンを創ってみたくなった
「あなたが西部劇に出るとしたらバトン」
僕は足の悪いホンキトンクのしがない奏者♪
ラグタイムを演奏しながら♪
酔っ払ったガンマンの銃撃戦の中で
あっと言う間に 流れ弾に当たって
吹き出す脳漿♪ 呆けた面であの世行き♪……
“Trouble in Mind”♪ いいね♪
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今日の退屈な通勤の途上
バトンを創ってみたくなった
「あなたが西部劇に出るとしたらバトン」
僕は足の悪いホンキトンクのしがない奏者♪
ラグタイムを演奏しながら♪
酔っ払ったガンマンの銃撃戦の中で
あっと言う間に 流れ弾に当たって
吹き出す脳漿♪ 呆けた面であの世行き♪……
“Trouble in Mind”♪ いいね♪
僕は秋の匂ひを感じて浮浮してゐる
それは少しだけ骨壺の匂ひに似てゐる
僕が樂しいと想つた時 それを僕の左右の袂に入れて その中でそれが蟲の音のやうに鳴らす微かな聲に 僕は僕のささやかな生をただ感ずるが好い
僕が哀しいと想つた時 それを僕の左右の肺に入れて その中でそれが鐘の音のやうに鳴らす嚴かな響に 僕は僕のなしくずしの死をただ感ずるが好い
二月に金時山で富士を見た。あの富士が生涯の最良の富士だと思ったのは偽りではない(そこには井上英作氏の魂を送る僕の特別の思いがあったことも事実である)。が、今日、湯治に行った戸田(へだ)で見た富士は、それを修正せざるを得ない素晴らしさで僕に迫った。富士にはある距離が必要なのである。その裾野が綺麗にのびてゆく左右の広がりがあってこそ富士の富士たる所以であり、それを体感するには西伊豆に体を置く必要がある、と独りごちた。それは確かに、肉眼の黄金分割だったのである――
……僕は、今日、その美事な富士を前に、何度も何度も、つげ義春の「長八の宿」の、あのジッさんの「デーン!」を、繰り返し演じていたのである……それほどに、素晴らしかった(この僕の気持ちはあの漫画を読んだ人にしか、多分、分からない)……
増田晃詩集「白鳥」のテクスト化の際のミスについて、知人より細かな正誤表をメールで頂き、先ほど補正した。語句の脱落も相当箇所あるので、現在のもので再保存をされたい。これでほぼ確定版と言えるものとなったと思う。奇特な友よ、ありがとう! 心より感謝する。
この「トケイソウ」という詩を読むがいい。文芸マスターベーションする君や僕は、読まねばならぬ。そうしてそれでも批評を出来るというのであれば、あんたは鉄気(かなっけ)臭い愚劣な非芸術者であると僕は確実に指弾する。いや、あんたのこの詩への批評ぐらいだったら、とうに愚劣な僕だって理性的には浮かべてるんだ! しかし、分かるか? そういうお前も僕も、文学というものの真の自由が分かっていないということだ!――著作権を考えたが、ニュースである以上、リンクが消える可能性があるので、丸ごと以下にコピーする。ちなみに言うが、高塚かず子氏の「表現に過不足がなく、深い精神性がある。言葉の感覚は美しいが甘くなく、十一歳と思えない鋭さがある。よく成長した精神からつむぎ出されており」は、すべて愚劣な謂いである。「リアリティーがあり感動した」で充分である(それではH氏賞(村上昭夫氏がこの評者と同列に並んでいることすら、この評言では僕には「哀しい限り」と添えおく)得た、世にも稀な存在としての「詩人」、としては不足なんだろうがね)。いや、それ以外には、言えぬ(投稿原詩を見たわけではないが「/」をすべて分かち書きに変え、題名の前後にある< >を恣意的に外した)。
*
佐世保の小6女児同級生殺害
事件を詩に 伊東静雄賞佳作に大久保小・石田君
【佐世保】小六女児事件が起きた佐世保市立大久保小の六年生、石田典士(のりひと)君(11)=園田町=が、事件に触発されて書いた詩で一日、優れた現代詩を選彰する第十五回伊東静雄賞の佳作に選ばれた。未成年での佳作以上は石田君だけで、事件で深い傷を負った心を鋭い感性で表現し高く評価された。
作品名は「トケイソウ」。形が時計の文字盤に見える花から題材を得た。石田君は「低学年ごろ通学路に咲いていたが最近あまり見なくなったトケイソウへの思いに、何も悪くないのに突然命を奪われた御手洗怜美(さとみ)さんや事件への疑問、同級生の戸惑いを重ねた」と言う。
事件後、石田君は思い悩んで体調を崩し、眠れない夜は詩を書くことで心を落ち着かせた。二年連続で同賞の佳作に選ばれ「詩は満足して出した作品ではなく、何度も書き直した。これからも続けていきたい」と話している。
予選審査員で詩の芥川賞と呼ばれるH氏賞受賞者の詩人、高塚かず子さん=大村市=は「表現に過不足がなく、深い精神性がある。言葉の感覚は美しいが甘くなく、十一歳と思えない鋭さがある。よく成長した精神からつむぎ出されており、リアリティーがあり感動した」と話した。
同賞は諫早市出身の浪漫派詩人、伊東静雄(一九〇六―五三年)をしのんで実施。今回は国内外から五百六十五編の応募があった。予選で五十編を選び、その中から一編が伊東賞に決まり、残り四十九編が佳作に選ばれた。
トケイソウ
きみどり色の飛びこみ台に立つ
真夏の影色の三本の太い針
正しくゴールを知る方位磁石のように
鮮やかに 過去・現在・未来をさし示す
ろうの様な蓮の形のガクに浮かんでいる
紫の細い線の海の白い糸は
何色にも染まらなくて
いつも 初めて会ったような気にさせる
上り坂の続く通学路
ちょっぴり重い気持ちとランドセルを
ひょいと直すのは
白々としたコンクリート駐車場の金網に
トケイソウが咲いている いつもの家の前
そこを過ぎれば校門が待っている
まだ開き始めたばかりの彼女の時間
同じように続くはずだった 普通の毎日
見えない凶暴な磁力で壊された機械よりも
さらに理不尽に閉じられた彼女の未来
「受難」を意味するトケイソウ
なぜ、彼女でなければならなかったのか
いつまでも出ない答えの前に
ぼく達の心の針も 一瞬で消えさって
どこへ向かえばいいのか 立ちすくむ
2004年11月2日長崎新聞掲載
戀の墓碑銘 佐藤春夫
ここは須臾にして消えし
あやしき鬼火なる戀 ひとつ眠る
愛慾の赤き經帷子につつまれて
重き自嘲の墓石の下に
*
・須臾(しゆゆ)
・經帷子(きやうかたびら)
・墓石(はかいし)
**
知人の贈れるメールより。佐藤春夫が僕のために遠い昔に創った詩があったとは、な……
沖繩の集団自決に関わる問題に於いて文部科学大臣渡海紀三朗は「教科書に政治が介入することは問題だ」と言い放った。私の見解は以前に書いたから繰返さない。
そもそも権力闘争の果てに奪い取った大臣職にあってその発言が噴飯ものであることは言うまでもない。
しかし、それをお前の公的立場を賭した覚悟の発言であるとしよう。
ではお前は、文部科学省検定意見原案が、教科書用図書検定調査審議会でろくに審議されていない現状(それは審議会臨時委員の波多野澄雄筑波大学副学長が明言している)、更には審議以前に提出され、まさにろくに審議されずに(それも波多野委員は是認している)是認された「調査意見書」(それがこの忌まわしい事態を引き起している元凶であることは明白である)は、たった4名の教科書調査官によって作られた極めて『政治的な』原案であったことをどう釈明するのか?
2007年10月21日『赤旗』によれば、その4名の中には教科書調査官村瀬信一及び主任調査官照沼康孝なる人物がいる。この二人は、「新しい歴史教科書をつくる会」の監修者である東京大学文学部国史学科教授であった伊藤隆の教え子である。この事実だけで、今回の腐った事実が、臭ってくる。お前等、村瀬と照沼なるチンピラ(僕をこいつらが知らないように僕もこいつらを知らない。従ってとるに足らぬチンピラと言ってよい)のマスターベーションとして日本史の教科書は作られた。いや、捻じ曲げられた。
これは、たまたまだとお前は言うのか?! 審議会に沖繩戦の専門家がいなかったで何故逃げられると思うのか?!
そもそもこの専門家不在を弁解の材料とする波多野発言も僕にはイケ好かねえ! 教科書は歴史の基準書でなければならぬ(そうでないと完膚なきまでに批判する社会科の同僚もいるが、だったらその同僚はイエスであるはずだけれども、ただの無能なお下劣教師にしか見えぬことはやはり言っておく)。そこに何故専門家がいないのだ? すべての審議委員はすべての専門家となる覚悟をせよ! その覚悟がなければ、潔く(いや、みじめに)やめよ! いや、せめてすべての時代をそれぞれに分担して完全責任審議を固持してこそ、お前らは歴史家で在り得るはずである。
ここまで、腐った教育の中で、取り残されているのは、その主体たるべき子供達自身ではないか!
僕にやめちまえと言うか? いいだろう。一蓮托生だ。僕はいつだって一緒だ! お前の首を掻き切って、お前と僕、いらないこの双子教師を抹殺しよう。僕は、いつでも首を差し出す。その代わり、お前の頚動脈も、確かに、一緒に滑らかに切ってあげよう。お前と僕の、どす黒い汚い血、混ぜ合わせて煮凝って、塩味の強いペコリーノ・ロマーノをかければ、ワインのつまみには、旨そうだ、その耐え切れない饐え切った臭い故に(いいや、君の臭いと僕の臭いのコラボレーション♪――僕は君を抱きしめる――すべての安息の代わりに)。
増田晃詩集「白鳥」のテクスト化の際のミスによる脱落箇所を複数個所補正し、注も追加した。
一人の若い漁師が人魚を網に捕らえる。人魚は彼に命乞いをする。彼は、お前が歌えば沢山の魚が網にかかる、必ず僕が呼んだら来て歌を歌うなら放してやろうと言い、誓った人魚は海へと帰ってゆく。
それから毎夜、若い漁師は海へ出ては、人魚を呼び、彼女は歌を歌った。
And she sang a marvellous song. For she sang of the Sea-folk who drive their flocks from cave to cave, and carry the little calves on their shoulders; of the Tritons who have long green beards, and hairy breasts, and blow through twisted conchs when the King passes by; of the palace of the King which is all of amber, with a roof of clear emerald, and a pavement of bright pearl; and of the gardens of the sea where the great filigrane fans of coral wave all day long, and the fish dart about like silver birds, and the anemones cling to the rocks, and the pinks bourgeon in the ribbed yellow sand. She sang of the big whales that come down from the north seas and have sharp icicles hanging to their fins; of the Sirens who tell of such wonderful things that the merchants have to stop their ears with wax lest they should hear them, and leap into the water and be drowned; of the sunken galleys with their tall masts, and the frozen sailors clinging to the rigging, and the mackerel swimming in and out of the open portholes; of the little barnacles who are great travellers, and cling to the keels of the ships and go round and round the world; and of the cuttlefish who live in the sides of the cliffs and stretch out their long black arms, and can make night come when they will it. She sang of the nautilus who has a boat of her own that is carved out of an opal and steered with a silken sail; of the happy Mermen who play upon harps and can charm the great Kraken to sleep; of the little children who catch hold of the slippery porpoises and ride laughing upon their backs; of the Mermaids who lie in the white foam and hold out their arms to the mariners; and of the sea-lions with their curved tusks, and the sea-horses with their floating manes.
*
Oscar Fingal O’Flaherty Wills Wilde“The Fisherman and His Soul”の冒頭部の梗概と、原文の一部である。
この英文部分を、僕は今、無性に訳して注をつけたい誘惑に駈られている。お読みになれば、お分かり頂けるだろう。
「白鳥」を仕上げたら、何だかどっと呆けた。今日は何をしようかと、未明の夢現の床中で考えていた……
……僕は大学生の頃から、日記の中で夢記述を行ってきた。職について暫くして遂に日記を止めてしまってからも、「梦塵録」と称する冊子を作り、やはり夢記述を続けてきた(この数年は面白いと感じたものだけを記すようになったので、年に数件しか書かないが、それでも僕の自身に課している作業の中では実に30年以上続いている稀有のものだ)。向後、その中から、興味深いものを幾つか取り上げようと思う(いや、そのつもりでカテゴリ「夢」をつくったのだったじゃないか)。本文中の注釈の内、[★やぶちゃん注]というのは現在の、指示がない[ ]書きの注は、当時の僕の注である。ちなみに今回の夢記述の頃は、大学時代からの延長で、覚醒直後に記載し、細部は驚くべき正確さで細部まで記載できた。24年前のお恥ずかしい僕の文章だけど、その記載の5年も前に見た映画が前半部で強力にプロットを牽引するのも面白いし(この僕の夢のむちゃくちゃな人物設定はレネの「プロビデンス」を見て頂くと納得出来るはずである。ちなみにあの映画は、ジョン・ギールグッドの名演の一つとして確かに数えたい作品である。映画そのものよりも、である)、何やら後に騒ぎとなる北朝鮮の工作船みたような密貿易船やら、心霊写真めいたセピア色の謎のポートレートやら、盛り沢山でちょっと慄として悪かあないんじゃあないかな、なんて思ったりもする。では、どうぞ。
*
1984.1.20.
私の亡き父は[★やぶちゃん注:僕の父は現在も健在である。]、第二次世界大戦中、中国相手の密貿易をしていた。私は、政府機関の特務員と思しき一組の男女と共に、亡父が所有し、終戦間際に行方を絶った漁船を装った密貿易船を捜している。
私の妻を[★やぶちゃん注:僕はこの時、26歳で未婚である。]執拗に追い、私との離婚を迫る男がいた。私の街のメイン・ストリートに面した私の家の前は、折りしも行われていた街のマラソン大会のコースに当たっており、そのレースに男は参加していた。私は、その男の魂胆が、自分の走る勇姿を見せて肉体を顕示し、妻の気を惹こうとするものであることを見抜いており、あいつは鈍足くせに愚かな奴だと内心、思っている。奴が家の前まで来たのが見えた。男は、突然、コースを外れて、家の中に闖入し、私と妻の居る二階の部屋に現れる。[「プロビデンス」のワン・シーンを想起させる。]彼はランニングを続けたまま、妻の腕を捉え、一緒に来い促す。私の怒りは限界を越え、彼を階段から突き落とす――そうして、私は、男の代わりに、情念の塊となってマラソンのゴールに向って、走る。[★やぶちゃん注:ここまでの一見極めてシュールレアリスティクな設定や展開は、1979年に岩波ホールで見て面白いと感じた、死病に罹った老小説家の発想の映像化という、アラン・レネの映画「プロビデンス」の影響によるものである。マラソン選手の登場は実はそのシーンの中にあるのである。]
走る私――その私を先の探索をしている女性が追いかけてくると、街外れの港で父の船が発見されたという知らせをもたらす。ゴールの先にある港へ私は、ゴールを無視していっさんに走ってゆく。
多量の海水が腐って青黒くなったドックの底からまさに引き上げられんとする父の船。零細漁民が用いる小さな発動機付の船である。気が付くと、探索者の男も駆けつけている。
※海水に濡れた船中に降り立つ。前部に長方形をした箱があり、その蓋を男が持ち上げた。蓋の中にびっしりと張り付いていた無数の甲殻類――楕円形をしたゼリー状の粘液に表面が覆われている白いフナムシ様のひどく気味の悪い生き物である――が、私の足元を掠めてわらわらと走り去り、海中へと落下しゆく。ここには何もない。
船の中央部には、やや幅広の金属で出来た棺桶様のものがある。三人で苦労して蓋を外す。中には海水に浸かった木造の仏像が一体と、二点の木彫の工芸品が入っている。
その他、船室の戸棚からは、父の筆跡に間違いないノートの断片が発見される。斜め読みすると、頻りに日本への望郷の念にかられている内容である。
ドックの奥まで、船を引き上げてもらう。胡散臭い一人の若者が突然現れると、何某かの金で船の保管を請け合うと申し出てくる。何かが、おかしい。都合が良すぎると感じながら、この若者に船の保全を依頼する。
ドックの奥にある地下室では、古美術鑑定人が待っていた。例の棺桶状の箱から現れた仏像以下三点を鑑定してもらうが、すべて贋作と分かる。ところが、よく見ると前頭部が粉砕しており、そこから空洞と思われる部分と胎内仏と思しき小さな仏像が見える。その仏像[これは父が私にくれた模造の円空仏に酷似している]を引き出し、さらに仔細に調べたところ、前胸部の前面がスライド式に外れるようになっており、取り外した部分の中央に更に凹みがあって、そこに折り畳まれた紙片が封入されていた。私はその時、思わず叫ぶ。[★やぶちゃん注:仏像の絵がある。【2014年10月31日】「梦塵録」より画像追加。]
「そうか! これがあの謎を解く鍵……!」
[この台詞を吐いている最中に画面が切れ、再び「※」の部分に戻って、ここまでの部分をリフレインする。][★やぶちゃん注:この驚天動地のフィルム・リフレイン現象も恐らく映画「プロビデンス」の作劇法の影響である。「あの謎」は原本では傍点。さて、二度目はやはり、フィルムが切れるように、ここで切れてしまい、ここで言う「あの謎」というのは遂に明らかにされないで終わる。]
再び、船中。父の筆跡に間違いないノートの断片、そして一枚のキャビネ版のモノクロ写真が一枚。
中国の山村風景の如き遠景、中央に大木。その根元に清朝(?)の礼服を着た見知らぬ中国人(服装からそう思っただけで日本人かもしれぬ)が正面を向いて佇んでいる。その男の頭上50cm程の部分で、木は大きく抉られており、その洞(うろ)の中に小さな小さな、みすぼらしいなりをした見知らぬ小人の男が、口をポカンと開けて、写真の右前方のあらぬ方に視線を向けている。重度の脳障害を持った表情である。その下に立っている男性が如何にも快活に笑っている(恐らくその頭上の小人の存在に気づいていない?)だけに、心霊写真のようで、私はひどく気味悪くなってゆくのだが、そばに居た捜索者の男は、写真を見るなり、こういった写真は当時の中国へ行った旅行者が好んで撮影したものだと、こともなげに言うのであった。私もそう言えば、そんな話を誰かから聞いたことがあるような気がした……(完)[★やぶちゃん注:エンディングの部分の記述は、梶井の「愛撫」の夢記述の末尾を真似ていると思われる。]
増田晃詩集「白鳥」を「心朽窩 新館」に公開した。
この書き込みをもって僕のブログは丁度1000の記事数となった。以前に伊東静雄や冨永太郎の全詩集を作成した際、毎日打ち込んでいた詩を、ごっそり削除しているから(今回は思うところあって削除しないこととした)、それを残しておれば、とうの昔に1000ブログは達成していたと思われるが、とりあえず、一つの通過駅での、紀念と致そう。
追伸:我が玄室への御来駕、心より御礼仕る。
11:20AM現在(2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来)
ブログ累計アクセス数: 73699
1日当たりの平均: 141.46
この数週間、身体や仕事上鬱々とすることのみ多く、増田の詩を淡々とテクスト化すること以外に楽しみはなかったが、一つ、大事なことを言わねばならぬことに気づいた。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚 寺島良安」の「河豚」(フグ)の項の注の追加・訂正である。遂に友人が石川の合法製品を入手して、買ってきてくれたのである。更に前の記載の中で佐渡の製品を非合法のように記載した部分があり、それが誤りであることも分かったのでこれは正さねばならぬ。以下に訂正追加部を引用する。
*
……しかし私は実は、大分の臼杵でフグの肚を、佐渡でフグの卵巣の粕漬けを、どちらも食している。まず臼杵、これは所謂、公然の秘密という部類の話で、臼杵(調べてみると大分ではというべきらしい。これは伝統的な当地の食い方で、勿論立派な違法行為である。ある種の書き込み等にはまことしやかにキモを食べていいという条例が現地にある等と書かれているが、それは真っ赤な嘘である)では、どのフグ料理店も、数日水に晒して血抜きしたてんこ盛りのキモを(私の食べた店では即物的に正しく激しくてんこ盛りで、なんと食い切れずに残した)醤油に混ぜて、厚切りのフグを頂くのであり、石川県の方法(こちらのものは条例によって認められた合法的な製品だが、異様に塩辛くて多くは食えないと聞く。こちらは残念ながら未だ未食である)と同ルーツと思われる佐渡(★訂正(2007年10月20日):これは新潟県がただ一人、製造を認可している須田訓雄氏による合法的な製品である)のものは、はららごとしてはあっさりとしており、伝えられる石川のもののような塩辛さも全くなく、美味しかった。★追記(2007年10月20日):先週、友人に頼んで石川県の正規合法商品たる「ふぐの子糠漬」を入手、食した。確かに塩辛い、塩辛いが、基、この塩辛さの彼方に、含んだ口中、一時の後、一粒一粒に凝縮している旨味がじんわり広がってゆく。これは、恐らく数少ない珍味中の珍味と言ってよい。佐渡の粕漬に比してずっと塩分濃度が高くなるが、これは全く違った味わいである。比較するものではない。ただ、粒立ちの舌触りの美事さは石川のものに軍配が上がる(私が今回食したのはこちらの製品)。
遂に増田晃詩集「白鳥」の全文テクスト化ブログ公開を完了した。
この「覺書」は、彼の最期の魂の詩として、心して読まねばならぬ。
* 覺書 増田晃
一、蜜蜂が古い桶に年々新な花の蜜を集めるやうに、私もいろいろの花心から絶えず蜜を運んだ。ためられた蜜がいつか桶の縁を越すやうに、いつか私の歌誦も文筐を溢れてしまつてから久しい。最近移居を折に昔の歌を誦みかへしながら、なほ自ら捨てがたい數々があるのを知りひそかに上梓を志した。
二、この詩集中最も稚い「春の雲」を書いてゐたころ既に、日本にけふの夜明けが來てゐたのを知る。私は未だ少年であつたが既に日本の古代の藝術に身を涵しうる樣な幸な時代に惠まれた。飛鳥奈良の佛教に私らは讃仰といはんより、寧ろ懸想し迷うたのである。
三、私は聖德太子の在せるが故に、飛鳥を世界で一とう美しく尊い時代だと思つてゐる。太子の犠牲の大精神があつてはじめて、夢殿觀音も、玉虫厨子も、百濟觀音も生れた。この作者らは太子の御精神を服するだけで、かゝる佛像や佛画をつくり、又己がつくつた尊像のまへに自ら額づく歡喜もあつたのである。藝術なぞという名がつくられ、作者の署名があらはれる末世を思ふまい。私らはすでに返るよしもない昔を思ひ、幾分なりとその御精神に身を涵したいと希ふのである。
四、宗教のない時代は、藝術するものには最も悲慘な時代である。しかしこの悲慘な現代に生れたればこそ古い尊い時代を知り、藝術家の本質を知り、又私ら青年の目標も自ら明になる幸が存する。現代に果して宗教がないか、私らが死にゆく以上有る筈である。しかしその生死にむかふ私らの悲願と克服と蘇生のみが、また私らの宗教を自らつくるであらう。かつて聖德太子御一人のあらはし玉ふた御精神は、また陛下の萬歳を絶叫して仆れてゆく名なき兵士の精神に通ふのである。
五、詩を書きはじめてから今日に至る年月のあひだに、私は徐々と自分のゐる時代に目をひらいた。そしてかうした混亂せる時代、眞と僞が紙一重で見分けがたい時代に生き乍ら、私らのものする新詩の分野に於ていつも鷗外、柳村、晶子、荷風のながれを、菲才ながらうけて末席に加りたいと念じて來た。取るに足らぬ私の詩に何らかの野心があればこの操のみであり、私の鷄肋に何らか煮るに足る肉がついてゐたとすればこの志だけである。
六、詩は神的なものである。私は昔からさういふ信仰をもつてゐた。その意味で私は祈禱と禮讃と感謝の詩形を採るを常とし、この歌唱法のみが私の思ふところを最も自然にあらはしてくれたのである。詩はつねに生命の驚愕であり、さういふ原始の體驗である。そして又それは日本民族が本來もつてゐた詩歌であり、將來の日本民族はかかる詩歌の韻律のうちにのみ、自らを發見するであらう。この信條に於て私は自ら所謂現代の詩人でないことを言明せねばならぬ。ひととき私はそれを寂しく思つたが、今日むしろそれを喜悦とし光榮とする。
七、私はこの一集を自ら閲し乍ら、哀しみに堪へきれない折々にこの詩章の多くが記された事を思出づる。あるときは開かれた傷口から呻いて流れでることもあつたし、又もう癒えたと思つた傷がかすかに疼くこともあつた。そのたびに私はこれらの詩を自ら歌つてきかせて感情の危機を救つた。時にはひとり言でそのまゝ忘れられることもあつた。しかし偶々記されたもののうち、何度も自分に云つてきかせたいものがいくらかある。しかも悲しいことに、私らの綴るものが韻文といへるであらうか。けふさういふ羞恥と自棄の下心から、この一卷を編まうとするのである。
八、卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に屬する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。その間には八年の徑庭があり、暖い多くの師友の御指南に惠れた幸福な日々が思出さる。入營をあすに控へた今日、この些々たる一卷を以て御恩報じの幾分かでも爲し得たであらうかとひとり思佗びるのである。装丁は木彫の西田明史氏に御願ひした。數々の我儘を快く容れて下さつた事に深く感謝する。
昭和十六年一月豪德寺小房にて晃誌す
[やぶちゃん注:これは遺書として読まねばならぬ。
一
・「文筐」は「ふみばこ」と訓じたい。
二
・「涵し」は「涵(ひた)し」。
五
・「柳村」は上田柳村。詩人、上田敏の号である。
・「菲才」は「ひさい」で、劣った才能という自身の才能を言う際の謙称。]
日輪の語れる 増田晃
人々よ われは來るべき人間を信ず。わが夏の弓はその人の花の腕(かひな)に引きしぼられむ。人々よ われは日輪なり、すべて哀れなる處刑囚の解放者なり、教育者なり。
人々よ 野菜や魚を商へる市場に、煤煙いぶりたる工場に 土の見えざる石疊の廣場に、汝らは歩み佇み激昂すれども、絶えて己が囚人なるを 悲しみの徒弟なるを知らざるなり。
かつて人間は過ぎし日と來る日を知る時ありて鳥獸に打克ちぬ。されど見よ、汝らは今日復讐と危惧にもえつつかくも流浪す。汝ら嬉び悲しみ怒り怖れつつ歩めども、見よ その影は極めて薄し。そは汝ら既に命了へしものか或は流産せるものなるが故なり。
人々よ 嬰兒は長じて成人となれども、成人の長じて再び嬰兒となるは稀なり。かれらは中途にして事きるるか、或は老人となりて生存す。われまこと汝らに告ぐ、汝ら昨日を患ふなかれ 明日に惑ふなかれ。われと共に脈搏し 呼吸し 歩行せよ。
人々よ、今日汝が法馬(ふんどう)を※ち、汝が巻尺を捨てよ。己が血と肉もて箴言せよ、己が呼吸と聲帶もて作歌せよ。かくて産れ更るべき人間は再び嬰兒なり、かかる生命の肯定者なり、新しき精神なり 肉體なり。
われは常に驚愕せるものを愛す、そは生命はたえず瞎目するもののみに與へらるゝが故なり。驚愕せざるものは自ら萎えて死せり。
われは常に肯定せるものを愛す、そは自ら切捨てし爪をさへ蘇生しうべけばなり。否定せるものは自ら萎えて死せり。
われは常に報酬を求めざるものを愛す、そは自らよりも自らの純潔を愛する故なり。報酬を求むるものは自ら萎えて死せり。
われは常に恐怖を知らざるものを愛す、そはあらゆる奇術を一瞬に果てしうべけばなり。恐怖するものは自ら萎えて死せり。
われは常に掘下げざるものを愛す、掘下ぐるものはその穴の底に全身の自由を失ふ故なり。土を掘るものは自ら萎えて死せり。
われは常に規定せざるものを愛す、そは溢れ泡立つ春の土壤と共なればなり。規定するものは自ら萎えて死せり。
人々よ われは紅(くれなゐ)の罌粟と薊(あざみ)を愛す、戰闘と愛撫と沈默を愛す、ざわめく緑草に身をうづめる嬰兒を愛す、われは湖に張りたる氷を裂きて渡るごとき跫音を信ず。
人々よ 心ふかき夫にまもらるる妻のごとく、飾りなき微笑もちてわれと共に來れ、見よ われは日輪なり、われは雛の軸ほどく筈なり、産屋をきづぐ鳶師なり。見よ われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。われは汝らを新しきかなてこに横ふ鍜冶工なり。
[やぶちゃん注:「※」={(てへん)+「放」}で、「抛」と同義で「(なげう)ち」と読ませるのであろうか。不明。
・「最終連の「われは汝ら處刑囚の解放者なり 教育者なり。」は底本では「われは汝ら處刑囚の解放者なり」で改行し、空欄なしに「教育者なり。」と続くが、以下の最終行から推測して私の判断で読点を打った。一字空けとしてもよいかもしれない。次の「をはり」は一頁中央。
・「釦」は、「ボタン」。
・「法馬」は、秤の分銅。地図上の銀行の印である繭型のものを言う。語源は不明であるが、全体が馬の顔のようにも鞍のようにも見えないことはない。法は標準・制度・規範の意である。
・「更る」は「更(かは)る」。
・「瞎目」は「かつもく」であるが、誤字ではなかろうか。「瞎目」では片目で見ることから、はっきり見えない、正確に見えない、全く見えないという意味で詩句として通じない。これは同音の「刮目」(かつもく)で、目をこすって対象をよく見ること、注意して見ること、ではなかろうか。ご意見を乞う。
・「うべけばなり」はこの後ももう一箇所現れるが、文法的に不審。「うべければなり」の誤りではなかろうか。ご意見を乞う。
・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシに属する一年草。鴉片(アヘン)採取の出来るケシは殆んどが白花であるので、ここは観賞用の鮮烈な赤い花をつけるボタンゲシ等であろう。
・「薊」はキク科アザミ属。
・「雛の軸ほどく筈」の「雛の軸」雛祭りの人形を描いた軸絵(掛け軸)で、それを飾るために上部の紐に引っ掛けて持ち上げる道具を、弓矢の筈に引っ掛けて「矢筈」と称するのである。
・最終連の「われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。」は底本では「われは汝ら處刑囚の解放者なり」で改行し、空欄なしに「教育者なり。」と続くが、冒頭一連から推測して私の判断で読点を打った。一字空けととれなくもない。
日光尊者再讃 増田晃
―天平時代・三月堂佛像
一、月も日もすがたなき 夏のあかつきの空を見れば、一抹の薔薇油のみその束の間の うす赤きちぎれ雲よりしづくせり、日はまこと黑く艷ある夜にやをら 瀧なす産湯おとして捧げられしか。われいま三月堂大扉の前に在りて、ただ聖き磁力にうたれをののけるなり。
二、闇より産れ 闇を知り いま闇を拂はんとする日輪よ。いつかわれ御身を拒みしことありや。否! 否! されど われ哀れなる靴工のごとく、弱き寡婦の母さへ忘れ、ゴルゴタの夜にさまよひ、極光の襞(ひだ)をつたひて、今このアジアの渚にむせびなくなり。いつかわれ御身を呪ひしことありや。否! 否! されど われ哀れなる釘工のごとくわが工場に鐵滓あるなく、わがパン皿に白鳥の羽ちり、わが肌着はや釦なければ、この露はなる胸 雪に洗はれ凹みはてぬ。
三、されど見よ百合を! 夏に濯がれしかの白百合は、火なき光なき闇に在れども、おのがほのけき熱によりて 聖きその存在を語る。されどこの可憐なる手巾(ナフキン)の 盬ひかるごと白く薫るは、自らを誇りてかくあるにはあらず。たゞ日輪よ、御身のみ待ち御身のみ讃へ、電光相うつ嚝野にあるとも、掠奪に人絶えし國境にあるとも、空に浪うつ御身の出現を たゞ信じゐたればなり。われこの世にいのち亨けしより以來、御身が名もてわが名とすれども、いまだ御身のほのほを知らず。たゞ語れ、日はいづくにありや、曉はすでに始まりしや、すでにこの大扉よりわが足もとに 雪崩しひかりを明したまへ。
四、雪崩よるそのひかりを! 大いなる炬火を! 開かれたるこの大扉のおくに いま動く衝動と啓示を! 鳴きつぐ鶯にみちびかれつつ ベテレヘムへ急ぐナオミのごとぐ われこの啓示を早く知れり。朱の麥さして燻りたるその脣をあふぎみれば、また群がる闇を見貫(みつらぬ)くその眼をみれば、われすでにかの聖きひかりの如何(いかん)を曉る。草の杪(こづえ)を脈うたす柔き諸手をあふぎ、その合掌に遠き過去を知り未來を曉り、そを合はす優しく且は強き力に、創造の息吹の通ふを見れば、やかて御身天に立ち すべてを領ずる眞晝の時を信ぜずんばあらず。まこと燃ゆる雨ふらす日輪よ! すでに日輪は御身尊者の謂なりや。オーロラを赤めし御身なりや。群れゆく黒鹿に丹塗矢放つは 御身が夏の弓なりや。
五、御身尊者もし天日にあらば、わが賤しきからだこころを濯ぎたまへ。わが古き血をなべて落し、わが萎えし舌を切りとり、のちわが全身を鮫のごと、白きタイルのうへに濯ぎたまへ。鉛色のわが血管を刄もて裂き、腦膸より青葱のごとき蕊をぬき、疲れたる振袖の肺臟をゆすぎ、古き記憶を落さしめよ。天日よ、わが唾は疲れ、わが精液は穢れたり。そをただ水もて流し、わが狂ひたるピアノの簾(すだれ)を寸斷せよ。かくてわれを立たしめ われに新しき血を與へよ。われに新しき言葉を與へ、われに新しき聽力を與へよ。われに正しき歩行を教へ、のちかくてわが全心身を灼きたまヘ!
六、御身尊者もし天日にあらば、わが全心身を灼きたまへ。魔藥くゆらす青き髪のうちに わが潔き齒ははや穢るることなし。屈辱と冷罵と拒絶のうちに わが頸(くび)ははや折らるることなし。蒼白に稻光する市街のうちに わが肺臟ははや蝕さるることなし。國境に硝煙たち戰あるとも、もしそれ歴史を展く力あらば、わが新しき血そこにもえよ。歴史を進ましむるもののみに、わが全心身を犠牲(にへ)とせよ。御身尊者もし天日あらば、わが血管に御身の新酒をそそぎ、御身の言葉のみたゞ語らしめよ。わがうちに白金のピアノの簾をかけ、火の鍵盤をそろへよ。また燃ゆる七絃琴(リイル)をめざましめ、のちかくて御身が指を、その輝ける絃のうへに馳らせたまヘ! この輝ける絃をしてただ、御身が歌に共嗚せしめよ!
七、はや火の絨毯の朝燒は、東の方に展けそめたり。見よ 麺麭のごと赤く湧き立つ かしこ貫(ぬ)かんとする第一の矢は、波を切りゆく弾丸(たま)のごとく 速さゆるめつつ中天に屆き、そを追はんとする第二の矢は、白馬の曳ける日の車の 行くべきみちに射上げられたり。かゝるときわが白金の絃のうへに、はじめなる共鳴は合唱す!「われを見よ、われは正しく天日にして 汝の仰ぎし尊者なり。わが合掌既に天に生き、わが大道に雨あることなし。わが新酒既に汝に宿りたれば、汝の歌わが夏の弓に晴れん! 汝既に無力と屈托のときを歌ふなかれ。懶惰と夢のとき分おもふなかれ。ただ未來なる開港に、工場に田園に、また戰鬪に愛撫に沈默に、わが息吹あるところにのみ汝の讃歌を在らしめよ! そは汝のなせし祈禱の聲に果されたればななり。」
[やぶちゃん注:まずは前掲の詩「日光尊者」の注を参照されたい。
一
・「薔薇油」はナラから蒸留して得られる高級香料であるが、ここは朝焼けのイメージの隠喩。なお、以下の「一抹の薔薇油のみその束の間の」を私は「一抹の/薔薇油のみ/その/束の間の」と文節を切って、朝焼けの空の色彩の隠喩としての薔薇油のイメージを、そしてそれを限定の副助詞「のみ」で先鋭化している句法(やや無理があるのだが)と読む。疑義のある方は、眼から鱗の解説をお願いしたい。
二
・「極光」はオーロラ。
・「鐵滓」は本来は「てつし」と読むべきだが、慣用読みで「てつさい」と多くの文献が読んでおり、増田もそう読んでいるかもしれない。これは鉄の精錬の際にこぼれ落ちる鉄屑で、金糞(かなくそ)とも言う。卑しい釘職人にさえ、僅かの劣悪な鉄滓さえないように、という意味か。
四
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「ベテレヘムへ急ぐナオミ」は旧約聖書の「ルツ記」に登場する女性。HP「大分聖公会」の「聖書の人物(20)ナオミとルツ(ルツ記より)」の叙述が分かりやすい。この日本人の名前のようなナオミとはヘブライ語で「快い」という意。
・「燻り」は「燻(ふすぶ)り」で、遠い日に脣(くち)に引いた麦の穂のような朱が長い年月の中でいぶされて古色を成していることを指しているか。
・「曉る」は「曉(し)る」=知る、と読んでいる。
・「杪(こづえ)」のルビはママ。
五
・「刄」は「やいば」。
・「ピアノの簾」とは、グランドピアノの内部の平行に走るスチールの弦のことを言っているか。
六
・「蝕さるる」は「蝕(おか)さるる」。
・「七絃琴」は和琴としては古琴の一種(平安時代に流行したが現存する完品は少ない)であるが、ここでは「リイル」のルビがあるので“lyre”(リラ・リュラー・ライアー・リール等と発音)と称する洋琴、7弦の竪琴を指すと考えるべきであろう。
七
・「麺麭」は、「パン」。]
人間にとって生き様を選択することは、決して難しいことではない。
どう生きるかを選び取るのは、僕等の最も自由な領域でなくてはならぬ。
あなたや「私」が好きな夭折の諸々の人々はそれを皆してきた。
その後に、どれだけ生きるかなんて、それは愚劣な天命の謂いだ。
要は、どれだけ「自分として」生きたという実感を持てるかということに尽きる。それは死に瀕しての弁解ではなく、だ。
さても、あなたは?……いや、あなたがどう生きるかは、実は、全く興味がない。
自分さえも救えぬ人間に他者は救えぬと言ったのは親鸞だ。
「私」は「私」自身を救助しよう――
城山燃ゆ 増田晃
乞食は山上で乾いた一箱の燐寸を拾つた。
彼は寒さにうづくまりながら、
城門のかげの落葉に火を放ち眠りおちる。
冬の夜ふけ羅卒のすがたも消え
堀には鴨が生乍ら氷るおびえに叫ぶとき、
ふと山上の城にかすか明りがゆれはじめ
廣い城下町が時ならず白んできてゐる。
人一人住まない城山のいただきの
城壁がいくども火に鏝あてられる。
それを見つけた夜番は思はず立すくんだ。
そして櫓にかけのぼると花札をきるほど早く
惡鬼の甲をつりあげたる半鐘亂打する。
そのあわただしい息は城下町の甍を鰓にかヘ
その動く一つ一つをはや火照りが縁どりそめる。
人一人住まない城山のいただきの
火を吸入れんとする大城門は
紅玉の顎なしていくどかうごき
天主閣はそのおくに身がまへる。
群集はくるへるやうに城山の火柱をあふぎ
古き時代の番人を打たふす破城槌のひひぎが
無數の揚物をしてはじき飛ぶのを聞く。
彼等の舌はしびれて昨日までの言葉を忘れる。
(石を運びあげ息ついた折穴に突落された人柱、
また背後から飛ついた通り魔にたふれた戀人たち
さては宴げの呼子の鳴る夜、土窂に餓死した最後の人)
亡靈はかの開かれざる城門の敷石の下にあつた。
しかし見よ、燃ゆる薪の雨にその錠は容易(たやす)く落ち、
彼等は故わかぬ幾百年の血だらけの足跡を迫り寄り
敷石をさしあげて神に祈つたとき
それはむしろ奔る楯であつた。
火は美人を抱あげるやうに四方から天主閣に殺到した。
巨大なる材とともに舞へる蜘蛛はその眼のまへを
鎧と私通にみちた幾世紀が走馬燈のごとく飛ぶのを見た。
昔からこの甍に棲んできた蝙蝠は火に自らを投じて叫ぶ。
「おゝ古き城よ、われらはただ古きが故にのみ亡さる。
われら今日何の惡事をなし、何の犯罪をなすであらう!」
しかし見よ、天主閣は火に撫廻されて身悶えた末、
身を任すのを恐れてくづ折れる女王のやうに
大きく搖ぐとみると雪崩こんでいづこへか溺れていつた。
その火明りで雪と泥の平野は祭になつて彩られる。
人々は胸そこから夥しい歡呼のわくのを覺えた。
かれらは故もなく大聲で泣き叫び笑ひながら
眞紅の櫨にそまり城下町へ津浪のごとく押寄せる。
そのとき乞食は既に逃げる力を失つた。
われら知る曉をみちびくものは賢者にあらず
王者にあらず 豫言者にあらず、そは唯失火のみ。
唯失火のみ 浮浪者のみ 言葉穿つ方言のみ。
しばしかの泉のほとりで渇せしもの貧しき殉死者を見よ。
かれがいまはの息をわれらは産聲ときくその一瞬を見よ。
おお われらが求愛すゐ新生、若さと無謀にみちた未來よ。
いまや一たびつむじ風が城山の一切を巻上げたとき、
かれは常に落葉よりかるく吹上げられて散華する。
そしてそれはこの癈城の道伴になる唯一の人間であり、
このエピタフを身をもつて草する昨日の詩人であり、
彼はその悲劇的陶醉的なる一夜を心ならず
曉の弓弦に張つたのだ。
城下町は晝のやうに明るくなつた。
火の先發隊はすでに城山をめぐる濠にせまり、
無數の柳は濠に身を投げんと絶叫した。
火は大包圍戰を構成して堀にうつり映え、
水底からも金の鯉の群の火はなだれ上つてきて
津波のやうに
轟然たる人々の聲に和した。
[やぶちゃん注:本詩の取材する城は何処のものなるか知らず。私は自然、架空幻想の城ととるのであるが、万一、増田がイメージのモデルとした城をご存知の方はご一報願いたい。黒澤明が撮影しているような幻暈を憶える慄っとする素敵な詩だ。
・「燐寸」は「マツチ」。
・「鏝」は「こて」。
・「鰓」は「えら」か「あぎと」であるが、炎の比喩とすれば「えら」の方が、鋭角的で良いように私には思われる。
・「破城槌」は「はじやうつい」で、城門を突破するために使用される兵器。元禄忠臣蔵の巨大な槌(つち)やただの丸太を吊るした遊動円木のようなものを想起すればよい。
・「揚物」は「あげもの」で、兵器としての投石機を言うのであろう。ここの部分、「群集は」「ひびきが」「はじき飛ぶの聞く」という構文は、やや無理があるように思われる。
・「土窂」=土牢。
・「撫廻されて」は「撫廻(なでまは)されて」。
・「櫨」は「はぜ」で、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキで、その赤い葉を隠喩に用いた。
・「エピタフ」は“epitaph”で、墓碑銘。]
長詩 飛鳥寧樂のための序歌(一) 増田晃
乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ!
夜沈々 御身らわれを飛鳥にみちびき
二十三才のこの開花に變貌のきざしを來し、
ゆくべき大道を遠く示したまへり。
しばし今宵、糸下り來る蜘蛛拂ひつつ
御身らがために讃歌し ここにわれ
あたらしき靈異記と相聞がために立たんとす。………
………………………………………………
まこと常春藤(きづた)に祝されしプラトオよ。
御身が産れながらに妊娠せるたましひは
その分娩を美はしき魂のうちになしたり。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
またわが歌調(アリア)なる御身バツハよ、
沈みゆく悲しみと抑へがたき欣びは、
開きゆく花のごとく タぐれの燕のごとく
美はしき收穫を神の御(み)倉にたたふ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
更にまた羅馬女神と同衾せしゲエテよ、
御身はドロテアにつよき開眼をあたへ、
また西風の翼にズライカを扇ぎ、
美はしき欲念を神のみ業となしぬ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
さればけふわれこの歡喜の遺産を相續し、
魂はかゝるエロスによりて生計をたて、
いつか希薄となる大氣はわれを放たず。
まことわれらがいにしへの旅する詩人が、
杜甫樂天の森をぬけ初めてかれらと語りしごとく、
われまた西歐が大いなる魂の森を
たゞ若き喜びにふるへ歩みゆくべし。………
…………………………………
乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
髪なしてけぶる雨は香を焚けば、
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ。
日に灼かるるごとき磁力と愛溺!
また影響と共に見出されゆく自己よ。
願はくは御身らこの若き詩人によりて
飛鳥天平のいにしへに祝福せられよ。
長詩 飛鳥寧樂のための序歌(二)
いくたびかわれ古都の長道をあゆむは
物語のゆゑならず 考證にもあらず。
たゞここにして東大寺の杜よりひびく
おもひしづめる梵音にふかく太息し、
ぐづれかけたる築地に沿はむうれしさに
藥師寺より招提寺へと往來(ゆきき)がせんがためなり。
されば共に佇むものよ 夢にみよ、
夢にみよ 今斑鳩の白きあぶら壁に
姉のごと聖く腕(うで)まげし勢至を。
また戀人の露(あら)はのかひなを伸べつつ
薔薇に飾られてふくらむ柱を。
また懷しや 若き尼は金泥の経文に醉ひ
牝丹雌蕋のごと雄蕋にまみれたれぱ、
水滸傳にも見まはほし 帝(みかど)が御(み)子も
ちまたの酒肆をみそなはし車止めたまひぬ。
戸を開(あ)けよ 戸を開けよ 三條にちかく
朱雀大路を今し歌垣は下りゆくなり。
輪髪の乙女よ、共に來れ、こなた
伎樂のしらべほの聞ゆ内裏にそひて
かの群に加はらむ、共に速く!
………………………………………
共に速(と)く! 共に佇むものよ、
くづれかけたる飴いろの築地を沿はめ。
歌垣は了りぬ、大いなる高塔はもえぬ、
佛らの脣あせゆき 赤きかゞやきはきえ
斑鳩の壁画はその崩れを硝子もて支へらる。
飛烏は去りつ 飛島は去りつ
しかも天平のパルテノンなる招提寺の朱さヘ
日とともに寂び 雨とともに流れ
つひに秋篠のながれも田川となりぬ、
夢みつ醒めつ 大極殿の御跡をよぎり
後宮のみち芝にふしておもへば、
かつて橘の三千代夫人 また燦やかし
藤三孃安宿媛の春の宴はいづこに。
泣かまほし物偲べば青摺の歌垣乙女
またありや 誘ひつれし愛の言葉よ!
けふまたもわれ古都の長道を下るは、
物語のゆゑならず、考證にもあらず。
ただ失はれたる飛烏寧樂の夢に現(うつつ)に見えかくれ、
赤きひかりを放たむを慕はむがためなり。
おお愛と力にみちし日日よ、われ弱ければ、
愛人を慕ふごと昔をこがれ泣沈むなり。
[やぶちゃん注:標題の「飛鳥寧樂」は「あすかなら」で、「「寧樂」は奈良の古称。底本では「長詩」はややポイント落ち。
・「夜沈々」は「よしんしん」又は「よちんちん」で、静まりかえった夜のさま。
・「二十三才」は増田自身の本詩を創作した際の年齢を指していると考えられる。後掲する詩集末尾の「覺書」の「八」で、増田は『卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に属する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。』と記している。1989年より後の作品が含まれていないとは言えないが、この叙述を素直に読むならば、1989年前に創作されたものと読んでよく、1989年当時、増田は24歳である。
「靈異記」は「りやういき」(「れいいき」とも読むが前者で読みたい)で、通常は「日本国現報善悪霊異記」を指す。しかし、ここは一般名詞として、人知でははかりしれない神聖にして不思議な物語の創造という意味で用いていよう。
・「プラトオ」は“Plato”で、哲学者プラトン。
・「常春藤」はギリシャであるからセイヨウキヅタであるが、ここに記されたキヅタに祝された(?)という事蹟については、不学にして知らない。以下に続く、部分も意味不明であるが、プラトンが創始したイデアの認識とそこから生じるエロスの誕生を意味しているか。倫理社会の貧しい知識の牽強付会である。すべてに亙って識者の御教授を乞う。
・「羅馬女神」は「ローマじよしん」で、ゲーテが自室にその胸像を飾っていたユノを指すか。彼女は結婚と出産、既婚女性の守護神にして神々の女王である。
・「ドロテア」は、ゲーテの不滅の愛を描いた「ヘルマンとドロテア」のヒロイン。
・「ズライカ」はゲーテの「西東詩集」に載る詩で、シューベルトやシューマンの歌曲で有名。本来、「ズライカ」とはイスラムの文学にあって才媛を意味する語。但し、この詩はゲーテの作ではなく、彼の恋人であったマリアンネ・フォン・ヴィレマーの作であることが分かっている。「ズライカ(西風)」の詩は以下等を参照。
・「梵音」は「ぼんおん」で、鐘の音。
・「築地」は「ついぢ」。
・「招提寺」は唐招提寺。
・「あぶら壁」は「油壁」で、築地塀の一種。砂・粘土・餅米の汁を用いて塗り固めたもので、高い強度を持つ。
・「勢至」は勢至菩薩。阿弥陀三尊の右脇侍。この像の特定については、薬師寺等にある実際には勢至菩薩でない別な仏像等の幾つかの可能性を考えたが、ネット上での貧困な推理に過ぎない(親しく実見したものでなく、薬師寺から唐招提寺に至るどこか、或いはその周辺の寺院の勢至菩薩像である可能性も否定できない)ので、考察結果は控えたい。奈良に詳しい方の、御教授を乞う。
・「水滸傳にも見まはほし」は意味が取れない。「見まはほし」は「見まほし」で(そのような語はないが)、「水滸伝」に登場させたいような」という意味か。識者の御教授を乞う。
・「酒肆」は「しゆし」で、酒屋。
・「みそなはし」は「見る」の尊敬語。
・「歌垣」は、一般には、男女が春と秋に集まって歌い踊り合って互いに求愛を表現した行事。東国では歌(かがい)と言った。なお、「歌垣」には狭義に踏歌(とうか)の意味がある。踏歌は中国伝来の男女別の集団歌舞で、足を踏み鳴らして歌い舞うものであるが、女踏歌は紫宸殿の南庭でのみ行われ、市中には出てゆかなかった(男踏歌は市中に出る)ことから、前者としてよいであろう。但し、これは増田の奔放な幻想であり、彼自身が詩末で言うように、そのような『考證』にこだわる必要はない。
・「輪髪」は、一応、「りんぱつ」と読んでおくが、「わがみ」という発音が今ひとつピンとこないだけで根拠はない。以下に記すような理由から、「わげ」と読ませているのかも知れない。そもそもこの髪型がどのようなものを指しているか分からないのであるが、言葉や推定される形状からは頭上に輪の形に神を結う結い方で、唐子髷(からこわげ)・唐輪(からわ)と言う。但し、これは鎌倉時代末期から室町時代初期に結われた髪型の一種であり、更に当時は男子の髷(年少の武家や寺院の稚児)の髪型で稚児輪(ちごわ)とも言った。後にこれは兵庫髷というものに変化し、江戸期の遊女間にも流行したというが、奈良期の少女の幻影には合わぬ気がする。眼から鱗の解釈のあられる方は、お教え願いたい。
・「伎樂」は「ぎがく」で日本最初の外来の楽舞、無言の仮面劇を言う。推古20(612)年に百済(くだら)の味摩之(みまし)なる人物が中国の呉の国で学び日本に伝えたとする。飛鳥奈良朝が最盛期。
・「脣」は「くち」であろう。
・「斑鳩の壁画」は昭和24年に焼失した法隆寺金堂内の壁画を指すか。それ以前の状態が増田の言うようなガラスによる支持保護であったかどうか。
・「秋篠」は秋篠川。奈良県北部を流れる佐保川の支流で、西ノ京辺りでは薬師寺や唐招提寺や薬師寺のそばを流れる。
・「大極殿」は「だいごくでん」で、大内裏の朝堂院の中の、北部中央にあった正殿。南面して中央に高御座(たかみくら)があり、天皇が政務や、即位の大礼等を行う際に用いた。
・「みち芝」は一般名詞として道ばたに生えている芝草、雑草でよいと思われるが、一応、イネ科ヒゲシバ亜科のミチシバという種があることは掲げておく。
・「橘の三千代夫人」とは県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)、橘三千代(たちばなのみちよ)とも言う。軽皇子(文武天皇)の乳母。敏達天皇の第一皇子難波皇子の孫である美努王(みぬおう)の妻となるが、藤原不比等が恋慕、三千代は夫を捨てて、不比等の後妻となり、光明皇后を産む。その後、軽皇子は祖母である持統天皇の後見によって皇位に就き、三千代は後宮に絶大なる権勢を有し、同時にこれが藤原時代の幕開けともなった。
・「燦やかし」は「燦(はなや)やかし」と読むか。
・「藤三孃安宿媛」は「とうさんじやうあすかべひめ」で、三千代の娘、光明皇后。前掲の詩「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」の注を参照。
・「青摺」は「あをずり」と読んだ場合、青摺衣(あおずりごろも)という古服を指す。原義的には「青葉で摺り染めされた着物」で、カワセミ(ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科)の羽のような色を指す。但し、これを「あゐずり」と読んだ場合は儀式用の青摺衣(あいずりころも)を指し、これは山藍摺りされた藍色の衣を指すという。山藍摺りとはトウダイグサ科ヤマアイ属ヤマアイの葉を搗いて出る汁によって青磁色に染められたものを言う。
・「考證にもあらず」……されば、さることなり、私の付け焼刃の注釈など、考證にもあらざるものと言ふべし……]
北の海 中原中也
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇つた北海の空の下、
浪はところどころ齒をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
*
今日は行きの車中でオリジナルの授業を想起しながらワイルドの「幸福な王子」を再読し、職場で「史記」の項羽の凄絶な最期と、「舞姫」の宿命的なエリスとの邂逅、そうして「杜子春伝」で完膚なきまでに痛めつけられる子春を講義し、帰りは手相の未来を演じてしまうワイルドの「アーサー・サヴィル卿の犯罪」を読んで、ふと自分の掌を見た。……国語教師と言うのは、如何にも苛酷な職業である。これは、ここのところの病んだ今の僕の魂にはいささか、いや、大いに鬱々とするに足るプログラムではあったのだ。そうして……そうして深夜に有象無象疲れ果てて思い浮かんだのは、人魚のいない、海だったのだ……
母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど
増田晃
かがやく安宿媛(あすかのひめ)
三千代夫人の御(み)子
いかにセント・アンヌの御(み)子にもまして
無垢に憐れみ深くいつの世までも
哀しみまどふわれらの歎きを
いつくしみ見守りたまふか?
かの赤光にもたぐふべき
優しさに御(み)手とりて涙ながし
誰か御后(みきさき)を戀はざるものありや?
われけふ蛙なく佐保の川ぢを
奈良坂を秋篠をい行きさまよひ
行きたどり 行き止まり 心天(あま)飛び
日(ひ)月も知らにいにしへ戀へども
あはれわが絃(いと)弱し もろし
わが器(うつは)病む しらべ副(そ)はず
おお 願はくは御后よ
かの法華尼寺の天才に
御像つくる悦び與へ玉ひしごとく
わが絃にも感ありたまへ。
戰ひに勇みゆく子らのため
またそを送る母らのため 妻らのため
たとへわが絃切るるとも 花ある頌を
讃への對句を大いなる詩章を
祈りのうたをなさしめたまへ。
たとへわが名かの彫師(ほりし)のごと
消えゆくとも 亡びゆくとも
誤られゆくとも、變りゆくとも
天下の御(おん)國母
藤三孃の御后
われに第一の頌をゆるしたまへ。
[やぶちゃん注:底本の傍点「丶」は下線に代えた。さて、光明皇后に注を附けるほど、私は半端に不遜ではない(というより興味が湧かない)。即ち私は十全に不遜である。それでも最低の注は、必要である。聖武天皇の皇后で安宿媛(あすかべひめ)、藤三娘(とうさんじょう)とも言う。父は藤原不比等で、母は本文に現れる県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ。別名、橘三千代。一階の命婦から後宮の実権者に成り上がった烈女である)。仏教に深く帰依、東大寺・国分寺の設立を夫に進言したとされ、貧者のための福祉施設に相当する悲田院や医療施設としての施薬院を設置、興福寺・法華寺・新薬師寺といった多くの寺院の建立や修復を行った人物として仏教史に刻まれる(聖武天皇の死後にはその遺品を東大寺に寄進、その宝物を収蔵するために正倉院が作られた)。
・題名中の「おおど」はオード“ode”。 崇高な主題を、不特定多数の対象に呼びかける形で歌う自由形式の叙情詩。頌歌(しょうか)。
・題名中の「需めは「需(もと)め」。
……さて、以上の叙述からお分かりの如く、ここに至って、どうもこの詩は、素直に読んですんなり好きにはなれぬのだ。読後の感触もなんだかごそごそして悪い。それはこの詩が「母の需めによ」るものでちゃんとしたオードを作るつもりが、ちっぽけなものしか出来なかったという題名の歯切れの悪さが第一にある。また、詩の最後までその絶世の美貌の面影は、増田や我々の前に遂に姿を示さぬではないか……増田よ、我は君の反語の「戀はざるもの」の一人なのだ……増田よ、しかし……君はあの時、君の「絃切るる」時、彼女の「花ある頌」故に戦場に向うことが潔く出来たと、言うのか!?
・「安宿媛」の「あすかのひめ」という増田のルビは誤りで、上に記した如く、「あすかべひめ」とすべき。一見、どうでもいいように見えるが、実は「あすかのひめ」は明日香皇女(あしかのひめみこ)を指す訓で、こちらは天智天皇の皇女にして、有間皇子の母方の従兄妹、高松塚古墳の被葬者に擬せられる忍壁皇子(おさかべのみこ)の妻と目される人物を指す(ちなみに彼女も抹香臭い事績が多い)。
・「セント・アンヌ」は聖アンナで、マリアの母(キリストの祖母)とされる人物。
・「赤光」は前掲「赤光」の注参照。
・「佐保の川ぢ」の「川ぢ」は「川路」(川の流れ)。佐保川は『若草山東麓を走る柳生街道の石切峠付近に発し、若草山北側を回り込むようにして奈良盆地へ出、奈良市街北部を潤す。奈良市新大宮付近から南流に転じ、奈良市と大和郡山市との境で秋篠川を併せる。大和郡山市街東部を南流し、同市南端付近の額田部で大和川(初瀬川)に注ぐ。』(ウィキペディアより引用)。
・「奈良坂」はかつての京から南都に向かう古道京街道の途中にあり、東すれば伊勢,南に下れば奈良という古代からの交通の要衝であった。
・「秋篠」は奈良県奈良市秋篠町秋篠寺周辺、もしくは寺そのものを指している。秋篠寺は奈良時代の創建、伎芸天像と国宝の本堂で知られる(但し、平安末に焼失、鎌倉期に再建されたもの)。
・「知らに」の「に」は打消の助動詞「ず」の連用形の古い形。知らずに。
・「法華尼寺」は法華寺で、奈良県奈良市法華寺町にある。真言律宗、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。本尊は十一面観音、開基が光明皇后である。
・「法華尼寺の天才」は以下に記すガンダーラ国の彫刻師文答師(もんどうし)。この名前、とても本名とは思われない。まさに増田の言うように本名は失われてしまって、ニックネームのようなこの名のみが残ったのであろう。
・「御像」は本尊の十一面観音を指す。この仏像については、北天竺の乾陀羅国(ケンダラコク=ガンダーラ)の王が、遥に日本国の光明皇后の美貌を伝へ聞き、彫刻家文答師を派遣、請いて光明皇后を写生して作らしめたる三体の肖像彫刻の内、一体は本国に持ち帰り、他の二体はこの国に留め、この法華寺と施眼寺とに安置したという記載が「興福寺流記」「興福寺濫觴記」等にあるとする(會津八一「南都新唱」注より)。
・「藤三孃」は「とうさんじやう」で光明皇后の別名。「藤三娘」と同じ。]
牧野のダビデ 増田晃
エホバのことばうけしサムエル、エサイにいひけるは、汝の男(を)の子(こ)は皆ここにをるや、エサイいひけるは、尚末の子のこれり、彼は羊を牧ひをるなりと
サムエル前書
五月の曠野の緑の息吹に
クリイム色の仄かな月はゆめもふるへ、
遙かをわたる風は飛越え乘あがり
遠く野の果(はて)におちて鳥を立たす。
立つ鳥の遠い野の果よりいま
見よ その背に白い山羊の仔をいだき
ひとりの神のごとき青年は歩みきたる。
その山羊の仔は幼い金の眼をかがやかし
その柔毛(にこげ)は日をうけてしろがねに溢れ
聖寵のごとく青年の額にかがやく。
見よ その額を その額は膏にきよく
流れすべる百合の露にかこまれ
エホバの擇べる薄紅(うすべに)の琴のごとく
神のみのもつ階調に晴れわたる!
見よ その眼を その眼は天の碧を
細くぬいてつくりたる蘆笛のごとく
飾りなく 曇りなく ただ未來のみを
その珊瑚鳴らすまたたきのうちに創る!
見よ その肩を その肩は隆く日に濡れ
雄叫び唸る牡牛のちからをうけて
山上の大岩の鹽ふいてゆらぐごとく
太陽の庶子の名あげて高まりゆれる!
見よ その足を その足は大樫さながら
天の炬火の力なして大地を斷定し
また 水あげて若やぎに露ふりこぼす
嫩枝のしなふ力で草を踏みゆく!
この草原の果をくぎる香りの森は
組みなづむ腕を縒(よ)らせて朱の息となり、
そのうへにかげろふ紫の山は
いただきに雪握(つか)んで日にくゆる。
見よ ふたたび この五月のうちを歩むものを!
エホバに擇ばれし青年は今歩みゆく。
見よ 三たび この神に擇ばれしものを!
神に擇ばれしこの人を、世にただひとつ
めぐる心臟を見よ、かがやく光源を見よ!
しばし今 野を歩みゆく人ダビデを指して、
萬物の耳は寄り その精はつどひ、
たとへば宇内の力凝つて人化(な)するごとく、
たとへば巖ふかくひそむ大いなるダイアモンドの
射通す光によつて星にまたゝきあるごとく、
山羊抱いて緑野をゆくダビデとともに
萬象宇宙の焦點は移りゆく………
[やぶちゃん注:聖書の注を附けるほど、私は不遜ではない(というより無学である)。詞書中の「牧ひ」は「牧(やしな)ひ」。
・「膏」は「あぶら」と読んでよいか。若さの象徴としての肌の脂ぎった感じを示すか。私のような多脂症の人間には不審不快のべたつく表現であるが。
・「擇べる」は「擇(えら)べる」。
・「碧」は「みどり」と訓ずるべきであろう。
・「大樫」はブナ目ブナ科コナラ属の常緑高木を総称する「カシ」の中でも、アカガシを特定する呼称。樹高は20mを超え、幹の直径も2m前後に達する巨木に生長する。材は強靭で赤味を帯びる。
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「嫩枝」は「わかえだ」。
・「組みなづむ腕」の「なづむ」は恐らく、組むことが出来にくい、それほどに腕の力が満ち満ちていることを言っていると思われる(他に思い悩む、思いに打ち込むの義があるが前段からの流れの中で、その意をとらない)。
・「宇内」は「うだい」で、世界、天下。]
創る 増田晃
薔薇の重なりあふ灼金のおもひに
聖い膏はよろめいて香りかはす。
そのかげでアダムはあふむきながら
白砂のさざめくおほぞらの光に醉ひ
全身をとろかして水母のやうに
いつか深い眠りにおちていつた。
冬をねむり明す蛇のねむりのごとく
手をなげ足をなげ大地のぬくみに
マカロニの汗にぬるんで眠つたころ、
人間を孤獨より救はんとし
神はアダムのそぱに忍び寄つた。
はじめ彼は粘土をこねて同しやうに
今一人の人を創るつもりだつた。
しかしアダムの訴へる寂しさはいつも
自らの息を息づくものが持てないからだ。
この溜息をきいたとき神は默つて
掌に叩いてゐた粘土をなげすてた。
そしてこの寂しい人聞はどうしたら歡喜するか
どうしたら救はれるかを神は覺つた。
神はそのときアダムを熱く扇ぎ
眠りおちた彼を抱きかかへその肩の
熱い麺麭のゆたかさに足をかけた。
そして魚の骨をぬくやうに胸の傍(そば)の
一本の肋骨を力こめてぬきとり
緑草をひたす赤い傷口に
いそいで肉をうめて癒しあげた。
神はその骨に土をぬりぬりあげ
やさしいふくらみを重ねて乳をつくり
息をふきかけて新しいいのちを與へた。
そして薔薇のかげにみちびき その膏の
金のしたたりを爪先まで流させた。
また茂みのなかの銀の百合をつたふ
流星のやうなすずしさを啜らせた。
またその額に束なす美垂穗をかけ
にこやかな赤い螢を宿らせた。
そして手をひいてアダムの傍に立たせ
まどろみとろんでゐる彼を指(さ)して、
おまへはつい今この男より分れ
新しい肉を享けたばかりだと教へた。
その新しい人はアダムを眺めわけもなく
震へながら悦びに聲をあげた。
しかし大きな手にゆすられてアダムが醒めたとき
神のすがたはもうそこには見えなかつた。
そのとき遠くの雲の白い翼のうへより
聖らかな聲がアダムの體をわなゝかせた。
「そこに立つ人はおまへの分身だ。
おまへはもう孤獨より救はれた、
その人はおまへの魂をわけ血をわけ
おまへの言葉をわけ息をわけた。
おまへはもう孤獨に苦しむことはない、
今おまへの得た唯ひとりの肉身の人は
永しへにおまへの息を息づくために創られた………」
[やぶちゃん注:・「灼金」の読みは不明。音ならば「しやくきん」、訓ずるとすれば「やきがね」「やけがね」。ちなみに暗闇で刀が合して擦れ合う際に流れ下る火花をこのように表現する語でもある。ここはやや黄みがかったバラの花の重層する花びらの間の醸し出す黄金色の空間を言うように私には感じられる。ちなみに言っておくが、私は薔薇が好きなことに於いて人後に落ちない。薔薇の好きな人にしか分からない、あるエクスタシーを、私は分かる。
・「膏」は「あぶら」。
・「水母」は「くらげ」。
・「麺麭」は「パン」。
・「美垂穗」は「みたりほ」か。額にかかった髪の隠喩。]
ゴツホ 増田晃
神のみの持つ健康を知れる聖きゴツホよ
炎天下を急ぎ刈りゆく草刈人のごとく
一切を聖化し炎となして過去つた人よ。
御身はありとある健康のうち最高の健康をもち、
それ故に悲しみの終ることなき生涯を送つた。
そして自らの血をもつてつくつた眞實のため
クリストの末子となつて仆れていつた。………
神のみの持つ健康を知れる聖きゴツホよ。
青年の日既にクリストを説いて炭坑に赴(ゆ)く運命にあつた。
御身は常に慘めなもの歎けるものの見方だつた。
そして薄暗い坑夫町の餓えたる若い女の手に
その一日の糧はいつもそのまま手渡されてゆくのだつた。………
ゴツホよ 御身には初から逡巡や拘束はなかつた。
御身は激しいその内の炎のまま神に一切を委ねた。
坑夫宿で坑夫より貧しい生活をおくりながら
行商人のごとく聖書をかかへて放浪(さまよひ)つづけた。
しかし一日初めて繪筆に身をもやす心を決めたとき、
内なる炎はかよわい人工の獸の毛を燃(も)しつくした。
御身は蘆を折り造物主のごとく創造せねばならなかつた。………
眞紅の雲の帶の映える白い杏のかげで
制作は鬪ふごとく煌(かゞや)くごとく進んだ。
水を渡りくるイエスのごとく歩む御身は、
苦しめる人類を慰安せんとして描くのだと語る。………
その後激しい制作はやがて南フランスの
アルルの夏の炎天下を待つて絶頂に達した。………
神は炎天下の末子を狂はさぬため自らを發散する術を教えた。
御身は揮發油にも似て自らを放電し天に凱歌をあげる。………
たとへば金と黄の梅酒をふりはらつてをののく向日葵を見よ。
蒼白い炎の息をはいて或る一瞬が待つてゐる。
火神となつて緋と青の空を慕ふその花辨の一枚ごとに
たえざる放電のひびきが鳴つてゐる。………
また煮え返つて天に噴騰る黒き糸杉(サイプレス)を見よ。
どうどうと地鳴りする大地の橙と黄の叫びが草となる。
桃色と青の渦巻き上る雲の下に山嶽が蒸上る。
その一切を包む白金の眩きのなかに放電する糸杉(サイプレス)を聞け。
そこに御身に宿つた神がきこえる。………
自然がすべて脈動であるごとく御身も脈動した。
自然がすべて人知に動かぬごとく御身も人知に動かない。
自然がすべて不秩序の秩序であるごとく御身も然り、
自然がすべて愛にみてるごとく御身も愛にかゞやいた。
その愛は次第に御身を悲劇に誘つていつた。
何人もの女が御身を拒んだ上に友人たちも御身を捨てた。
しかし御身は彼等を憎んだか? 否、大いに否!
御身は愛さずに措けぬ樣に運命づけられてゐたのだ。
しかし人々よ 二百十日の疾風(はやち)の残り風に
扇の尾をしぼつて翔る小鳥らを見送る時、
哀しき人よ、神はいかなる憤怒より
大空に覆面をなげうつて狼煙(のろし)を擧げたのか。
櫛のごと雲を梳く塔のもと異教の薫香が焚かれたる故か。
また槍ぶすま眞紅の旌旗を蝟集させて天を射る反逆の王の故か。
また憎惡に黄獨せる大河より魔王が勝利の叫びを擧げたる故か。
まだ擲彈と惨殺のうちにひしめき寄る好戰の民の故か。
否! 否! 神は地上の確信と傲岸を窺ひ見たる時、
抑へ難き孤獨の羨望と絶望に諸手をわななかし、
狂へるごとく雷神をひきおこし雲を稻妻の矢で裂落したのだ。
ああ冬近く月桂樹の花さく青い夜氣のもとで、
ゴツホよ、御身は鋭い剃刀をかざしてポオルに迫る。
しかし御身は急に踵をかへして數重なる悲しみを爆發させて狂ふ。
その剃刀で自らの耳を切つてたふれる。………
しかし神のみのもつ健康が ゴツホよ 御身のうちにあつた。
再び狂ほしく制作にむかひながら
友情ほど深いまことがあるかと言つて強くうなづく。
動哭しつゝ御身は詫びる、そしてやはりポオルを愛してゐる。
それに又癲狂院の患者たちの深い友情に立ちまぢつて
こゝにもまた神のひかりが見えると喜ぶのだ。
しかしくはへたパイプからはいつも火の煙が蒼白にあがり續ける。
それは測りしれぬ火山のごとく 又硫黄をかくした花の深淵の樣だ。
自ら削ぎとつた耳に纒帶して落込んだ眼光をよせてゐる。
おおゴツホよ その先の御身は私の想像を許さない!
絶作「三本の樹」の枝葉は魔女の指のごと天をよろめかし、
迫りくるハデスの世界の壁面なして絶えずゆらめき、
悲惨と狂苦に神となるひとつの靈を高く捧げて
白百合の天使の腕を待ちうけるのではないか。………
ああその後直に御身はわが身に彈丸(たま)を打ちこんだ。
刻々近づく死に向つて御身は何を語つたのであるか。
御身の語つたごとく悲しみは生きてる間は續いてゐたのだ。
ゴツホよ 悲しみは生きてる間は續いてゐた。
御身には愛される妻もなく又守るべき家庭もなかつた。
しかし御身は絶間なく愛する、それが大きな傷みだつた。
神のみのもつ健康を知れる聖きゴツホよ。
すべてのものを白金の後光をもつて燃やしたゴツホよ。
ありとあらゆる麺麭のうち唯一の麺麭を知れるゴツホよ。
御身は自らの血をそゝいでひとつの眞實をつくつた。
その眞實のためけふ黒檞の十字架を負ふ。
おお それこそ地の鹽とならむとして燃上りつゝ
御身のうちにかがやく休みなき愛のしるしだつた。
そしてその愛故に御身は滯まる時を知らず
クリストの末子となつて仆れていつたのだ。………
[やぶちゃん注:炎の人Vincent van Goghへの紀伝的叙事形式の悲憤慷慨激烈なオードである。
・「過去つた」は「過去(い)つた」で、逝ったの意。
・「噴騰る」は「噴騰(ふきあが)る」。
・「糸杉」ゴッホの描いたのは地中海沿岸に植生するマツ綱マツ目ヒノキ科イトスギ属ホソイトスギ(イタリアイトスギ) であろう。
・「旌旗」は「せいき」。軍隊のはたさしもの。
・「黄獨」は「黄濁」の誤植ではあるまいか(ちなみに、「黄獨」は漢方薬に用いられるヤマノイモ属ニガカシュウの漢名としてはある)。
・「ポオル」は、ゴッホの盟友にして画家のEugène Henri Paul Gauguin。
・「纒帶」は「てんたい」=包帯。
・『「三本の樹」』★探索中!
・「ハデス」はギリシャ神話の冥界の王。またはその冥界そのもの。
・「麺麭」は「パン」。
「黒檞」はブナ科コナラ属シラカシ。不思議なことに樹皮が黒いことからクロカシとも呼ばれるのである。]
増田の「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」
で停滞している。
この詩が好きになれない。
好きになれない詩に注釈を付けるのは苦痛だ。
しかし、そんな勝手は私の中の最もおぞましい教条主義的部分が許さぬ。
だから、とんでもない注釈になりそうだ。失望してお待ちあれ。
雪の山 増田晃
あさ!
南佐久の巨人たちの
天上にめざめる譚詩をきけ!
たちのぼるきよい息に
大きな額をぬらしながら
山山は歡喜にむせぶ
白金に赤に黄に金に
立上る峯 ひかりあふ峯々
天空の大きな伽藍たちは
いまレースに飾られてゆく
すばらしい刺繡にかざられて
傳説と星座をささげる山山!
かれらはいただきにひかり受けて
胎兒のうごきのなかから
しづかに眉をひらいて祈り
すでに母の優しい聲につつまれる
その聲にうたれていまいただきは
原始の彌撒にかがやき
歡喜と動搖にうづまき
天の新酒はその赤の
酸い赤の泡立ちを
谷そこの湯氣のなかへ落してゆく
谷そこより立ちのぼる靄のうへに
山山のかゞやきは火となり
陶醉し 祈り 祝福し
朱丹にきらめく額をあげ
頂から谷そこへ 深い湯氣のなかへ
春の若駒の馳け下りるやうに
新酒は一度に濫入する
見よ 全貌をかゞやかしかける山山
かれらは今すでに新しい肉身である
新しい未來であり 聖母である
かれらは産聲と抱擁
そして祝福と復活!
新しい活動と肯定の展ける直前
この偉大なる敍事詩を見よ!
いまここに住む人の悲慘も寂莫も
そこに棲む動物の凍死も屈從も
しづめられたままの呪も木魂も
すべて報ひられ 新しい肉を享け
抱擁に醉ひ 今日を信じ
諸手をあげて立ち上るとき
總身水晶にかがやく山山は
すべてを抱き擁へうづくまり
あたらしい未來を指して啜泣いた
[やぶちゃん注:・「南佐久」は現在の長野県南佐久郡。
・「譚詩」はバラード(仏語“ballade”)。
・「額」は「ぬか」と読みたい。以下も同じ。
・「彌撒」は「ミサ」と読む。ローマ・カトリックに於ける祈りの儀式。
・「酸い」は「酸(す)い」。]
赤光 増田晃
噴き井の水があふれるやうに
愛はひとのむねにもりあがる。
息をつめてふくらむむねから
珊瑚をならして愛はこぼれ、
この優しいエンゼルのうたは
雪崩百合のやうに胸よりおちる。
ああ 愛あるものにのみ
自然は若さをおくる。
ラトモスの頂にねむる童子は
やがて赤光の若さに目醒める!
この世にもしつみびとがあれば
それはこの白樺を折るものだ。
愛は無言のこころにもえだし、
無言のくちびるを結びあはせ、
山かけすのやうにかたいむねを
切なくよせて歎かすのだ。
ああ愛よ屈托あるな、
白菜のごとく卒直にあれ、
愛するものよ君らのうたには
アモールの白酒が滿ちんことを!
二人の眼がはじめて會つたとき
炭火のやうにはげしいおもひが
かれらを小鹿のやうにするなら
二人は思はないであらうか、
遠い昔神の御手にそだつた
二羽の銀鳩はこのわれらなのだと。
ああ この世の愛はすべて
いつかは天上に約された。
この世にあることはもう既に
その約束を移すばかりなのだ!
驢馬にくはれたちひさな木槿は
いつも微風とほゝゑみかはし、
やはい頰をしたましろの雪は
裸岩をやさしく抱いてゐた。
すべての調和には善も惡もない!
ただ嫩枝のやうにのびあがる愛情!
ああ 私はこの一粒の苺にも
妹にむかふやうに話しかける
友よ そしてどんなに澤山
愛するものを知らずに來たか!
[やぶちゃん注:「赤光」(しやくくわう)とは何か? この語は大正2年刊行の齋藤茂吉の歌集「赤光」によって人口に膾炙した造語と思われるが、これは「赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥けかり野は涯ならん」という彼の短歌に基づくもので、而してその赤い光とは茂吉が母の野辺の送りの夜空に見た光なのである。では、それをここに援用できるかというと、明らかに無理がある。そうして「ラトモスの頂にねむる童子は/やがて赤光の若さに目醒める!」という詩句は、これを自然に旭日の光若しくは開明する鮮烈な日光と結びつかせるように感ずるが、何如であろう。
・「雪崩百合」は不明。全くの直感ながら雪崩斜面に群生するクルマユリ(ユリ目ユリ科ユリ属クルマユリのことを指すか。それとも、雪崩の如く不思議なスローモーションのように永久落下する幻想の白いユリのイメージか。
・「ラトモス」は山の名。直後のその山の「頂にねむる童子」とは、ゼウスの子(若しくは孫)とされる美少年エンデュミオン。月の女神セレネとの悲恋で知られる。以下にウィキペディアの記載を引用する。『ある日、山の頂で寝ていたエンデュミオンを見たセレネは、恋に落ちた。自分とは違い、老いていくエンデュミオンに耐えきれなくなった彼女は、ゼウスに彼を不死にするように頼んだ。ゼウスはその願いを聞き入れ、彼を永遠の眠りにつかせた。一説によればセレネ自身が行ったともされる。以降、毎夜セレネは地上に降り、眠るエンデュミオンのそばに寄り添っているという。エンデュミオンが眠る場所は通常ペロポネソスとされるが、一説によればカリアのラトモス山とされる。そのため、エンデュミオンの墓はエリスとラトモスの両方にあった。カリアのヘラクレス山の人々は、彼のためにラトモス山に神殿を建てた。また、セレネとアルテミスが同一視されるようになってからは、恋の相手はアルテミスとされるようにもなった。』
・「山かけす」はスズメ目カラス科カケス属ミヤマカケスを指していよう。
・「銀鳩」はジュズカケバト。よくマジックに用いられる白いハトである。
・「遠い昔神の御手にそだつた/二羽の銀鳩」の因るところの神話は不学にして知らない。ご教授を乞う。
・「木槿」は「むくげ」で、アオイ科フヨウ属ムクゲ。落葉低木。花期は7~10月で、10㎝程の花が次々と咲くことから朝鮮語では「無窮花」と呼ばれ、ムクゲという和名もその音に基づくものと思われる。しかし、一個の花は朝方に開き、夕方には凋む一日花である。増田は「ゆめ」で孤独な存在としてこれを比喩に用いている。
・「微風」は「そよかぜ」と読みたい。
・「嫩枝」は「わかえだ」。]
日光尊者 増田晃
――三月堂佛像 天平時代
日光があなたのあしもとにかがよふた
低い聲があなたの耳もとでかうささやいた
「おまへは日光尊者と名のるがいい
おまへは私の息吹によつてかがやくであらう」
そのときからあなたの眼は
ふしぎな氣魄にらんらんとしてきた
天上の炎があなたに宿つたのだ
あなたの夢はやがて天馬にうちのり
星の群林をとびこえ
白い旗印をはためかせて天へかけのぼつた
それゆゑあなたのまへに立つと
ひとは身ぶるひを覺え
日に灼かれるやうな觀喜と
衝動と磁力とをかんじたのだ
あなたの脣は
赤いくすんだ色をのこし
大日輪のめぐみをたたへて
豊かに綻びかけてゐた
その脣をみてゐると
ひとは艶々した栗のまろみを思浮べたり
いま開いたばかりの花をおもつたりした
そして自分たちの犯したつみも
自分たちを傷けるものとはならないで
その思想にますます厚みを加へ
花のやうなナイーヴさを增させるものと感じた
あなたのもろ手は
若草のやうにやんわりあつてゐた
その合掌は未來への大道を示してゐた
ひとはその合掌をみて
天地の上も下もない燐光のあひだに
一つの大いなるものの出現を直感した
そして一日つひにあなたの夢は
龍のしるしの日の車をかつて
突如 天上の崖頭にあらはれた
ある日 三月堂の大扉が左右にひらかれ
日光のかがよひはあなたの足もとに雪崩れ寄つた
「おまへはもはや佛像でなない
おまへのゆめはおまへ自らの姿だ
おまへはまさに天日 そして既に私だ」
かう低い聲があなたの耳もとで囁いた
[やぶちゃん注:東大寺三月堂に安置される日光菩薩をモチーフとする。日光菩薩は一般には月光(がっこう)菩薩と共に薬師如来の脇侍として薬師三尊の一部をなす。正式には日光遍照菩薩と言い、発するところの一千光明によって遍く世界を照らし、それによって諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとする。但し、三月同の本尊は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)であり、この仏像は客仏(仏像が他の寺から移されること)された際に「日光菩薩」と呼ばれるようなったとされる。確かにその姿態は一般的な日光菩薩のポーズとは異なる。
・「脣」は「くちびる」と読みたい。]
*
ちなみ言う、東大寺なら
私は十七年前、教え子に導かれて見た戒壇院の廣目天にとどめを刺す。
西田明史に與ふ 増田晃
藥師寺聖觀音のうでを撫でて
私は秘かに日本のいにしへの乙女を慕つた。
昔、まだアモールが眠りこまなかつたとき
美はいかに生ける炬火をかゝげてゐたことか。
しかしけふ天禀ある若き造型の友よ、
君の温い木彫(くるみ)の乙女の肌に手あてて
また流れる編まない髪をゆめみ乍ら
私は初めてけふの日本の乙女らに驚愕する。
さうだ、君の温い木彫(くるみ)の乙女を知つてから、
月が若葉を透かして絹糸を繰(あや)る宵ごと
私は窓を明放ち 戀人と指からませながら
愛の囁きに醉ひながら 優しい背中を撫でながら
また脣を脣でおさへながら をさない乳をにぎりながら
君の敎へる相聞牧歌に感動するを常とする。
神は在り! 私は君の敎へる日本のみを愛する。
(われら知る、多く人の説く日本の貧しさよ。)
ある人人は愛を失ひ既に人間でなく、
また云ふことなくしてしかも云ひ張り、
時たま饗宴に列(つら)なる人はただ己が脈膊を聞かぬ。
しかし君は日本のリズムを敎へ誇りを告げ、
かくも節奏を彩り 夢を櫛(くしけづ)つた。
だが君よ、それにもまして輝かしい事は、
今迄ただ愛してばかり來た乙女に翼をあたへ
はじめて白鳳の昔に眠りこんだアモールが
死んだのではないと私に語らせたことだ。
[やぶちゃん注:私は如何なる彫刻作品も建築作品も触れることが出来ないものは、作品として真の価値を認知できない人間である。冒頭から「藥師寺聖觀音のうでを撫で」る増田は私の盟友である。西田明史氏の履歴については、残念ながらその仔細を知ることが出来ない。彼が作った著名人の銅像等はネット上で見ることが出来るが、さし当たって私にはこの詩集の表紙を含めた4枚の絵(見返しも含め)にのみ好ましい興味があるだけである(彼の没年を御存知の方はお教え頂きたい。彼のこれらの絵が最早、著作権侵害に抵触しないとなれば、これは是非、一緒にアップしたいほどに、素晴らしい絵であるからに他ならない)。そうして、詩集一巻を飾ってくれた芸術家に一篇の讃歌の詩を忘れない増田という詩人の真心に打たれるのである。……しかし、それはこれが増田にとって、たった一度きりの讃歌であることが分かっていたからでもあった。……そうしてそれは、皮肉にも二重の意味に於いて。詩人が詩人の現実の死を眼前に見据えたという意味に於いて。そうして……その後の西田氏の創作活動は、果たして遠い白鳳の昔に眠りこんでいた愛の実相を現代に美事に復活させたかという意味に於いて……である。
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「天禀は、一般的には{天稟」と書き、「てんぴん」又は「「てんりん」と読む。生まれつきの才能。天性の才。
・「木彫」を「くるみ」と読むことは不学にして初耳であった。「刳る身」の転でであろうか。不明。
・「脣」は「くちびる」と読みたい。
・「節奏」は「せつそう」で、リズム・律動の意。]
「やぶちゃんの電子テクスト集:俳句編」に「やぶちゃん版萩原朔太郎全句集」を公開した。恐らくその少なさに意外の感を持たれる方も多いであろう。しかし、これが全集所収のすべてである。注記にも記した通り、未発見句は多いものと思われる。
月光の幻影 増田晃
夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり
大きな礎石に肘ついたまま長く
うつむいて私(わたし)はゐたやうだ。
あたりいみぢくも香煙のぼり
しかもこころ中太くふくらみながら
丹柱とさだまるのを見てゐたやうだ。
強ひられて私(わたし)の魂は肉體(からだ)をすて
おぼろげな長石の葛石になげられよれば
雲斗は音なく渦まきながら
花忍冬こづゑにあるごとく
しかもしわしわ私(わたし)の腦髄(なづき)を皺よらせた。
ねむる私(わたし)の腦髄(なづき)なぞへのきざはしに
わが涙の珠の紗かけて一人の姫はたたし、
幾たびか砂にくはれた私(わたし)のむくろの
朱(あけ)の燐々のなみだを振りこぼした。
緑のみぐしに橘の花
手になめらけき琥珀の横笛
姫よ それはいつの遠い測りあへぬ御世(みよ)であろう。
入鹿の反逆に自經(わな)きたまうた大兄につぎ
さだかならぬ野に露と御果(は)てし
貴き姫の御歎かひ、
または白鳥と化(な)りてもどりたまひし
その御靈(たま)のみふれぞとも。
私(わたし)の影は葛石より額あげ
雪煙のごと御(み)足がかたに打ちあがり、
極光の襞あげてかゞやく日輪ともみゆる
ひかりある御(み)瞳をば仰ぎつづける。
姫よ まこと御身がために斑鳩(いかるが)まもり
血の噴霧器(きりふき)となつたる舍人(とねり)らの
名もつたはらぬ一人(いちにん)こそ私(わたくし)が。
または長い失踪のはて前世の記憶に歸る
唯(たゞ)一人(いちにん)の悔あらぬ戰慄。
なべての怺へかねたる悲願より
私は仰いだまま うつむいたまま
とめどもない身震ひにさめたやうだ。
諸人(もろびと)ら滅びゆきし無明のさかひより
瞼の透きとほるほど泣いたやうだ。
夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり
ななめに月光がこぼれてゐる………
法隆寺夢殿ちかくに今の法隆寺より大きな建築が予想される、その礎石は大阪の物持ちが庭石にしてゐるさうである。山背大兄御自害の跡か、否か、勿論文献にない。この建築が若草伽藍と名づけられるといふのは、故原田亨一先生の持説であつた。その名のあはれなるままに記してかなしい記念とする。
[やぶちゃん注:ここで舞台となる若草伽藍とは法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡で、原法隆寺と言うべき斑鳩寺の遺構とされるもの。考古学的にはその創立年代現在も多くの議論がなされている。
・「いみぢく」はママ。
・「葛石」寺社の建物に於いて基礎や壇などの最上部の縁で縁石(へりいし)を兼ねる長方形の石。
・「雲斗」は「くもと」と読み、和様建築(平安期に中国伝来の様式を日本的に改変し建築様式)でも特に飛鳥時代に特徴的(まさに法隆寺に代表される)な柱の上の大斗・肘木(ひじき)・小斗から構成される装飾部分「斗栱」(ときょう)の一様式。雲を象ったような意匠を持つ。
・「花忍」は狭義ならばナス目のハナシノブである。これは現在、阿蘇にのみ自生するレッドデータブック絶滅危惧ⅠA類である。比喩であるので、これでとっておくが、増田が実際にイメージしたのは同科のシバザクラ等ではなかったろうか。
・「腦髄」の「なづき」の読みは、古語。
・「なぞへ」は「準(なぞ)ふ」という動詞の名詞化したしたものか。「準ふ」は或るものに等しいものと見なす、擬す、の意であるから、私の脳になぞらへた階段に、の意味か。
・「紗」は「しや」で、薄衣。
・「姫はたたし」は、やや文法的に無理があるように思われるが、「姫は立たし」で、私の幻想の脳の階(きざはし)に私の涙の薄絹を纏わせた幻想の姫君を立たせ、の意ととる。
・「なよらけき」は「なよびかなり」の意味の「なよらかなり」という形容動詞を形容詞化(やや無理がある気がする)ものか。手に柔らかい、しなやかな印象を与えるという意であろう。
・「入鹿」は蘇我入鹿。以下は、彼が実権を握るために古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)擁立しようとし、その際に邪魔となった聖徳太子の皇子である山背大兄王(やましろのおおえのみこ)を襲撃、山背大兄王は逃走先の本作の舞台、斑鳩寺で自死した。
・「自經」の「わなく」は「罠」(紐を輪状にしたもの)で、自身の首をくくる。縊死する。
・「大兄」は山背大兄王。
・「姫」は、山背大兄王の妻である舂米王か、または、その間に生まれた皇女である佐々女王、三嶋女王のいずれかを指すか。狭義に考えれれば後者の娘たちか。
・「白鳥と化りてもどりたまひし」はヤマトタケルのことを指すのであろう。しかし、そうすると「みふれ」が分からぬ。白鳥と化して大和を指して飛んだヤマトタケルの魂が流す痛恨の涙、それを「みふれ」=「御降れ」と言ったものか。しかし、それが何故山背大兄王の「姫」の嘆きと並列できるのか、私には説明できない。
・「極光」はオーロラ。
・「斑鳩」は法隆寺の前身とされる斑鳩寺。「入鹿」の注参照。
・「舍人」は、天皇や皇族に近侍し雑務を司った者。
・「怺へ」は「怺(こら)へ」で、我慢する。
・「原田亨一」は「近世日本演劇の源流」「平安時代の芸術」「伎楽雑考」及び正倉院関連の論文等の著者である原田亨一教授と同一人物か。氏の経歴について御存知の方はお教え願いたい。]
南佐久の夜の壽歌 増田晃
女山のやすらかな裾原の
夜(よ)をひびきゆく瀨音、
その水音に耳澄ますものは
月光の銀の鬚研ぐ男山、
また曙がたいつも霧を孕む
優しく煙りこむ深い谷々、
また答へさへなき木魂(エコオ)
妻を呼んで寂しく鳴く梟ら
また夜露に濡れた丹や紫の躑躅(つつじ)に
踊りつかれた仙女の一むれ………
[やぶちゃん注:「南佐久」は現在の長野県南佐久郡。「壽歌」は「ほきうた」。「ほぎうた」と濁るのは近世以降で、他の詩にも通底する原初的な増田のイメージを尊重するならば、私は是非「ほきうた」と読みたい。
・「女山」は「おんなやま」で、南佐久郡川上村にある。標高1734m。同村の千曲川を挟んだ北の標高1851mの男山と対をなす。
・「梟」はフクロウ目フクロウ科フクロウ。彼らは原則的に一夫一婦制である。]
村上昭夫忌に。
*
愛 村上昭夫
悪魔のように愛すると言ったなら
身をふるわせて幸福だというだろう
神のように愛すると言ったなら
かげろうよりもはかなく
言葉さえなくするだろう
未来永劫にくりかえされる
この世界のなかいっぱいに
紙片よりもうすい愛
はかない愛
うすい愛
嘘の愛
愛がただよう
鎭魂歌 増田晃
わが魂よやすらへ
伽藍のかねのものうい餘韻に
凋む秋薔薇のたましひよやすらへ………
林は濕(しめ)やぎ 空はわすれ
名も明さない山山はめぐり
否んで答へぬ海にぞやすらへ………
曉夕(あさゆふ)くもは地平をつつみ
無心の獸(けもの)は自らの息をきく
その儚いうつろひのうちにぞやすらへ………
わが魂よやすらへ
大海のほとり轟(とどろ)なる怒號の絶間
天地(あめつち)の沈默のあひだにぞやすらへ………
伽藍 増田晃
曙のほのかな太息(ためいき)がもれるころだ。………
眠りとろんだ若い男のやうに 湖はまだ身動きもしない、白花彩のうすれた朝空には にこやかな赤い螢ほどの 寂しい月のきぬずれが消えてゆく。………
わたしは湖のほとりに寢て 澄んだ翡翠のひかりのおくがの かすかな谺のまじらひに耳すました。それはまた水の精となつたアリエルの 嘆きのやうに涯しない。………
しだいに白花彩が消えてゆき 眞紅の力ある膚をもつ 火山が湖より立上るころは水のおもては一面の玻璃、ただ雪のひらめきに輝くにすぎなくなつた。………
その透通つた湖の底にわたしは散り集る伽藍を見た、その寺は大きな玄武岩の石材を きりぎしのやうに水底に搖めきいらせ、清らかな泡で銀をかぶされて輝いた。そのはるかな底には大きな鐘がゆれ、その伽藍は静かに深みに沈んでゆくのであつた。そしてその反映ばかりが漣なして 全水面に光りはじめた。………
たとへどんな高い聲で呼ばれても わたしは自らの聲しか聞かないのだ。わたしは放恣に疲れた心に 白粥でも啜らせるやうに 暖い聲をかける、わたしは曙の凡てと同じ肺から 仄かな太息(といき)をついたのである。………
[やぶちゃん注:・「白花彩」は、朝焼けの空に起こる雲か光の何らかの天文現象を言っているようであるが、お手上げである。
・「おくが」は一読「屋瓦」であろうと思ったが、であれば歴史的仮名遣いの表記は「をくぐわ」で大きく異なる。増田にはやや仮名遣いを誤る(口語化する)傾向が見られるので、一概に否定は出来ない。主人公の幻想の館の翡翠の屋根瓦は、私には自然に連想出来る。
・「アリエル」はイギリス民話に登場する優雅な翼を持った妖精(ニンフ)というが、特に知られるのはシェークスピアの「テンペスト」やゲーテの「ファウスト」に登場する大気の精。しかし、「水の精」「嘆き」としっくりこない。]
*
本詩については、現在、知人に幾つかの疑問点を紹介中。今後の新知見は、独立ページ製作時に追加する予定。
夜曲 増田晃
きみの膝におもて伏せて生薑水のやうに辛(から)い夜露に濡れてゐたい。
この木蔭に隱れてゐるわれらを月が除虫菊のあかりで探出すまで
きみの膝におもて伏せて緑の滿ちた苗代のやうに泣戰ぎたい。………
やがて月のまぶしさに醒されてうすく發電するきみの瞳が
極光の襞あげてかゞやく日輪のごとく仰ぐわが眼に注がれるとき
われらこの森を捨ててかげ遠く霞み集る髪座の方へ昇りゆかう。………
(舳に篝火たき心なめて下りきたる 大銀河のみぎはのコーラスを 遣りすごして・・・・・・)
[やぶちゃん注:・「生薑水」は「しやうがすゐ」。
・「除虫菊のあかり」とは、一読当初は、電照菊の実際の明りのことを指すかと考えたが、電照菊は花を季節はずれに花を得るために昭和12年に豊橋で始まったのが最初であるとされ、更に除虫菊とは無縁であろうと思われ、ここは除虫菊は除虫成分ピレスロイドpyrethroidを得るために栽培されるシロバナジョチュウギクの白い花を「あかり」と比喩したものであろう。
・「戰ぎ」は「戰(そよ)ぎ」。
・「極光」はオーロラのこと。増田が「オーロラ」と読ませるつもりならば、ルビを振ったはずなので、ここは素直に「きよくくわう」と読む。
・「髪座」は星座名。「かみのけざ」ととりあえず読んでおく。かみのけ座Coma Berenices。本星座は数少ない史実に基づく伝説を持つ。以下、ウィキペディアより引用する。『古代エジプトの王で、アレキサンドリアを文化中心都市にしたプトレマイオス3世Euergetes(在位紀元前246年-紀元前221年)とその妻で王妃のベレニケ(Berenice2世)が主な登場人物である。紀元前243年ごろ、プトレマイオス3世王は、自分の姉妹を殺したアッシリアを攻めた。ペレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディテに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えた。翌朝までに、髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノン(Conon)は、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ、髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。そして、その場所はこれ以後、Bereniceのかみのけ座と呼ばれることになった。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた。』。
・「舳」は「とも」(船尾)か「へさき」(船首)の両方の読みと意味があるが、後者ととっておく。
・「篝火」は「かがりび」。]
火の鳥 増田晃
曙ちかく
まどろむ葉かげに
金箔かさねて
虹がむれたつ、
そのかげで
色硝子浴びながら
麗しい雨こぼす火の鳥!
やさしい娘のやうに
口紅さす娘のやうに
ひとり金の胸濡らす鳥!
曙の火搖れに
身を投げた牝鹿が
歌ひのこした戀のうたを
緑玉の露の梢に
彼女がうたふ!
歌ひゆくその聲聞けば
さしのぼる火の葦に
月のかけらはこぼれ
怖しいそのほてりは
くれなゐの胸毛に亂る!
亂れ胸毛の一枚ごとは
いつか語る筈でしかも
折をなくしてしまつた
低い愛のさゝやきであるのか、
その歎きがいつか
珊瑚の紋をひろげて
暗い額に香をゆするのか、
そしてこの歎きが
蝶々はためく蘭を灼き
火に煽りたて眼に火を滿たせ
この娘(こ)の肩をぐらぐらさせて
天頂の日の炎を指(さ)すのだ!
――やがて狂へるフエートンのせて
緑の車は轍をはづれ
低く豹のごと下り來れば
天上の蝎(さそり)惡寒にめざめ
獅子たちは鬛みだし
雷獸は火を蹴ちらして
海の緑も白く泡立つ!
見よ そのとき
その火のかたへいま
火の鳥は鋭く鳴きたち
磁石にむかふ鐵片なして
ひとへに鳴立ち昇りゆく!
火に戀狂ひ 火に憑かれ
天頂さして飛びゆくものを
やがて凋むためいきのごと
西夕ぞらへ月は缺け
花火散つて聲はかすれ
宙を縫つてほどもなく
かなしき鳥は下りきたる!
緑草に溺れ 胸毛うすれ
金の棗はこまかく崩れ
そして火! 火!
鋭くさけぶその舌は
ほそく赤くちらちらし
それも日と共に傾きゆく、
とほくで
巴旦杏の熟れる匂がする
たそがれが來たのだ、
むらがる靄のひとむれは
庇髪をくらくかざす、
そして傷(いた)めるこの娘(こ)は
木魂や蜘蛛にとりまかれ
そこにゐるのは夜ばかりだ、
けれどいつか木の間には
金明りするけはひが動く、
紫の葉つたふ夜露は
そこだけ水晶の籠になる、
かくて希みはねむるこの娘(こ)の
この火の鳥のふしぎなさだめ
賴りないその行く方に
白いあはい手をおくのだ、
ああ といつて眼に
接吻をふりそそぐ、
――けれど而し 夜更けてふと
彼女はかつと眼を見開くことがある、
どこか彼女を呼ぶ聲がする、
誰だ! 亡者どもか!
いつも晝ひなか
彼女を狂はす天上の
火の彼方に叫び呼ぶ姉妹か戀人か?
火!
火!
彼女はかつと眼を見開き
銀の翼を打ちあはせ
汗ちらしながら
鋭く叫ぶ!
そして彼女が人間だつた頃
姫だつた頃
深く戀しあつた王子が
神の怒に觸れ地獄に落され
火の淵にあへぎ
その戀人だつた姫が
いまは鳥とされて
ふしぎな耳もつ火の鳥とされて
いまだ息ある王子の
やかれる叫びだけを
あのもえさかる天の炎の
ゆくへもわかぬ深いところに
たゞ聞いてゐる、
そしてその聲を聞くたびにいまも
昔のやうにいまも彼女は
賴りない女の聲で泣沈むのだ………
[やぶちゃん注:フェニックスの神話は世界各地に存在するが、増田が基底とした神話がその中の何であるか、不学にして私は知らない。後半の姫や王子のモチーフには具体的な「火の鳥」伝承が背景にあろうかとも思われる。当初はロシアの「火の鳥」伝説を用いた著名なストラビンスキーのバレエ「火の鳥」かとも思ったがストーリーが全く異なる。識者のご教授を願う。
・「火搖れ」は「火搖(ほゆ)れ」であろう。
・「火の葦」とは火の鳥によって発火した葦が燃えながら天空へと火の粉となって舞い上がり立ち登ってゆくイメージか。
・「香をゆするのか」は、「くゆらせるのか」の意味で、嘆きがその額あたりに嘆きの香りを揺らめかすのか、という表現か。
・「フエートン」はギリシャ神話の太陽神ヘリオスの子、パエトーン。ウィキペデイアによれば『パエトーンは、友人達からヘリオスの子ではないと言われたため、自分が太陽神の息子であることを証明しようと太陽の戦車を操縦した。しかし、御すのが難しい太陽の戦車はたちまち軌道をはずれ、大地を焼いたためゼウスによって雷を打たれ最後を迎えた』とする。
・「鬛」は「たてがみ」。
・「金の棗」の「棗」は「なつめ」で、バラ亜綱クロウメモドキ目クロウメモドキ科のナツメを言うが、ここは「金棗」で金柑、バラ亜綱ムクロジ目ミカン科のキンカンの実を意味しているように思われる。所謂、金色の実ということであれば、断然、後者がぴったり来るからである。
・「巴旦杏」は「はたんけう」で、バラ目バラ科サクラ属ヘントウ、アーモンドである。]
*
今日、遂に詩集「白鳥」の翻刻を終えた。しかし、この詩集、後半に行くほど、魂の重量が無限に広がってゆく。つい昨日まで、僕は後一週間もすれば、ブログでのアップは終わって、今月末には悠々と増田晃詩集「白鳥」をページ化出来ると、安易にも思っていた。いや、これは恐ろしくも素敵な壁だ……貧しい僕の魂の自覚を正直に表明しながら……惨めな僕は……しかし……確かに僕は僕の誰も訪れることのない玄室に素敵な増田晃の絵を一人占めにする……
汝は活ける水の井 増田晃
朱と褐色のざらざら光る砂のうへで
わたしは裸のこひびとを見つけた。
彼女は身籠りのからだを砂に置き
移り香ほどに濡れた瑠璃の瞳を
天になげてうつつに夢みながら
その珊瑚の脣(くち)のあはい微笑を
安らかなためいきで濡らしてゐた。
乳のしたには手毬でも抱くやうに
赤い素燒の水瓶をかゝへ抱き、
そしてその口からは絶えず狂ほしく
牛乳のごとく香ばしい水が溢れ落ち、
放恣の時のもの哀しさを踏みながら
若々しいよろこびに雪を沸かせた。
その聖い水をてのひらに享けながら
わたしの胸はふしぎな思ひにふさがり
うみぬくむ白飯のやうに震へだした。
彼女の大きな眼は聖母のやうに私を見つめた。
やがて水はその眼からも珊々と晶めき落ちた。
[やぶちゃん注:本詩の題名の「井」は「せい」と音読みしたい。それは単に「精」との音通の快い響きからである。「汝」な「な」でよいであろう。
・「放恣」は「はうし」で、勝手気ままでだらしがないさま。
・「うみぬくむ白飯」という語句は意味不明。識者のご教授を乞う。
・「珊々と」は「珊々(さんさん)と」できらきらと美しく輝くさま。
・「晶めき」は「晶」(きら)めき]と読ませている。]
爪を染める 増田晃
大川のほとり七月の夜氣のものうきおもひの
鳩尾(みぞおち)にしむそのやるせなさ もの秘めたさの戲れごころ………
つれづれに爪染めかはし身近きゆゑのそなたの髪の
ほのけき炭火であぶられる息ぐるしさ………
こひびとよ お見せ 螢よりもいぢらしいおぼろげな爪を
いま爪紅(つまくれ)で薔薇いろに染めたばかりの爪をお見せ………
(玉虫の緑金の繻子より脆く
朱(あけ)の小箱のほつくよりやわく
赤いぼんねの紐よりうすく
すうぷにとけゆく麭麺よりかたい
おまへの光つた爪を見せて………)
こひびとよ 文月の夜(よ)の七夕すぎの
物干に涼むこころのその稚さ その哀れさ………
身近に匂ふ甘酸いそなたの髪に醉ひながら
かなたに光沸く街のどよもしを聞くその切なさ………
こひびとよ 夏の夜氣のたのしい戲れごころに
お見せ 今染めた可愛い爪 爪紅(つまくれ)に濡れたるこころを………
[やぶちゃん注:・「爪紅」はフウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカのこと。「つまくれ」は「つまくれなゐ」の略で、「つまべに」とも読む(沖繩方言で「てぃんさぐ」)。本格的には、花びらに明礬(ミョウバン)を加えて磨り潰したものを用い、女性の爪を染めた。
・「緑金」は「りよくきん」もしくは「りよくこん」で、古く玉虫自体を緑金蝉(りょくきんせん)等と称していたようである。ここは甲虫目カブトムシ亜目タマムシ上科タマムシ科タマムシの全体に緑の金属光沢に加えた赤褐色と緑色の縦縞の色彩を表現した語であろう。
・「繻子」は「「しゆす」で、独特の光沢を持った生地、サテンのこと。以下の三行の外来語もしかすると増田はこれで「さてん」と読ませたかったのかも知れない。
・「ほつく」は“hook”で、留め金。
・「ぼんね」はフランス語の男性の帽子を言う“bonnet”由来で、本来は帽子(顎の下で紐結びする子供・女性用の帽子であるが、現在(そうした呼称が何時ごろから日本で一般化したかは確認できないので、ここに示すのにはやや躊躇するが)、花嫁のヘッド・ドレスの一種、柔らかい布や毛糸で作られたツバのない婦人用のヘア・キャップを総称して言う語でもある。
・「麭麺」は「パン」。一般的な表記は「麺麭」。]
古いアップの「富田木歩句集」と「定本芝不器男句集」の中の「蚊帳」の意の漢字の合成表記を[申+厨]としてあるのを、[巾+厨]が正しいのではという未知の方からの指摘を受けた。ところが、これらはブログ・コメントを見て頂くと分かるように、僕の所持する書籍を底本としていない(図書館から借りた)ため、底本の確認が出来ないという我ながら愚かな事態となった。木歩はその後、戦後の限定版底本全集を古本で買ったのだが(その時はこれで電子木歩全集を! と意気込んだのだが……とほほ)、これには何故か普通に「蚊帳」となっていて、お手上げ。不器男の方は、蝸牛文庫で当該句を確認出来、その方の指摘通りであった。そこで、「広漢和辞典」を試しに引いてみると、当該の字がない。似たような字でないかと探すと、「幮」という字が見つかり、ずばり意味に「かや」とある。「大漢和辞典」まで調べれば、もしかすると「[巾+厨]」があるのかも知れないが、とりあえず、ご指摘を下さった方のご好意を早急に反映したいと思い、両者(木歩にはすぐ後にも同じ用法があるので全三箇所)を「[巾+厨]」に訂正の上、
[やぶちゃん注:[巾+厨]は正しくは「幮」である。]
という注を附した。誤まった「智」は早急に直さねば思わぬ誤りを広めることになることの自戒として。
ご指摘の方に、心から感謝申し上げる。……それにしても不思議なシンクロだ。僕は昨日、上にも書いた通り、『富田木歩、本格電子化せんといかんなぁ……』と内心思っていたところだったのだ!
これを御覧の皆さんも、是非、お気軽に! 特に現在進行中の増田晃の詩へのご疑義やご意見、お持ちしている。今月末には、完全版として「心朽窩」に独立ページ化する予定である。
野にいでて 増田晃
やさしい巣のやうに
萌えだした緑や罌粟は私をゆする。
戀人よ おまへは匂はしすぎる、
アネモネや菫をつんで、
てうど花の蕊になつて戻つてくる。
わたしらはこの祭に放たれて
何の逡巡もなく。………
五月の野のはげしい息が
わたしらの胸に四肢に氣魄を噴き
戀人よ おまへは息切つて笑ふ。
わたしは花もろとものおまへを
ここに咲かせようと おまへの全心身に
わたしの血をはげしく舞踏させる。
上昇させる。………
戀人よ けふわたしらには
何の制止もなく後悔もない。
花のなかに身を投げはるか遠く
沈んだ鐘のけはひを聞く幸ひよ。
自由と渇きはおまへの瞳を
天のやうに狂ほしく明るくさせ
わたしの瞳に涵(ひた)させる。………
[やぶちゃん注:奔放にして鮮烈な性=生のエクスタシーである。
・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシとせねばならないが、その必要はあるまい。増田の好きなギリシャ神話ではケシはゼウスの姉、豊饒の女神デメセルのシンボルで、一般に知られる花言葉は、「恋の予感」である。その娘ペルセポネの冥界の王ハデスによる略奪婚の話の中で、娘を探すデメセルが三途の川レーテ畔で出会う眠りの神ピュプノスとのエピソードにも現れ、そこでは人の夜に儚い夢を与える(アヘンの効用)ものとしても登場し、そこから「忘却」という花言葉も持つ。
・「アネモネ」はモクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科イチリンソウ属アネモネ。ギリシャ神話では美少年アドニスの血から生じたとする。またアネモネは花の女神フローラの寵愛したニンフであったが、フローラの夫である西風の神ゼビュロスが恋慕したため、嫉妬に狂ったフローラによってこの花に変えられたともあり、そこから、「儚い恋」や「孤独」の花言葉を持つ。
・「菫」は「すみれ」で、スミレ目スミレ科スミレ属の総称。女神ディアナがイオの姿をすみれに変えてアポロンからの横恋慕を守ったことから「真実の愛」という花言葉を持つ。
・「蕊」は「しべ」。雄しべと雌しべ。
・「涵」は「浸」と同義。
・「沈んだ鐘」は鷗外が絶賛したハウプトマンの戯曲「沈鐘」のイメージ。]
「和漢三才圖會 巻五十一」の「鰈」の注の一部に追加した。読んで頂ければ分かる。カレイについて中国の本草書が二匹一組でないと動けないという叙述への良安の疑義部分への注である。読みにゆくのが面倒な方のために、以下に引用する。
「知らず、別に一物有るか否かと」は、言わば比翼の鳥のように、そのように二匹が合体していないとどちらも全く行動ができない生物というものがこの世に別に存在するかどうかは分からない、と言う意味。鮮やかに「謬」と言い放つ良安先生、らしくないよ! いや、流石にこんな生物は、いないだろ? これぞという生物種がいたら是非御教授戴きたい。言っとくけど、チョウチンアンコウの雌雄やチューブワームの共生なんかに広げるのは、なしだからね。……★追記(2007年10月7日):正直、何だか「絶対いない」と言い切ってしまってからずっと胸の辺りに何やら引っかかっていた。生物界に人間的常識は必ずしも通用しないとどこかで思っていた。下等動物の中には、もしかすると極めてそれに近い生物が居はしまいか? 一昨日の通勤で黄色くなった筒井康隆の「私説博物誌」(昭和55(1980)年新潮文庫版)を再読していたら、いた! 「比翼鳥」型生物が、いたのだ! その名もフタゴムシ、扁形動物門単生綱多後吸盤目(筒井は多後口目と記載、古称であろう)に属する種で、コイ・フナに寄生するフタゴムシDiplozoon nipponicum及びウグイ属に寄生する同種の仲間Diplozoon sp.の二種が本邦での報告例である。雌雄同体。彼等は当該魚類の鰓に寄生し、吸血する。本種による寄生魚類の貧血症が水産関係の論文に発表されているのも確認した。以下、筒井の記述を引用する。
『幼虫は、卵からかえった時は、〇・二五ミリくらいの大きさで、水の中を泳いで魚の鰓にたどりつく。もし、一〇時間以内にたどりつかないと、そのまま死んでしまうそうだ。鰓に寄生した幼虫は成長して、一ミリぐらいの大きさになる。これはデボルバと呼ばれ、以前はフタゴムシとは別の種類の寄生虫であろうと思われていたらしい。
この虫には雌雄の区別はなく、同じからだをしている。生殖器が成熟すると、二匹の虫が互いにからだをねじってカットのような[やぶちゃん注:図(カット)を指すが、著作権上の問題から省略する。その代わり、以下の滋賀県立大学環境科学部環境生態学科浦部美佐子女史の「寄生虫フォトアルバム」のページの中段の鮮やかなDiplozoon sp.を参照されたい。]状態になり、くっつきあう。それぞれが背中に小さな突起と、腹に吸盤を持っているので、吸盤で相手の突起をしっかりとつかんでしまうのだ。その恰好のまま一生、といってもたったの一ヶ月あまりであるが、魚の鰓に吸着して生き続けるのである。なぜそんないやらしい恰好のままでと不思議に思い、二、三の本を読んでみたが理由は書かれていない。相手にめぐりあう機会が少ないからではないかと思って父に訊(たず)ねてみたが、そうではあるまいということである。ど助平だからというのでもないらしい。つまりセックスが好きで好きでしかたがないからやり続けているのではないのだ。そういうみっともない状態でいることが生きのびる上に欠かせないからである。というのはこのフタゴムシ、二匹をはなすと死んでしまうのである。いわば命がけで相手にしがみついているというわけだ。』
一生交尾した状態で過すのでこれを「終生交尾」(!)というのだそうである。強烈な生物学用語だ。幼生期の一時期を除いてペアリングし、離れれば共に死ぬいうのであれば、これは間違いなく『比翼の鳥のように、そのように二匹が合体していないとどちらも全く行動ができない生物』に等しいと言ってよい。私の早とちりを素直に認め、ここに追記するものである。★追記の追伸(同):ちなみに、この引用部の後は、例の筒井独特の人間の男女が常に交尾しているというSFショートショート風のおとぼけエッセイとなるのであるが、どうして以上の生物学的記載は頗る真面目なのである。何てったって、彼の父君は本書の「あとがき」で「あの」日高敏隆(!)が逢うやビビって学者としての自信をなくしたと記すほどの、元大阪天王寺動物園園長でもあった京大動物学教室出身の動物学者筒井嘉隆氏なのである。膝下敬白
こひびと 増田晃
きみの額にかゝる美垂穗
赤き螢のともしを擧げてにこやかに
その美垂穗にくゆりもいらむ
きみの瞳にもゆる雛罌粟
鳶いろの涙にしめりておもく
その雛罌粟に咽びもいらむ
[やぶちゃん注:
・「額」は韻律から言うと「ぬか」と読ませたい。
・「美垂穗」は「みたりほ」か。額にかかった髪の隠喩。
・「くゆりもいらむ」は、私は烟となってそのあなたの額にかかった髪の中へ入って染み入ってしまおうといった意であろうか。
・「雛罌粟」はケシ目ケシ科ケシ属ヒナゲシ。瞳の隠喩。
「鳶いろ」は暗い赤みがかったブラウン、私のHP「鬼火」の背景色をやや薄くした感じである。
・「咽びもいらむ」は、私はむせび泣きつつ、その涙となってそのあなたの瞳の中に沁み入ってしまおうといった意であろうか。]
法隆寺金堂天蓋天女に寄す 増田晃
花と葉の板のほのほに
口長くむすぶ天人あはれ
唐(から)の琵琶小さく掻き寄せ
眉たかく絶えいるばかり
飛鳥は朱にさびつつ………
[やぶちゃん注:これは例の飛天だ。古い教え子よ、思い出すね、福永武彦の「飛天」。「朱」は「あけ」と訓じたい。」
息 増田晃
香袋の緒をゆるめて
おまへがつく重い太息は
カテドラルの燒硝子をぬけて
日が聖體を盗むやうに
私の心を掠ふ。
ま た
ゆるいおまへの息は
カトリツク寺院の中庭の池へ
斷崖のやうに切落ちる鐘樓の尖を
ものうく食べてゐる鯉の鰭の
波紋をいくつもかける。
[やぶちゃん注:「掠ふ」は「掠(さら)ふ」と読ませているか。]
笛歌 増田晃
蒲の穗の穗さきがくれに
二日月うすくかすめば
おもふことあはれ遙けし
野のはての群れ鶸どりの
おちおちてけふも旅ゆく
――野邊山牧場にて
[やぶちゃん注:
・「二日月」は旧暦2日の、三日月よりも細い上弦の月。
・「鶸」は「ひわ」で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科ヒワ族の鳥の総称。カナリアやヒワ、イスカ、ウソ等を含む。一般に狭義ではマヒワを指している。
・「野邊山」長野県南佐久郡南牧村。彼の立ったその牧場は何処だったか。ちょっと知りたい気もする。]
口占 増田晃
あさ
桝の白魚をならしてみせる女のほそいゆびさき
行春
朱に明む小鳥の脚の細らひを見ればかそけし春たけにけり
五日月
さざなみ眞紅(あか)き入日ぐも かへりみしつつわがゆけば、ふうわり黄いろの五日月 浮草めいて水離る
汝(な)が髪
汝(な)が纖き髪すべる香油にキプルの女鳩ら鳴きぞほめき
汝(な)が乳(ちち)首にさしぐむ朱(あけ)にレスボスの乙女らこころ蕩(とろ)けて………
[やぶちゃん注:「あさ」から「汝が髪」までの小題は七字下げでポイント落ちである。総題の「口占」は「こうせん」と読めば、腹案の詩文を人に口授(くじゅ)すること、また、詩を文字に書かず浮かんだ際に直ちに口ずさむこと、またはその詩を指す。中国では本来は口をついて自然に詩が出来たことを言い、10世紀以降、詩題のことを指すようになり、清代には「○○口占」という風に題そのものに用いるようになった。しかし、これを「くちうら」と読むと、(1)人の言葉で吉凶を占うこと。(2)言葉つきでその人の心を察すること。(3)それとなく言うそぶり、「口裏を合わせる」の「口裏」と同義の意となる。私は実は一読(というよりこの文字を見た瞬間)、言占(ことうら)の意と思い、思い込んだらもう払拭できない性である。私は言占という呪術そのものに民俗学的にも精神的にも強い関心と魅力を持っており(文学を愛好するものは多かれ少なかれみな言占の信者であるとさえ思う)、これは強烈なバイアスなのである。従って贅沢にいこう。これは増田の、口をついて出た詩というさりげない総題でありながら、実はそこに神秘的な言占のニュアンスを潜ませながら、「誰か」の心を察し暗示し、それとなく「誰か」に言いかけた詩、という題名であると。
・「白魚」は、キュウリウオ目シラウオ科シラウオと同定してよいであろう。比喩としての以下の女の指、増田が居住地東京ならば、霞ヶ浦か利根川の産の同種であろうと推定する。
・「朱に明む」は、私は「朱(あけ)に明(あきら)む」と読む。
・「五日月」は旧暦5日の上弦の月。三日月よりやや膨らんでいる。
・「眞紅」の(あか)のルビは二字合わせてのルビである。
・「纖き」は「纖(ほそ)き」。「纖」は「繊」の正字で、細い、の意。
・「キプル」は、ユダヤ教に於いて最も重要な贖罪日である「ヨム・キプール」と関わると思われる。この時、断食はもとより、入浴や性行為も禁じられる。が、「キプール」そのものの意味を現在探りえていないし(幾つかのリンクを辿るとそれとなく邪悪な存在との関わりを感じさせはするが)、「鳩」との関連も不明(ヨム・キプールを含むヤミーム・ノライーム「畏れの日々」に行われる贖罪の儀式カパロットでは贖罪の身代わりとしてニワトリが用いられるが、ハトではない)。ユダヤ教に詳しい方のご教授を求む。しかし、誤読を覚悟で以下のように解釈は出来る(なお、次の注も参照のこと)。――本来、精進潔斎すべきヨム・キプールの日、同性の女達だけでなく畜生であるハトさえもあなたの美しい細い髪の毛の香油の香をかいだだけですっかり恋焦がれて参ってしまう――
・「レスボス」の同性愛の由来は良く知らなかったが、以下のページで眼からレスボス(石垣由美子女史の「レズビアンの語源となった文人の島」)! そこにはオルフェウスの呪いの暗示もあって、いいじゃない! この二行詩が純然たる対句表現である以上、「レスボス」に対する地名として「キプール」はある必要を感じる。フランスの詩人ピエール・ルイスの「ビリティス」に「キプル島の短詩」というのがあるが、所持しない。この架空の女流詩人の作には「恋の島レスボス」というのもあるので、恐らく彼の詩が増田の本詩のもとネタであろう。ピエール・ルイスを知る人には分かりきった詩なのであろうか。愛好家の方の、ご教授を乞う。正直、これからルイスを紐解くのは、精神的に少々(いや大いに)億劫である。今からルイスを好きになるには年を取り過ぎた。]
われは知る 増田晃
いま散らんとする雛罌栗の花辨(くわべん)に
われは知る アルテミスのこひ
ただとどむすべもなく散りゆくものに
ただとこしへの若さはあれ
ただたよりなく散りゆくものに
ただとこしへの眠りはあらむ
[やぶちゃん注:
・「雛罌粟」はケシ目ケシ科ケシ属ヒナゲシPapaver rhoeas。
・「アルテミス」はギリシャ神話の狩猟と純潔を支配し、産婦や子供の守護をする処女神。生贄としての人身御供を求める神としても知られる。ここで言うアルテミスの恋とは、処女神であるべきアルテミスが愛してしまった羊飼いエンデュミオンとの恋物語を指していると思われる。人間であるエンデュミオンの老いと死の不安に対して、アルテミスは永遠の若さと引き換えに、ゼウスに頼んで彼を永遠の夢の世界に生きさせることとなる。エンデュミオンは永遠に眠りにつきながら、永遠にアルテミスの伴侶となったのである。]
巴旦杏 増田晃
その母は紅い柘榴の一粒を
あやまつて雪にこぼし急に産氣づいた。
かすかな震へが冷いその額に上(のぼ)つたときには
その母はもうあはい瞼に覆はれてゐた。
白い骨になつて埋(う)められたその母のやうに
巴旦杏の實はいつになつても哀しく青かつた。
[やぶちゃん注:「巴旦杏」は「はたんけう」で、バラ目バラ科サクラ属ヘントウPrunus dulcis、アーモンドである。]
つゆのはれま 増田晃
少女がなくした手毬(まり)は紫陽花になつてゐた
あさ 誰もゐないのに
濤のやうな障子が音もなく明いていつた。
山の少女 増田晃
朝燒に薪をわる山の少女
そして茅を刈りながら椿の實を捩ぐ山の少女
杉のやうなこころに秋雨がしみて
燒栗を嚙む山の少女
海の鳴る春 増田晃
ああ もう春だ。
私はたつぷり溢れる小川のやうに
胸一ぱいの感謝にみちてゐた。
そして山のあなたの春を思ひつつ
湧出る幸福の漣をこらへかねて
ぢつと金色の日ざしに涙ぐんでゐた。
春 増田晃
青木のある庭にかんな屑が雪解で色づいてゐる。
深い轍が柔かく春さきの蜜柑の皮などひいてゐる。
ああ春だ、湧上る幸福に泪ぐみつつ私は頭をたれてゐた。
[やぶちゃん注:「轍」は、「わだち」。]
パイプ 増田晃
マドロスパイプのゆめは
埃及のふかい夜
黄昏の烟草の輪にひそむ
樺色の頰紅のごとき
[やぶちゃん注:「埃及」は「エジプト」。]
かげろふ 増田晃
お母さんのやうにさかんなかげろふよ
やはらかい心をだきしめて
はりものでもしてゐて下さい。
杉木立 増田晃
まだ雪がふりしきつてゐた。
黄昏も淋しい杉の木立で
私は友達の沈んだ姿とわかれた。
遠い灰色の吹雪がその姿を烟らしてゐた。
私はぢつと見送り乍ら
友の貧しい外套の肩の雪を氣づかつてゐた。………
ばら 増田晃
はんなりと鴨の胸毛を重ねて
月を病む紅(あか)き薔薇は
キリストのたまひしパンよ。………
雪 増田晃
清楚な枇杷の花のにほひが
街いつぱいにあふれる朝である。
冬近し 増田晃
おもひしずかな朝燒に
銀のナイフを研がしめよ
冬待つ雲のほの明み………
孤涯の許嫁が戰死せる夫(つま)に殉ぜしをききて歌へるばらあど
増田晃
耳をつんざく砲火のなかを
送りもどされる途中一人の傷兵は
炎天に照りつく酷熱のもとで息絶えゆく。
かれは祖國にのこしたその許嫁さへ
そのゐることさへ思ふ氣なく死んだだらう。
神よ そしてそれは立派なことだ。
そのしらせは幾月もたつてから
故郷の優しい娘のもとに届いてくる。
娘は聞いて目まひしつつも取亂しはしない。
生きてると思つて祈り捧げた昨日までの
不安のうちに樂しい希みだけが眼の前を
切り落ちる眞紅のフイルムとなり映つてゆく。
しかし神よ、その夜更けてこぼれる娘の泪のうちより、
ただ一人の賴りが、二人でゐた時の些少のことが、
二度ともどらない幸ひが溢れてくる。
そしてその幸ひは二人の愛情よりもつと大きな
嵐と誕生に捧げられ また二人の約束が
新しい神々に生まれかはるのを體にかんずる。
娘の耳には恐ろしい迫撃砲がきこえてくる。
かなた城門に揚るひらめきに續く雷鳴と
そして火線から送られる傷いた祖國兵が見えてくる。
それを見るなり彼女は止める手もふりきり
赤い花の足で彈丸の下をくぐり
息絶えかけた一人の男にたどり寄り抱きすがる。
その男はもう眼も利かないで(たとへ利いても
戀人の抱く手なぞ見むきもしまい)
野天の狂はんばかりの酷熱に息絶えゆく。
そのたまゆら流れ彈のひとつは戀人を
抱きしめてゐる娘の熱もつ心臓を射ぬき
折かさなしたまゝ殺してしまふ。
翌朝人人は冷いその娘をかかへ深い沈黙にしづむ。
しかし人人よ 悲しむなかれ この戀人らは
不思議な逢會に抱きあひむしろ嬉(うれ)しんで
大空の諸手ひらく父なる神へと翔りゆく。
神のわれらを召し玉ふ、愛のこの世に果されし時なり、
されば愛の如何を知る者こそ必ずやここに至るであらう。
[やぶちゃん注:「逢會」は「ほうくわい」。」
公園の哀歌 増田晃
美しいおぼろげな女の息の
秋の夕もやを鳴きあひながら
紺の小鳥はかげをひそめる。
秋のものの音(ね)は靜かにめざめ、
神よ 私の胸にアンジェリュスをたまへ、
黄金(きん)とオパアルの日の暮れどきの
なみだに滿つた煙のなかを
敗者のやうに人はよろめく。
神よ 私の胸に祈りたまへ、
冬となりゆく私のこころに
その火の虹をかけてたまへ。
されど冬となる噴水のおと
まどろむ落葉をひた打つあたり、
ニツッアの神使の入江を夢みて
眼を輝かせしアンネツト今はいづこに。
まことその少女(をとめ)みまかりてのち
復讐の女神冷ややかな笑ひに
いつかその生涯を沈ましてゆく
才ある少年樂人ゲザはいかに。
むしろ破(やれ)風琴の寂しく鳴れる
追憶の公園をやつれさまよふ
その成れ果てはいかに、傷手はいかに。
神よ とるこ玉のはだへの艶の
もろい黄薔薇のもやがこもる。
もやにまどろむ風見の鷄(とり)は
いつか私の冬のいたるを思はしめる。
神よ 私はやつれ且敗れたものです、
哀れな小鳥らにあはれみあるとちもに
いま私の瞼にも希(のぞ)みをたまへ。
逝きしアンネツトに その追憶に
くらむ胸にも火焔をたまへ。
やつれさまよふこの傷手(いたで)おふ身に
ああ その虹をたまへ………
〔註〕ゲザ、アンネツト共に鷗外漁史「埋れ木」に出づ
[やぶちゃん注:最後の「註」の〔 〕は横向き。ここで増田が重要な背景とするのは森鷗外の翻訳小説オシップ・シュービンの「埋木」であるが、不学にして私は本作を所持しておらず、未見である。従って本件についての多くの注は「埋木」の読後に回すこととする。但し、私は元来、鷗外という作家をどこか好きになれずにいる(だから大学時分、岩波の選集しか買わなかった。それでも貧乏学生の僕には高かった)。それは今後も変わらない。従ってそれがいつになるかは判らぬ。作品としての「埋木」はものの本によれば、才能を持ちながら芽が出ない芸術家の物語であるという。ともかく、その作品を知らない以上、この詩に対する一切の解釈は禁じられてある。
・「アンジェリュス」は冒頭の詩「白鳥」の注を参照。
・「火焔」の「焔」の字は(つくり)の上部が「稻」の「臼」の上の部分を用いているが、「焔」と改めた。]
一昨日、二人の知人から増田の詩の注記に好意的な感想を頂戴した。正直、嬉しい。本書の場合、参考に出来る二次資料や参考書が全くないので、とんでもない解釈をしてしまう可能性もある(特に先に附言した通り、基督教絡みは厳しい)が、虚心になって僕が初めて読んだとして、その僕が疑問に思う読みや語釈部分には、煩を厭わずこだわってはいるつもりだ。更に、この「白鳥」は将に僕向きの詩なのだ。この詩集一巻に登場する生物群の有意な多さに気づかれたか? 「和漢三才図会」のブレイクのつもりが、何だかブレイクしている気がしないのである。
繰返すが、注についてのお気付きの点、御助言等を是非乞うものである。
哀歌 増田晃
肌さむの秋ゆふぐれの日のほてり
星うつる水ほどの蕭やぎに
身をよせて大いなるピアノによれば
その頃なりし はや葡萄(えび)の實も
紅(くれなゐ)ふかき頃にしてわがひとの
いまだ世に健やけきその頃なりし
薔薇いろおぼろの秋のゆふぐれ
くろき鏡のピアノにゆびふれ
シヨパンがワルツ三番を彈きたまへる
きみがうしろに寄りそひしまま
胡蝶の肩に手をうちかけて
泣かましと誘(さそ)ひしはその頃なりし
されどそれより幾年(いくとせ)經けむ
冷ききみの指(および)を撫でつつ
通夜する身ぞと思はざりし
かの噴水(ふきあげ)のかげ 白き露臺
きみが情けに泣きし日はあれど
その日はや鋭(と)き爪の死の病ひは
おそろしき青藥瓶の匂ひとともに
きみが肉身を蝕みゐしにあらずや
われらが戀はかのうるし葉の秋の光に
うすく散り果つ柳葉(やなぎ)に如かず
復讐とがらんどうの死の病ひは
われを遠ざけし小さき胸に
鋭きあきらめとあざけりを浴せ
また寢ねず夜に衰へたるわが體には
恐しき釘を當てしにあらずや
けふわれピアノにワルツを彈けば
わが背にかげのごと寄りて泣くもの
肌さむの秋ゆふぐれの入日ぐも
鷄頭にさえて冷えまさるなり
か へ し
われもし逝かば花ちる下の
ゆきし人のやすらき眠りに
添ひてねむらん
かかる折なお優しき鳥よ
わが嘆きをば歌はざる……
[やぶちゃん注:「哀歌拾遺」と「哀歌」の順はママである。同一の女性への「哀歌」と思われ、不審な順であるが、その時間的逆行を感覚の遡行として試したとも言えるかも知れない。「かへし」の本文はポイント落ち。
・「蕭やぎ」は「蕭(しづ)やぎ」と読ませるか。「蕭」(しょう)には、さびしい形容、ひっそりとしている形容の用法があり、「~やぎ」という送り仮名は「~やか」という形容詞の動詞化から名詞化させた語の語尾と似ている。そうして、静謐微動だにしない水面の如き形容とすれば、「静やか」→「静やぐ」→「静やぎ」→同義の漢字である「蕭」を当て読みさせる、というのは無理がない気がするが、何如?
・「葡萄」を「えび」と訓ずるのは、「えび」がブドウの古名であるからである。イサナキの呪的逃走(偶然であるが「桃の樹のうたへる」を参照)でもヨモツシコメに投げつけるものの中に「クロミカヅラ」(葡萄の蔓で出来た髪飾り)があり、それは地に落ちて「エビカヅラノミ」(葡萄)となったとある。葡萄を「エビ」と呼称したのは、本邦に自生し、実が食用となったまさに現在の和名エビヅル(ブドウ科)の若い茎葉が赤紫色であったことからそれを蝦(エビ)の色に喩えたからである。後に「エビ」は、ブドウ全体の通称となったのである(但し、エビヅルは現在の食用のブドウとは別種)。
・「シヨパンがワルツ三番」“Chopin-Waltz No.3 a-moll op.34-2”イ短調。沈鬱な一聴忘れ難い曲である。
・「青藥瓶」の読みに悩む。「あおくすりびん」が自然であろうが、いかにも朗誦停滞。「あおきやくびん」とするならば増田は必ずルビを振ったであろう。さればやや不自然ながら、死の不吉なトーンを感じさせる「せいやくびん」では何如であろうか? ご意見を問う。
・「肉身」は「にくみ」。
・「鷄頭にさえて」はナデシコ目ヒユ科ケイトウ属ケイトウの花穂の鮮やかな赤い色が夕日に更に鮮やかに映えて、と言う意味と共に、続く言葉と同じ、しんしんと冷え込んでゆく(それは魂の温度である)の意をも掛けていると、私には感じられる。]
哀歌拾遺 増田晃
あべ海の星
さうびのみ母
御身!御身!今は亡きその名を呼べば胸やぶる。かたへに添ひて夜露にぬれし きみを思へばわが胸やぶる。慰めを、かりそめの慰めごとをわれにな告げそ。おつる泪を、その眞珠母を恥ぢよといふな。つねに晨夕(あさゆふ)ひそかに呼びし きみが名なくて何のうたぞも。まこと草雨にふふめる紅薔薇 君ぞと詠みしは昔なりき。百合をだまきとたたへしうたも、捧ぐるきみのありしが故ぞ。いまみまかれる御身のそばに、額支へてまどろみすれば、はるかかなた、あけぼのの水(み)ぎわに近く 田螺のほろほろながしゆく 哀訴のうたのみ絶えつづく………
★
虹のふきあげは風になびき、末廣となつてひた落ちぬ。おもひくづるるわがこころ、その聲にまぢりいたく泣くなり。ここに優しきその瞳(め)をもとめ、くづるる肩えを支へしに、夕べ近きふきあげのみ、失意にないてくらく呼べり。薔薇や紫のわすれなぐさは 鈴(りん)を振りつつ亂れゆくに、かの四阿(あづまや)に待たれしひとは、そのひとは亡し。秋のうるし葉の夕日はあれど、はやきみは亡し。
か へ し
秋のうるし葉の夕日はあれど、はやきみは亡し。いかのぼり下(お)りゆく空に たちのぼる夕映蜻蛉(ゆふばへあきつ)。蒲の穗のうすきうれひに 雅(はな)やげる岡を越えつつ 歌ひゆく夕映蜻蛉。
か へ し
かなしきひとのやみてより、日月はしづかにきたり、
かなしきひとのゆきてより、日月はしづかにしづむ。
★
まりあよ、堪へがたいこの哀しみに やすらぎの御(み)手をおかせたまへ。みまかりしこひびとに 夜ごとの枕は濡れ、たちがたき愛欲に夜ごとのうめきは洩る。すでにかなた、曙の水ぎわに近く 白い鷺草のわななきそよぐ 哀訴のうたのみ絶えつづく………
★
まりあよ わがいたみをば醫(いや)したまへ。けふかなしさに露臺にたてば、ありし昔のかげはよろめく。泣かむといひて誘はれゆきし 白き露臺におもて掩へば、秋のうるし葉の夕日のごとく はかなごとむかしは消えぬ。いくたびか君ここに身をなげ、母のごと姉のごとやはらかく わが震ふ肩を撫でなだめしに、けふありあけの白むをみれば、遣る方なくて握りしその手の その稚さのあきらめがたく、名をば呼びつつとどまらざるなり。まこといつ日かかくも果敢(はかな)く契りそめしとひた泣きをれば。
か へ し
まこといつ日かかくも果敢く 契りそめしとひた泣きをれば、赤き拍子木の鳳仙花 胡弓の糸に弱く散るなり。すでに夏星は白く綴れて ありあけぞらに藍揚げすれば、散り果つものはかなしみなり。
★
あべ海の星 さゆりの御(み)母、力なきわれをすくひたまへ。すでにけふわれは獨りにて歩むあたはず、獨りにて立つことあたはず。雪に凹めるのどより湧ける このあべをもて聞入れたまへ。すでにけふわれ獨りにて諦むることあたはず。
[やぶちゃん注:副題の「あべ海の星/さうびのみ母」の「あべ」は“Ave Maria”の“Ave”で、ラテン語で「こんにちは」「おめでとう」を言い、聖母マリアへの祈禱の語。「海の星」は船乗りにとって命を護る航行の導べとなる星のように、正しき人生への水先案内人たるマリアを意味する。「さうび」は「薔薇」で、「気高い天国の花」を意味する(その場合のバラには棘はない。4世紀の聖人アンブロシウスによれば「棘」は楽園の原罪を忘れさせぬために神が加えたものとする)キリスト教にあっては、赤いバラは殉教者の血を、白バラは聖母マリアの純潔の象徴となり、特にアリア信仰ではバラは重要なアイテムとなり、ノートルダム大聖堂等に見られるステンドグラスのバラ窓となって現れる。また、ロザリオは「バラの輪」の意味を持つともされる(以上のバラと聖母マリアとの関わりは「中國新聞」社のサイトの「ばらの来た道」を参照した)。受胎告知では後述するユリに次いで描かれることが多い。なお、「かへし」の本文はポイント落ちで、総て一字下げであるが、一部の詩については、明らかに連続した行となっているため、その連続性を優先し、2行目以下を一字下げにしなかった。
・「眞珠母」は、一般に真珠母貝でアコヤガイ等の真珠を生成する貝類を指すが、ここはそれらの貝類の内面の真珠質の光沢から、純真なる発露たる涙を形容している語であろう。
・「草雨にふふめる紅薔薇」の「草雨」は恐らく「むらさめ」と読ませて、「叢雨」、驟雨・にわか雨のことを言う。「ふふむ」は「含む」で蕾(つぼみ)がまだ開かない状態にあることを言う古語。
・「おだまき」(ママ。歴史的仮名遣いでは「をだまき」)はキンポウゲ目キンポウゲ科オダマキ属の花の総称。 苧環(おだまき)とは、本来は機織の際に麻糸を内側を空にして巻いたもののことを指す。オダマキのその可憐な花の形からの命名である。
・「田螺のほろほろながしゆく」というのは、私には卵胎生のタニシ(腹足綱原始紐舌目タニシ科)が稚貝を放出する様から、「田螺がはらはらと頑是ない子を産み流し苦しむように私は哀訴の歌を歌い続ける」という表現のように思えてならない。
・「わすれなぐさ」はシソ目ムラサキ科ワスレナグサ属。園芸用に他種が移入されたが、日本在来種はエゾムラサキ一種のみである(北海道根室付近と長野県松本盆地を自生地とした)。以下、中世ドイツの騎士の悲恋説話に纏わる名前の通称の「勿忘草」の由来を「ウィキペディア」より引用する。『昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。』ちなみに、学名の属名“Myosotis”にはそのような意味はなく、ギリシャ語myos(ハツカネズミ)+ギリシャ語otis(耳)の語源である古代ギリシア名myosotisの合成。本種の葉の形態が「ネズミの耳」に似て、小さく柔らかく鼠色の毛が生えていることによると言われる。
・「いかのぼり」は「凧」。季節は秋であるが、これは俳句ではない。
・「夕映蜻蛉」を一語の「ゆうばへあきつ」という固有名詞としてとった。即ち、これは通称及び狭義の赤トンボであるトンボ目(蜻蛉目)トンボ亜目(不均翅亜目)トンボ科アカネ属アキアカネ若しくは同属の種ととる。
・「鷺草」はラン目ラン科ミズトンボ属サギソウ。七月から九月にかけて白い花を咲かせるが、その花の唇弁が幅広い上にその周辺部が細く糸状に裂ける。それを白鷺が翼を広げたさまに喩えて命名。
・「赤い拍子木の鳳仙花」の鳳仙花はフウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカで、夏、赤い花を付ける。「拍子木」というのはホウセンカの実が弾けることを指すか。
・「夏星は白く綴れて」の「綴れて」は「綴(つづら)れて」と読ませるか。やや語調が停滞するが、意味上はそう読んで、「有明の空が白んできて、薄明の白さにに夏の星々は滲み合わされて光を失ってゆく」と解釈すべきであろう。
・「藍揚げ」は曙の空が濃い藍色を天空へと後退させてゆくことを言うのであろうか。聞いたことのない語ではある。
・「さゆり」はユリ目ユリ科ユリ属のユリ、百合(「さ」は美称の接頭語)。キリスト教においては白ユリの花(マドンナリリー)が純潔の象徴とされ、やはり聖母マリアのシンボルとなる。受胎告知ではまずこのユリが描かれる。]
*
キリスト教がらみになると、信者でない私は思わず注で引いてしまう。相応に乏しいキリスト教関連の蔵書を紐解いたり、関連宗教サイトを閲覧してどうにかこうにかやっつけた。信仰と関わる思わぬ解釈の誤解等がある場合は、早急にお知らせ頂きたい。
昨日のブログの増田晃「おもひで」の「國技館」注を知人のメールで訂正。こんなに悔しい訂正は、ない! が、ふふふ♪ 知的に嬉しいや、ちぇ―じゃねえか?―ちゅ♡
溜息 その1
この一週間の微細な身体の変異を考えるに血糖値が着実に増加持続し糖尿病の諸症状がまたぞろ現れ始めていることが伺える。自業自得の強欲地獄の寒山拾得、てなもんだ!
溜息 その2
ミクシィではもうマイミクではない足あとをクリックするのはやめた。痙攣的財テク・無知蒙昧ネズミ講に加えて、鈍感鈍物猥褻系がじわじわ進出してきている。見たくもない蒲鉾みたような尻やおぞましく腫れ上がった胸や常人の美意識を理解できない嘔吐を催す弩醜面を晒した写真を見るのは真っ平金比羅金輪際御免だ。ミクシィよ、なんとかしないと、チョー恥ずかしいぜ! それとも“せくしゃーるねっとわーく”に肩書きを変えるか? デザイン変更も、文句なしにチョー評判悪い! 文字通り“見苦しい”!
溜息 その3
人知れぬ恨みに心を悩ましたればそが溜息は人知れずするに若くはなし――太田豊太郎殿宛電信 やぶちゃんより
おもひで 増田晃
――それはまだ小學校にあがりたての頃
遠く近く
雨の日の公園の木馬場のオルガン………
幼い頃手をつなぎ赤錢もつて
ともに木馬に通(かよ)つたあのむすめ
面長のおきやんなその子とともに
樂(がく)のはやしに迴つた淺草六區の
ポプラの鳴る下の木馬場の秋よいづこ!
とあれ青き大月血ぬられし九月一日
裂けちる大梁(はり) 雪崩るる橋より
一せいに立つ火けむりと人靈のなかを
線香のごとたち盡きし昔はいづこ!
見よ 極みなき燒野原のかしこにありて
空にかゞやく眞紅の國技館(ドーム)
折竹の十二階くづす音わたる下
道のべに燒けふくれたる銅の手足、
またそを取運びゆく車輪のきしみ!
かかるとき生殘れるものかすかに集(つど)ひ
藁敷きて恐怖の鮮人にわななけども
かの黑塀うちに既に滅びし
うるし葉の秋の光はいづこぞ!
まこと今その正午にして別れしままの
その娘!また遊ばうと指切りし
南京玉の指輪くれたるその子!
嚙みかけの干肉をわたしにあたへ
みそかごと戸を閉ざしたる娘はいづこ!
いま黑塀の住居しあとをふとよぎりつつ
樣かはりたる柳並木をすぎゆけば
玉ほぐしゆく赤毛糸のごとくいと遠く
かはたれの鶴の胡弓は昔にかよふ………
かへし
まこといまも眼を閉ぢて聞入れば
遠く近く雨の日の淺草六區の
古雅なるオルガンはそらに嘆き
花みだれたる噴水 藍色の鳴きつぐ蛙
雨の日の胡弓はいと遠い昔にかよふ……
[やぶちゃん注:題名の添え書「――それはまだ小學校にあがりたての頃」及び最後の「かへし」の題名と一字空けのその五行詩はポイント落ち。言うまでもなく関東大震災直後の切ない記憶。
・「赤錢」は銅貨。一厘か五厘、あるいは一銭銅貨。
・「國技館」のルビの「ドーム」は底本の縮小画像で見る限り、「アーム」にしか見えなかった。これは勿論、旧両国国技館で、震災で全焼した。形状から「ドーム」だろうと思いつつ、底本画像を拡大するとドー見ても「ド」ではなく「ア」だ、と確信した。「アーム」というルビだと思い込んでの推理は(今も近眼老眼だが、そうにしか見えないんだ)、これは全焼して鉄骨のアームだけになった様の比喩表現かと、かなり自信を持って合点していた(今も捨てきれない。残酷で素敵に洒落たルビじゃあないか。なお、もう一つの推理は国技→戦い→兵器→アームなのだが、英語教師によるとだったら複数形アームズでないとおかしいとのこと)のだが、この公開を見た復刻版を所持する知人から急遽、メールが入り、「ドーム」とあるとする。やっぱり、なんだ、つまんないな、ちぇ……でも、いいや……ふふふ♪
・「折竹の」は意味不明。「折柄の」か「折節の」の誤字の可能性も排除できない気がするが、ここは、崩れ折れた浅草十二階の比喩表現で、「おれだけの」と読ませるか。識者の見解を乞う。
・「恐怖の鮮人」という差別的叙述(「鮮人」という略語は立派な差別語である)では、震災直後、朝鮮人による井戸等への毒物投入という流言により、悲惨な虐殺があったことを忘れずいてもらいたい。この以下の情緒に流れた(それは個人的には文句なしに切なく素敵である)叙述からは、残念ながら増田のそのような人権意識の深みを十分に読み取ることは出来難い。
・「黑塀」や「うるし葉」、「みそかごと戸を閉ざしたる」には、この中国系と思しき少女に関わる何か特別な意味が示されているようであるが、不学不識にして推理不能である。「黒塀」は、即物的には焼き杉板に灰渋(縄の灰を柿渋で溶いた塗料)を塗装した黒板塀を指す。
・「鶴の胡弓」は意味不明。胡弓の音を鶴声に喩えたものか。「黑塀」以下の前項と共に、識者の教えを乞う。]
淺草 増田晃
――中學三年のころの私だつた
金平糖のやうな星がたくさんきらきらする空、鋼いろの空、そこに大きな輪を描く光の風車、果物のやうにひやひやする風車!
私は鞄をかかへたまま夜の町を歩いてゐた、たくさんのひとに責められた私にはこの群集がしたはしい、私に罵言も皮肉もいはないで默つてすぎてゆくこの人人、そして時にはやさしい言葉もかけてくれる彼等、
そこには澤山の不幸な娘がゐた、あの娘たちのうへに神樣はやさしい腕を擴げたまふだらう、てうど雨に打たれて鈴懸の嫩枝がしなふやうに!
私はこの娘たちをしめつたマツチとおもつた、このマツチは! このマツチは! 私はしひたげられたものの味方にならう、大地に身をうちつけて土くれをつかんで號泣するものの! そうではない! 泣くことさへできないものの!
私はよくビスケツトをもつてゐた、犬にあふと口をつぼめてみせる、首をちぢめてよつてくる犬、私はそいつを抱上げるのだ、このおとなしい眼、この細い鬚、こんなものをどこからおまへは貰つてきたの?
シネマの窓に私はよりかかつてゐた、薄荷水のやうな灯(あかり)だ、そこにメリーゴーラゥンドのジヤズが 針金と秋雨のやうに聞えてくる、私はあの灯のうちにひとつの生活を想像するのだつた、
アパートの窓なんだ、僕はワンピースの少女と同棲しよう、そしてその子の小麥いろのうではぽちや/\して抓つてみたいほどなんだ、そしてその子の弱い肩、私はそれを抱いておどおどした黑い眼に見入つてみよう、そのなかにはきつと僕がゐる、それはぢきに僕は不思議に思ふんだ、なぜあなたは眼でものを見てるんだらう、視るといふことはどんなことかしら!
[やぶちゃん注:題名の添え書「――中學三年のころの私だつた」はポイント落ち。私はこの詩が如何にも好きである。芥川龍之介の「淺草公園――或シナリオ――」が長歌とすれば、これはその短歌である。私はこれを読むに容易に本詩の作中の「私」になれる。見上げたアパートの裸電球、私に凭れかかるワンピースの小麦色の肌をした少女、その最終連は、萩原朔太郎の「さびしい人格」のように、『ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。』!
・「罵言」はこのままなら「ばげん」であるが、詩語としてはしっくりこない。「ののしり」と当て読みしたい。
・「鈴懸」は マンサク目スズカケノキ科スズカケノキ属スズカケノキ。プラタナス。
・「嫩枝」は「わかえだ」。
・「マツチ」は前の「雪國のクリスマス」の詩の「マッチ売りの少女」の面影である。
・「薄荷水」は「はつかすゐ」で、ニホンハッカ等から生成された薄荷油を水で薄めた、テキヤの定番商品。
・「針金と秋雨のやうに聞えてくる」というイメージは私には大正14(1925)年1月発表の梶井基次郎「檸檬」の一節、『さう周圍が眞暗なため、店頭に點けられた幾つもの電燈が驟雨のやうに浴びせかける絢爛は、周圍の何者にも奪はれることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照らし出されてゐるのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往來に立つて、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子*[やぶちゃん注:*は「窗」の異体字で(窗+心)]をすかして眺めた此の果物店の眺め程、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。』の描写を思わせる。]
田園讃歌二篇 増田晃
田園讃歌1
青いハコベの花は
田のくろにリボンをつなぐ
鐡氣をふくんだ水の淀みは
人蔘の匂がする
蕎麥いろの穗は
土のくちづけにむせかへり
果もないその湖のむかふに
鳩ほどの小ささの藁葺が光る
麥の醸しだすあつい息は
まるでカラメルのやうに泡立ちふくれる
遠くの方で稻びかりが閃く
私のうでは膏肉やうに顫へる
ああ たくさんのこの大根の花の
戀に醉ひきつたまぶしい歌は
目にみえぬ細い鞭で打たれて
びちびち鳴つてゐるやうだ
そして私にもやさしいひとがゐたならば
この麥畑の穗のなかに跳びこんで
てうど兎のやうにかたく抱きあつて
おもひきり驚いて跳び出してみやう
そしてやがて襲ひかかる夕立に打たれ
大粒の寒天のやうな雨つぶに打たれて
私たちは默つて抱きあつて
そのはげしい苛責にあへぐだらう
[やぶちゃん注:・「ハコベ」は春の七草の一つであるが、十数種存在するナデシコ科ハコベ属の植物の総称。繁縷、蘩蔞。ハコベラとも言う。代表種として三種を掲げる。ハコベ(コハコベ)、ミドリハコベ、ウシハコベ 。
・「くろ」は畦(あぜ)。
・「鐡氣」は「かなけ」もしくは「かなつけ」。
・「人蔘」は人参。
・「蕎麥」は「そば」であるが、「蕎麥いろの穗」であるから、後連から麦の穂の色の形容。
・「藁葺」は「わらぶき」。藁葺き屋根の家。
・「カラメルのやうに泡立ちふくれる」は、私には直ぐ後にある「淺草」の詩から引かれる連想で、テキヤのカラメル焼きを連想させる。私の記憶にあるカラメル焼きは、まさに浅草の景色なのだ。これは読者である私の個別的解釈に過ぎないことは分かっているが、私にはひどく懐かしい連想なのである。私はこの部分を恐らく他者よりも比較的豊かにイメージできると自負するものである。
・「膏肉」は音は「かうにく」であるが私は「あぶらみ」と当て読みしたい。
・「苛責」は「呵責」であるが、このように「苛責」とも「呵嘖」とも書く。厳しい責め。]
田園讃歌2
ぼくらは走つた
青い母胎の
光る小蒲団(クツシヨン)をふんで!
渦巻く乳房の
ふくらむ大地をふんで!
ほくらは醉つた
咽ぶ罌粟の花の
したたる甘い蜜に
あらはなその両脛を
憑かれたやうに火傷して!
ああ 日の祭典の
とめどもない哄笑の
紫水晶(アメチスト)をあびて!
花にあふれた大空に
野生の骰子筒(さいころ)を投げて!
めくるめく日の酒の
この靈感にぼくらは醉はう
薔薇や白金や青の花蕋の
ちひさな戀人たちに
ぼくらの狂喜を告げよう
そして明るい喜劇の
くるほしい幕間のうちに
ぼくらは拔足で逃げてゆかう
ぼくらの愛をあの木蔭の
涼しい青玉(サフアイア)で飾るために!
[やぶちゃん注:・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシとせねばならないが、その必要はあるまい。増田の好む花である。
・「紫水晶(アメチスト)」の「アメチスト」は当時のルビ活字の限界から「ヂ」であった可能性も考えられる。
・「骰子筒」を「さいころ」と読ませるのは、異例と思われる。骰子を振るための「さいづつ」を指す語の敷衍的用法か。関連があるかないかは分からないが、古書店目録に昭和4(1929)年3月発行の雑誌「詩と詩論」3号に「『マックス・ジャコブ「骰子筒」詩』川冬彦訳」の目次を見る(詩の内容や「骰子筒」を「さいころ」と読ませるかどうかは不明)。
・「霊感」の「感」の活字は「心」「口」の下に入り込んでいる。
・「薔薇」は可愛らしい野生のノイバラ等の花を想起するべきであろう。
・「白金」は「しろかね」もしくは「しろかねそう」を指すと思われる。 キンポウゲ科シロカネソウ属で、正式和名ツルシロカネソウ。4~5月にかけて、可憐な白い小さな花をつける。
・「青の花蕋」は、これだけが植物の「花蕋」、かずい=しべを提示し、またそれが青いというのは、不自然な気がする。ここには是非、ノイバラ・シロカネソウに並ぶ花がこなくてはおかしい。私の勝手な想像であるが、これは「青の花韮」の誤植ではなかろうか。ユリ科イフェイオン属のハナニラは、青い星型の妖精のような花を咲かす。私見へのご意見を是非乞う。]
これはひどいね。小学生向けの学習ノートみたような下劣なデザインだ。開くのもげっそり。こう書いて退会させられたら、これはもう至福満腹ヘリオガバリスだ。
ゆめ 増田晃
白ペンキを塗った柵がくづれて
そのあひだから栗若葉の一枝が
寂しい魚のやうに細かく顫へてゐる。
牧場は小鹿の背中に似て
ほそい毛で蔽はれてゐる。
そのなかを一筋道が食鹽の白さを綴る。
私には誰も愛してくれるものがなかつた。
私はまるで木槿のやうにひとりぼつちだつた。
そしてげんげの冠を頭につないだ少女に逢つたとき
私はその子を孤兒(みなしご)と思つて悲しかつた。
おど/\した眼の 脣のすこし反つた
そして胸のあたりの柔かさうな少女だつた。
げんげは花筵のうへに咲いてゐる。
黒土のやはらかい匂を口にふくんでゐる。
ときどき傳説の咽び泣きに目をさます。
私はその子にげんげを摘んでやり
指をきり結んでゐるうちに婚約を交してゐた。
そこは沼の近くで蛙がしきりと騒ぎたてる。
私はみにくい屈託多い孤獨を捨てて
その子と一しよに跪いて祈つた。
私はその脣のわづかな反りをかわいいと思つた。
そして鴨などが浮いてる沼のおもてに
ふしぎな艶をした夕方が辷つてゐるのにも氣づかなかつた。
[やぶちゃん注:・「木槿」は「むくげ」で、アオイ科フヨウ属ムクゲ。落葉低木。花期は7~10月で、10㎝程の花が次々と咲くことから朝鮮語では「無窮花」と呼ばれ、ムクゲという和名もその音に基づくものと思われる。しかし、一個の花は朝方に開き、夕方には凋む一日花でもあり、増田はそこを「ひとりぼつち」と言ったか。
・「げんげ」はマメ科ゲンゲ属ゲンゲ。レンゲソウ(蓮華草)、レンゲ(蓮華)とも。……レンゲの冠(かんむり)を作れる少女も、めっきり減った……
・「脣」以下、当然、読みは「くちびる」。
・「花筵」(はなむしろ)は、草花が一面に咲き揃っているさまを言う。ゲンゲの葉が、少し飛びだした花の下に広く生い茂っていることを指して言っている。
・「辷つて」は「辷(すべ)つて」。個人的には、この最後の一行が、取り分け、印象鮮明である。]
水の反映 増田晃
黄いろい月がかたぶきながら
赤紫の貝やぐらを薫らすやうに
水がかがやく かがやきながら………
日に燃える灼金のはちすに
神々の讃へのうたが匂ふやうに
水がかがやく
黒水晶を撒くアコーデイオンの音いろ
青い薄荷のにほひ ゆめの螢
水がかがやく かがやきながら………
若草のやうにふるへる睫毛を
まぶしさうに伏せて羞かみながら
水がかがやく
水がかがやく 漣がうつる
見のこした夢を思ひだしたやうに
かすかな笑ひ聲をたてて漣がうつる
枯くさがほつかり積んであるあたりで
櫻草の戀のうたがまどろむやうに
水がうたふ うたひながら………
ピアノの白いキイを走る指が
みだれてほぐれて吹雪のやうに
水がうたふ
幼いころほのぼの聞いたあの子守歌
桃太郎のもつてゐた白い旗印を
水がうたふ うたひながら………
お母さん 白金の螢 螢のやうな私
さういひながらも ついうとうととして
水がうたふ
水がかがやく 漣がうつる
見のこした夢を思ひだしたやうに
かすかな笑ひ聲をたてて漣がうつる
[やぶちゃん注:・「貝やぐら」は蜃気楼。
・「薫らす」は「薫(くゆ)らす」で、煙を立たせる、くすべる、いぶらす、といった意味であるが、ここでは「ゆらめく蜃気楼を更にゆらゆらとぼんやりさせるかのように」といった意味であろう。
・「灼金」の読みは不明。音ならば「しやくきん」、訓ずるとすれば「やきがね」「やけがね」(刀が合して擦れ合う際に流れ下る火花をこのように表現するようである)。焼いて赤くなった鉄を言い、蓮の枯れた葉莖部を言うか。枯れては居らず、単にまぶしい陽光を反射している蓮の葉をこのように描写したとも取れる。]
手 増田晃
そのころ私はあなたに捧げる
あかるい曙のささやきをもつてゐた。
金箔のやうにほの明るい
夕もやの小徑をあゆみ、
まだ開いたばかりの赤い罌粟をつみ、
その甘いめしべに
爽やかな匂ひをうつされた手で
あなたの白い手をとつた。
まだうすく煙りこむ雪の
ほそい炎の重なりあふなかを
夢みるやうに眠るやうにあるくとき、
かたくとりあつたあのやさしい手、
母らしいやさしいその手は今どこにあるのか。
そのころ私はあなたに捧げる
明るいゆらめく光のささやきをもつてゐた。
あなたのその手は
まどやかなきよい夢をゆすぶり、
ほそい愛憐の炎をみだし、
柔かいアンジェリュスの夕べを祈り、苦しみの扉をしづかに開く。
そしてつつましい祈りのときに
あなたのルビイの脣からこぼれでた
愛の證しさへいつか薄れようとするのに、
誰も氣にとめないあの小さな手ばかりが
私の消えいる思ひを呼戻さうとする。
[やぶちゃん注:「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシに属する一年草。これを現実の景とするならば、鴉片(アヘン)を含まない観賞用のボタンゲシとせねばならないが、その必要はあるまい。「アンジェリュス」は冒頭の詩「白鳥」の注を参照。「脣」は「くち」か「くちびる」であるが、ここは後者で読みたい。]
雪國のクリスマス 増田晃
娘のマツチが燃えつきたときに
暖い手は娘の冷えたからだを抱いた
煖爐の火や七面鳥は消えたけれど
ちらちらはてしもない歎きは
娘の珊瑚の脣を顫はせてゐた
かげもないあたたかい手に
娘はやさしいその魂を手渡したのであつた
――アンデルセンをよんだ後で
[やぶちゃん注:題名の「クリスマス」の「ス」は痕跡だけで字を成していない。底本としたページの目次で補正した。「煖爐」は暖炉。「珊瑚」はサンゴ。「脣」は「くち」か「くちびる」であるが、ここは後者で読みたい。「顫はせて」は「顫(ふる)はせて」。]
こひびと 増田晃
美しきあぶらしたたり
金のあぶらしたたりおつるごとく
きみをあらしめたまへ
百合の花のつゆに垂れしなひ
ましろの百合匂ひたかきごとく
きみをあらしめたまへ
いろ紅き薔薇雨に濡れ
濡れし蕾やはらふふめるごとく
きみをあらしめたまへ
つめたき御空(みそら)のいろ水にうつり
御空(みそら)のいろの暮れゆくごとく
きみをあらしめたまへ
ましろの雪のひややけく
ましろの雪の柔らかきごとく
きみをあらしめたまへ
[やぶちゃん注:「やはらふふめるごとく」は「柔ら含む」という動詞と捉える。「柔らかくそっと口の中に含んでいるかのように」の意であろう。]
虹 増田晃
朝顔のきよき赤は
ささやかなるランプの笠を縁どるなり
熟れすぎし枇杷のいろは
あたたかき鶉を巣に眠らす
棕梠の花のさびしき黄
懷しき母のゑまひに絶えつづくなり
するどき砥草の緑は
異端者のかなしき眼(まなこ)にうつる
にがくしぼりし藍のいろは
水引草を入日よりぬく
硯(しじみ)のうちらを染めし菫は
息子の墓を抱く老婆の脣(くち)なり
哀しみに堪へて野邊をふりむく
その野のきはみに虹たちぬ
[やぶちゃん注:後ろから二つ目の連の真ん中が、48から49ページの見開き改ページになっているが、「息子の墓を抱く老婆の脣なり」と最終連「哀しみに堪へて野邊をふりむく/その野のきはみに虹たちぬ」はすべて二字半下げになっているが、これは製版上のミスと判断されるので、通常に表記した。
・「鶉」は「うづら」でキジ目キジ科のウズラ。
・「棕梠」は通常の表記は「棕櫚」で、ヤシ科シュロ属の常緑高木。ここではワジュロ(和棕櫚)とトウジュロ(唐棕櫚)の両方を挙げておく(両者の区別は前者が葉が折れて垂れるのに対して、後者は優位に葉柄が短く、葉が折れず垂れない)。
・「ゑまひ」は「笑まひ」で、頰笑み、笑顔を意味し、ここで比喩するように花は咲き開くことをも意味する。
・「砥草」は「木賊」でトクサ植物門トクサ。珪酸を含有するため、古くから研磨に用いられたところから表記の名がある。
・「水引草」はタデ科ミズヒキ。紅白の花序が祝いの水引に似ることからの命名。ただ、この続く「入日よりぬく」は意味がとれない。何方か、ご教授を乞う。
・「硯」は「蜆」の誤字。マルスダレガイ目シジミ科の貝の総称。
・「うちら」は「内裏」で、シジミの両殻の内側を指しているのであろう。]