西田明史に與ふ 増田晃
西田明史に與ふ 増田晃
藥師寺聖觀音のうでを撫でて
私は秘かに日本のいにしへの乙女を慕つた。
昔、まだアモールが眠りこまなかつたとき
美はいかに生ける炬火をかゝげてゐたことか。
しかしけふ天禀ある若き造型の友よ、
君の温い木彫(くるみ)の乙女の肌に手あてて
また流れる編まない髪をゆめみ乍ら
私は初めてけふの日本の乙女らに驚愕する。
さうだ、君の温い木彫(くるみ)の乙女を知つてから、
月が若葉を透かして絹糸を繰(あや)る宵ごと
私は窓を明放ち 戀人と指からませながら
愛の囁きに醉ひながら 優しい背中を撫でながら
また脣を脣でおさへながら をさない乳をにぎりながら
君の敎へる相聞牧歌に感動するを常とする。
神は在り! 私は君の敎へる日本のみを愛する。
(われら知る、多く人の説く日本の貧しさよ。)
ある人人は愛を失ひ既に人間でなく、
また云ふことなくしてしかも云ひ張り、
時たま饗宴に列(つら)なる人はただ己が脈膊を聞かぬ。
しかし君は日本のリズムを敎へ誇りを告げ、
かくも節奏を彩り 夢を櫛(くしけづ)つた。
だが君よ、それにもまして輝かしい事は、
今迄ただ愛してばかり來た乙女に翼をあたへ
はじめて白鳳の昔に眠りこんだアモールが
死んだのではないと私に語らせたことだ。
[やぶちゃん注:私は如何なる彫刻作品も建築作品も触れることが出来ないものは、作品として真の価値を認知できない人間である。冒頭から「藥師寺聖觀音のうでを撫で」る増田は私の盟友である。西田明史氏の履歴については、残念ながらその仔細を知ることが出来ない。彼が作った著名人の銅像等はネット上で見ることが出来るが、さし当たって私にはこの詩集の表紙を含めた4枚の絵(見返しも含め)にのみ好ましい興味があるだけである(彼の没年を御存知の方はお教え頂きたい。彼のこれらの絵が最早、著作権侵害に抵触しないとなれば、これは是非、一緒にアップしたいほどに、素晴らしい絵であるからに他ならない)。そうして、詩集一巻を飾ってくれた芸術家に一篇の讃歌の詩を忘れない増田という詩人の真心に打たれるのである。……しかし、それはこれが増田にとって、たった一度きりの讃歌であることが分かっていたからでもあった。……そうしてそれは、皮肉にも二重の意味に於いて。詩人が詩人の現実の死を眼前に見据えたという意味に於いて。そうして……その後の西田氏の創作活動は、果たして遠い白鳳の昔に眠りこんでいた愛の実相を現代に美事に復活させたかという意味に於いて……である。
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「天禀は、一般的には{天稟」と書き、「てんぴん」又は「「てんりん」と読む。生まれつきの才能。天性の才。
・「木彫」を「くるみ」と読むことは不学にして初耳であった。「刳る身」の転でであろうか。不明。
・「脣」は「くちびる」と読みたい。
・「節奏」は「せつそう」で、リズム・律動の意。]