ゆめ 増田晃
ゆめ 増田晃
白ペンキを塗った柵がくづれて
そのあひだから栗若葉の一枝が
寂しい魚のやうに細かく顫へてゐる。
牧場は小鹿の背中に似て
ほそい毛で蔽はれてゐる。
そのなかを一筋道が食鹽の白さを綴る。
私には誰も愛してくれるものがなかつた。
私はまるで木槿のやうにひとりぼつちだつた。
そしてげんげの冠を頭につないだ少女に逢つたとき
私はその子を孤兒(みなしご)と思つて悲しかつた。
おど/\した眼の 脣のすこし反つた
そして胸のあたりの柔かさうな少女だつた。
げんげは花筵のうへに咲いてゐる。
黒土のやはらかい匂を口にふくんでゐる。
ときどき傳説の咽び泣きに目をさます。
私はその子にげんげを摘んでやり
指をきり結んでゐるうちに婚約を交してゐた。
そこは沼の近くで蛙がしきりと騒ぎたてる。
私はみにくい屈託多い孤獨を捨てて
その子と一しよに跪いて祈つた。
私はその脣のわづかな反りをかわいいと思つた。
そして鴨などが浮いてる沼のおもてに
ふしぎな艶をした夕方が辷つてゐるのにも氣づかなかつた。
[やぶちゃん注:・「木槿」は「むくげ」で、アオイ科フヨウ属ムクゲ。落葉低木。花期は7~10月で、10㎝程の花が次々と咲くことから朝鮮語では「無窮花」と呼ばれ、ムクゲという和名もその音に基づくものと思われる。しかし、一個の花は朝方に開き、夕方には凋む一日花でもあり、増田はそこを「ひとりぼつち」と言ったか。
・「げんげ」はマメ科ゲンゲ属ゲンゲ。レンゲソウ(蓮華草)、レンゲ(蓮華)とも。……レンゲの冠(かんむり)を作れる少女も、めっきり減った……
・「脣」以下、当然、読みは「くちびる」。
・「花筵」(はなむしろ)は、草花が一面に咲き揃っているさまを言う。ゲンゲの葉が、少し飛びだした花の下に広く生い茂っていることを指して言っている。
・「辷つて」は「辷(すべ)つて」。個人的には、この最後の一行が、取り分け、印象鮮明である。]
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