爪を染める 増田晃
爪を染める 増田晃
大川のほとり七月の夜氣のものうきおもひの
鳩尾(みぞおち)にしむそのやるせなさ もの秘めたさの戲れごころ………
つれづれに爪染めかはし身近きゆゑのそなたの髪の
ほのけき炭火であぶられる息ぐるしさ………
こひびとよ お見せ 螢よりもいぢらしいおぼろげな爪を
いま爪紅(つまくれ)で薔薇いろに染めたばかりの爪をお見せ………
(玉虫の緑金の繻子より脆く
朱(あけ)の小箱のほつくよりやわく
赤いぼんねの紐よりうすく
すうぷにとけゆく麭麺よりかたい
おまへの光つた爪を見せて………)
こひびとよ 文月の夜(よ)の七夕すぎの
物干に涼むこころのその稚さ その哀れさ………
身近に匂ふ甘酸いそなたの髪に醉ひながら
かなたに光沸く街のどよもしを聞くその切なさ………
こひびとよ 夏の夜氣のたのしい戲れごころに
お見せ 今染めた可愛い爪 爪紅(つまくれ)に濡れたるこころを………
[やぶちゃん注:・「爪紅」はフウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカのこと。「つまくれ」は「つまくれなゐ」の略で、「つまべに」とも読む(沖繩方言で「てぃんさぐ」)。本格的には、花びらに明礬(ミョウバン)を加えて磨り潰したものを用い、女性の爪を染めた。
・「緑金」は「りよくきん」もしくは「りよくこん」で、古く玉虫自体を緑金蝉(りょくきんせん)等と称していたようである。ここは甲虫目カブトムシ亜目タマムシ上科タマムシ科タマムシの全体に緑の金属光沢に加えた赤褐色と緑色の縦縞の色彩を表現した語であろう。
・「繻子」は「「しゆす」で、独特の光沢を持った生地、サテンのこと。以下の三行の外来語もしかすると増田はこれで「さてん」と読ませたかったのかも知れない。
・「ほつく」は“hook”で、留め金。
・「ぼんね」はフランス語の男性の帽子を言う“bonnet”由来で、本来は帽子(顎の下で紐結びする子供・女性用の帽子であるが、現在(そうした呼称が何時ごろから日本で一般化したかは確認できないので、ここに示すのにはやや躊躇するが)、花嫁のヘッド・ドレスの一種、柔らかい布や毛糸で作られたツバのない婦人用のヘア・キャップを総称して言う語でもある。
・「麭麺」は「パン」。一般的な表記は「麺麭」。]

