孤涯の許嫁が戰死せる夫に殉ぜしをききて歌へるばらあど 増田晃
孤涯の許嫁が戰死せる夫(つま)に殉ぜしをききて歌へるばらあど
増田晃
耳をつんざく砲火のなかを
送りもどされる途中一人の傷兵は
炎天に照りつく酷熱のもとで息絶えゆく。
かれは祖國にのこしたその許嫁さへ
そのゐることさへ思ふ氣なく死んだだらう。
神よ そしてそれは立派なことだ。
そのしらせは幾月もたつてから
故郷の優しい娘のもとに届いてくる。
娘は聞いて目まひしつつも取亂しはしない。
生きてると思つて祈り捧げた昨日までの
不安のうちに樂しい希みだけが眼の前を
切り落ちる眞紅のフイルムとなり映つてゆく。
しかし神よ、その夜更けてこぼれる娘の泪のうちより、
ただ一人の賴りが、二人でゐた時の些少のことが、
二度ともどらない幸ひが溢れてくる。
そしてその幸ひは二人の愛情よりもつと大きな
嵐と誕生に捧げられ また二人の約束が
新しい神々に生まれかはるのを體にかんずる。
娘の耳には恐ろしい迫撃砲がきこえてくる。
かなた城門に揚るひらめきに續く雷鳴と
そして火線から送られる傷いた祖國兵が見えてくる。
それを見るなり彼女は止める手もふりきり
赤い花の足で彈丸の下をくぐり
息絶えかけた一人の男にたどり寄り抱きすがる。
その男はもう眼も利かないで(たとへ利いても
戀人の抱く手なぞ見むきもしまい)
野天の狂はんばかりの酷熱に息絶えゆく。
そのたまゆら流れ彈のひとつは戀人を
抱きしめてゐる娘の熱もつ心臓を射ぬき
折かさなしたまゝ殺してしまふ。
翌朝人人は冷いその娘をかかへ深い沈黙にしづむ。
しかし人人よ 悲しむなかれ この戀人らは
不思議な逢會に抱きあひむしろ嬉(うれ)しんで
大空の諸手ひらく父なる神へと翔りゆく。
神のわれらを召し玉ふ、愛のこの世に果されし時なり、
されば愛の如何を知る者こそ必ずやここに至るであらう。
[やぶちゃん注:「逢會」は「ほうくわい」。」