公園の哀歌 増田晃
公園の哀歌 増田晃
美しいおぼろげな女の息の
秋の夕もやを鳴きあひながら
紺の小鳥はかげをひそめる。
秋のものの音(ね)は靜かにめざめ、
神よ 私の胸にアンジェリュスをたまへ、
黄金(きん)とオパアルの日の暮れどきの
なみだに滿つた煙のなかを
敗者のやうに人はよろめく。
神よ 私の胸に祈りたまへ、
冬となりゆく私のこころに
その火の虹をかけてたまへ。
されど冬となる噴水のおと
まどろむ落葉をひた打つあたり、
ニツッアの神使の入江を夢みて
眼を輝かせしアンネツト今はいづこに。
まことその少女(をとめ)みまかりてのち
復讐の女神冷ややかな笑ひに
いつかその生涯を沈ましてゆく
才ある少年樂人ゲザはいかに。
むしろ破(やれ)風琴の寂しく鳴れる
追憶の公園をやつれさまよふ
その成れ果てはいかに、傷手はいかに。
神よ とるこ玉のはだへの艶の
もろい黄薔薇のもやがこもる。
もやにまどろむ風見の鷄(とり)は
いつか私の冬のいたるを思はしめる。
神よ 私はやつれ且敗れたものです、
哀れな小鳥らにあはれみあるとちもに
いま私の瞼にも希(のぞ)みをたまへ。
逝きしアンネツトに その追憶に
くらむ胸にも火焔をたまへ。
やつれさまよふこの傷手(いたで)おふ身に
ああ その虹をたまへ………
〔註〕ゲザ、アンネツト共に鷗外漁史「埋れ木」に出づ
[やぶちゃん注:最後の「註」の〔 〕は横向き。ここで増田が重要な背景とするのは森鷗外の翻訳小説オシップ・シュービンの「埋木」であるが、不学にして私は本作を所持しておらず、未見である。従って本件についての多くの注は「埋木」の読後に回すこととする。但し、私は元来、鷗外という作家をどこか好きになれずにいる(だから大学時分、岩波の選集しか買わなかった。それでも貧乏学生の僕には高かった)。それは今後も変わらない。従ってそれがいつになるかは判らぬ。作品としての「埋木」はものの本によれば、才能を持ちながら芽が出ない芸術家の物語であるという。ともかく、その作品を知らない以上、この詩に対する一切の解釈は禁じられてある。
・「アンジェリュス」は冒頭の詩「白鳥」の注を参照。
・「火焔」の「焔」の字は(つくり)の上部が「稻」の「臼」の上の部分を用いているが、「焔」と改めた。]