私は私自身を救助しよう
人間にとって生き様を選択することは、決して難しいことではない。
どう生きるかを選び取るのは、僕等の最も自由な領域でなくてはならぬ。
あなたや「私」が好きな夭折の諸々の人々はそれを皆してきた。
その後に、どれだけ生きるかなんて、それは愚劣な天命の謂いだ。
要は、どれだけ「自分として」生きたという実感を持てるかということに尽きる。それは死に瀕しての弁解ではなく、だ。
さても、あなたは?……いや、あなたがどう生きるかは、実は、全く興味がない。
自分さえも救えぬ人間に他者は救えぬと言ったのは親鸞だ。
「私」は「私」自身を救助しよう――