日光尊者 増田晃
日光尊者 増田晃
――三月堂佛像 天平時代
日光があなたのあしもとにかがよふた
低い聲があなたの耳もとでかうささやいた
「おまへは日光尊者と名のるがいい
おまへは私の息吹によつてかがやくであらう」
そのときからあなたの眼は
ふしぎな氣魄にらんらんとしてきた
天上の炎があなたに宿つたのだ
あなたの夢はやがて天馬にうちのり
星の群林をとびこえ
白い旗印をはためかせて天へかけのぼつた
それゆゑあなたのまへに立つと
ひとは身ぶるひを覺え
日に灼かれるやうな觀喜と
衝動と磁力とをかんじたのだ
あなたの脣は
赤いくすんだ色をのこし
大日輪のめぐみをたたへて
豊かに綻びかけてゐた
その脣をみてゐると
ひとは艶々した栗のまろみを思浮べたり
いま開いたばかりの花をおもつたりした
そして自分たちの犯したつみも
自分たちを傷けるものとはならないで
その思想にますます厚みを加へ
花のやうなナイーヴさを增させるものと感じた
あなたのもろ手は
若草のやうにやんわりあつてゐた
その合掌は未來への大道を示してゐた
ひとはその合掌をみて
天地の上も下もない燐光のあひだに
一つの大いなるものの出現を直感した
そして一日つひにあなたの夢は
龍のしるしの日の車をかつて
突如 天上の崖頭にあらはれた
ある日 三月堂の大扉が左右にひらかれ
日光のかがよひはあなたの足もとに雪崩れ寄つた
「おまへはもはや佛像でなない
おまへのゆめはおまへ自らの姿だ
おまへはまさに天日 そして既に私だ」
かう低い聲があなたの耳もとで囁いた
[やぶちゃん注:東大寺三月堂に安置される日光菩薩をモチーフとする。日光菩薩は一般には月光(がっこう)菩薩と共に薬師如来の脇侍として薬師三尊の一部をなす。正式には日光遍照菩薩と言い、発するところの一千光明によって遍く世界を照らし、それによって諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとする。但し、三月同の本尊は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)であり、この仏像は客仏(仏像が他の寺から移されること)された際に「日光菩薩」と呼ばれるようなったとされる。確かにその姿態は一般的な日光菩薩のポーズとは異なる。
・「脣」は「くちびる」と読みたい。]
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ちなみ言う、東大寺なら
私は十七年前、教え子に導かれて見た戒壇院の廣目天にとどめを刺す。