城山燃ゆ 増田晃
城山燃ゆ 増田晃
乞食は山上で乾いた一箱の燐寸を拾つた。
彼は寒さにうづくまりながら、
城門のかげの落葉に火を放ち眠りおちる。
冬の夜ふけ羅卒のすがたも消え
堀には鴨が生乍ら氷るおびえに叫ぶとき、
ふと山上の城にかすか明りがゆれはじめ
廣い城下町が時ならず白んできてゐる。
人一人住まない城山のいただきの
城壁がいくども火に鏝あてられる。
それを見つけた夜番は思はず立すくんだ。
そして櫓にかけのぼると花札をきるほど早く
惡鬼の甲をつりあげたる半鐘亂打する。
そのあわただしい息は城下町の甍を鰓にかヘ
その動く一つ一つをはや火照りが縁どりそめる。
人一人住まない城山のいただきの
火を吸入れんとする大城門は
紅玉の顎なしていくどかうごき
天主閣はそのおくに身がまへる。
群集はくるへるやうに城山の火柱をあふぎ
古き時代の番人を打たふす破城槌のひひぎが
無數の揚物をしてはじき飛ぶのを聞く。
彼等の舌はしびれて昨日までの言葉を忘れる。
(石を運びあげ息ついた折穴に突落された人柱、
また背後から飛ついた通り魔にたふれた戀人たち
さては宴げの呼子の鳴る夜、土窂に餓死した最後の人)
亡靈はかの開かれざる城門の敷石の下にあつた。
しかし見よ、燃ゆる薪の雨にその錠は容易(たやす)く落ち、
彼等は故わかぬ幾百年の血だらけの足跡を迫り寄り
敷石をさしあげて神に祈つたとき
それはむしろ奔る楯であつた。
火は美人を抱あげるやうに四方から天主閣に殺到した。
巨大なる材とともに舞へる蜘蛛はその眼のまへを
鎧と私通にみちた幾世紀が走馬燈のごとく飛ぶのを見た。
昔からこの甍に棲んできた蝙蝠は火に自らを投じて叫ぶ。
「おゝ古き城よ、われらはただ古きが故にのみ亡さる。
われら今日何の惡事をなし、何の犯罪をなすであらう!」
しかし見よ、天主閣は火に撫廻されて身悶えた末、
身を任すのを恐れてくづ折れる女王のやうに
大きく搖ぐとみると雪崩こんでいづこへか溺れていつた。
その火明りで雪と泥の平野は祭になつて彩られる。
人々は胸そこから夥しい歡呼のわくのを覺えた。
かれらは故もなく大聲で泣き叫び笑ひながら
眞紅の櫨にそまり城下町へ津浪のごとく押寄せる。
そのとき乞食は既に逃げる力を失つた。
われら知る曉をみちびくものは賢者にあらず
王者にあらず 豫言者にあらず、そは唯失火のみ。
唯失火のみ 浮浪者のみ 言葉穿つ方言のみ。
しばしかの泉のほとりで渇せしもの貧しき殉死者を見よ。
かれがいまはの息をわれらは産聲ときくその一瞬を見よ。
おお われらが求愛すゐ新生、若さと無謀にみちた未來よ。
いまや一たびつむじ風が城山の一切を巻上げたとき、
かれは常に落葉よりかるく吹上げられて散華する。
そしてそれはこの癈城の道伴になる唯一の人間であり、
このエピタフを身をもつて草する昨日の詩人であり、
彼はその悲劇的陶醉的なる一夜を心ならず
曉の弓弦に張つたのだ。
城下町は晝のやうに明るくなつた。
火の先發隊はすでに城山をめぐる濠にせまり、
無數の柳は濠に身を投げんと絶叫した。
火は大包圍戰を構成して堀にうつり映え、
水底からも金の鯉の群の火はなだれ上つてきて
津波のやうに
轟然たる人々の聲に和した。
[やぶちゃん注:本詩の取材する城は何処のものなるか知らず。私は自然、架空幻想の城ととるのであるが、万一、増田がイメージのモデルとした城をご存知の方はご一報願いたい。黒澤明が撮影しているような幻暈を憶える慄っとする素敵な詩だ。
・「燐寸」は「マツチ」。
・「鏝」は「こて」。
・「鰓」は「えら」か「あぎと」であるが、炎の比喩とすれば「えら」の方が、鋭角的で良いように私には思われる。
・「破城槌」は「はじやうつい」で、城門を突破するために使用される兵器。元禄忠臣蔵の巨大な槌(つち)やただの丸太を吊るした遊動円木のようなものを想起すればよい。
・「揚物」は「あげもの」で、兵器としての投石機を言うのであろう。ここの部分、「群集は」「ひびきが」「はじき飛ぶの聞く」という構文は、やや無理があるように思われる。
・「土窂」=土牢。
・「撫廻されて」は「撫廻(なでまは)されて」。
・「櫨」は「はぜ」で、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキで、その赤い葉を隠喩に用いた。
・「エピタフ」は“epitaph”で、墓碑銘。]