口占 増田晃
口占 増田晃
あさ
桝の白魚をならしてみせる女のほそいゆびさき
行春
朱に明む小鳥の脚の細らひを見ればかそけし春たけにけり
五日月
さざなみ眞紅(あか)き入日ぐも かへりみしつつわがゆけば、ふうわり黄いろの五日月 浮草めいて水離る
汝(な)が髪
汝(な)が纖き髪すべる香油にキプルの女鳩ら鳴きぞほめき
汝(な)が乳(ちち)首にさしぐむ朱(あけ)にレスボスの乙女らこころ蕩(とろ)けて………
[やぶちゃん注:「あさ」から「汝が髪」までの小題は七字下げでポイント落ちである。総題の「口占」は「こうせん」と読めば、腹案の詩文を人に口授(くじゅ)すること、また、詩を文字に書かず浮かんだ際に直ちに口ずさむこと、またはその詩を指す。中国では本来は口をついて自然に詩が出来たことを言い、10世紀以降、詩題のことを指すようになり、清代には「○○口占」という風に題そのものに用いるようになった。しかし、これを「くちうら」と読むと、(1)人の言葉で吉凶を占うこと。(2)言葉つきでその人の心を察すること。(3)それとなく言うそぶり、「口裏を合わせる」の「口裏」と同義の意となる。私は実は一読(というよりこの文字を見た瞬間)、言占(ことうら)の意と思い、思い込んだらもう払拭できない性である。私は言占という呪術そのものに民俗学的にも精神的にも強い関心と魅力を持っており(文学を愛好するものは多かれ少なかれみな言占の信者であるとさえ思う)、これは強烈なバイアスなのである。従って贅沢にいこう。これは増田の、口をついて出た詩というさりげない総題でありながら、実はそこに神秘的な言占のニュアンスを潜ませながら、「誰か」の心を察し暗示し、それとなく「誰か」に言いかけた詩、という題名であると。
・「白魚」は、キュウリウオ目シラウオ科シラウオと同定してよいであろう。比喩としての以下の女の指、増田が居住地東京ならば、霞ヶ浦か利根川の産の同種であろうと推定する。
・「朱に明む」は、私は「朱(あけ)に明(あきら)む」と読む。
・「五日月」は旧暦5日の上弦の月。三日月よりやや膨らんでいる。
・「眞紅」の(あか)のルビは二字合わせてのルビである。
・「纖き」は「纖(ほそ)き」。「纖」は「繊」の正字で、細い、の意。
・「キプル」は、ユダヤ教に於いて最も重要な贖罪日である「ヨム・キプール」と関わると思われる。この時、断食はもとより、入浴や性行為も禁じられる。が、「キプール」そのものの意味を現在探りえていないし(幾つかのリンクを辿るとそれとなく邪悪な存在との関わりを感じさせはするが)、「鳩」との関連も不明(ヨム・キプールを含むヤミーム・ノライーム「畏れの日々」に行われる贖罪の儀式カパロットでは贖罪の身代わりとしてニワトリが用いられるが、ハトではない)。ユダヤ教に詳しい方のご教授を求む。しかし、誤読を覚悟で以下のように解釈は出来る(なお、次の注も参照のこと)。――本来、精進潔斎すべきヨム・キプールの日、同性の女達だけでなく畜生であるハトさえもあなたの美しい細い髪の毛の香油の香をかいだだけですっかり恋焦がれて参ってしまう――
・「レスボス」の同性愛の由来は良く知らなかったが、以下のページで眼からレスボス(石垣由美子女史の「レズビアンの語源となった文人の島」)! そこにはオルフェウスの呪いの暗示もあって、いいじゃない! この二行詩が純然たる対句表現である以上、「レスボス」に対する地名として「キプール」はある必要を感じる。フランスの詩人ピエール・ルイスの「ビリティス」に「キプル島の短詩」というのがあるが、所持しない。この架空の女流詩人の作には「恋の島レスボス」というのもあるので、恐らく彼の詩が増田の本詩のもとネタであろう。ピエール・ルイスを知る人には分かりきった詩なのであろうか。愛好家の方の、ご教授を乞う。正直、これからルイスを紐解くのは、精神的に少々(いや大いに)億劫である。今からルイスを好きになるには年を取り過ぎた。]