「プロビデンス」夢
「白鳥」を仕上げたら、何だかどっと呆けた。今日は何をしようかと、未明の夢現の床中で考えていた……
……僕は大学生の頃から、日記の中で夢記述を行ってきた。職について暫くして遂に日記を止めてしまってからも、「梦塵録」と称する冊子を作り、やはり夢記述を続けてきた(この数年は面白いと感じたものだけを記すようになったので、年に数件しか書かないが、それでも僕の自身に課している作業の中では実に30年以上続いている稀有のものだ)。向後、その中から、興味深いものを幾つか取り上げようと思う(いや、そのつもりでカテゴリ「夢」をつくったのだったじゃないか)。本文中の注釈の内、[★やぶちゃん注]というのは現在の、指示がない[ ]書きの注は、当時の僕の注である。ちなみに今回の夢記述の頃は、大学時代からの延長で、覚醒直後に記載し、細部は驚くべき正確さで細部まで記載できた。24年前のお恥ずかしい僕の文章だけど、その記載の5年も前に見た映画が前半部で強力にプロットを牽引するのも面白いし(この僕の夢のむちゃくちゃな人物設定はレネの「プロビデンス」を見て頂くと納得出来るはずである。ちなみにあの映画は、ジョン・ギールグッドの名演の一つとして確かに数えたい作品である。映画そのものよりも、である)、何やら後に騒ぎとなる北朝鮮の工作船みたような密貿易船やら、心霊写真めいたセピア色の謎のポートレートやら、盛り沢山でちょっと慄として悪かあないんじゃあないかな、なんて思ったりもする。では、どうぞ。
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1984.1.20.
私の亡き父は[★やぶちゃん注:僕の父は現在も健在である。]、第二次世界大戦中、中国相手の密貿易をしていた。私は、政府機関の特務員と思しき一組の男女と共に、亡父が所有し、終戦間際に行方を絶った漁船を装った密貿易船を捜している。
私の妻を[★やぶちゃん注:僕はこの時、26歳で未婚である。]執拗に追い、私との離婚を迫る男がいた。私の街のメイン・ストリートに面した私の家の前は、折りしも行われていた街のマラソン大会のコースに当たっており、そのレースに男は参加していた。私は、その男の魂胆が、自分の走る勇姿を見せて肉体を顕示し、妻の気を惹こうとするものであることを見抜いており、あいつは鈍足くせに愚かな奴だと内心、思っている。奴が家の前まで来たのが見えた。男は、突然、コースを外れて、家の中に闖入し、私と妻の居る二階の部屋に現れる。[「プロビデンス」のワン・シーンを想起させる。]彼はランニングを続けたまま、妻の腕を捉え、一緒に来い促す。私の怒りは限界を越え、彼を階段から突き落とす――そうして、私は、男の代わりに、情念の塊となってマラソンのゴールに向って、走る。[★やぶちゃん注:ここまでの一見極めてシュールレアリスティクな設定や展開は、1979年に岩波ホールで見て面白いと感じた、死病に罹った老小説家の発想の映像化という、アラン・レネの映画「プロビデンス」の影響によるものである。マラソン選手の登場は実はそのシーンの中にあるのである。]
走る私――その私を先の探索をしている女性が追いかけてくると、街外れの港で父の船が発見されたという知らせをもたらす。ゴールの先にある港へ私は、ゴールを無視していっさんに走ってゆく。
多量の海水が腐って青黒くなったドックの底からまさに引き上げられんとする父の船。零細漁民が用いる小さな発動機付の船である。気が付くと、探索者の男も駆けつけている。
※海水に濡れた船中に降り立つ。前部に長方形をした箱があり、その蓋を男が持ち上げた。蓋の中にびっしりと張り付いていた無数の甲殻類――楕円形をしたゼリー状の粘液に表面が覆われている白いフナムシ様のひどく気味の悪い生き物である――が、私の足元を掠めてわらわらと走り去り、海中へと落下しゆく。ここには何もない。
船の中央部には、やや幅広の金属で出来た棺桶様のものがある。三人で苦労して蓋を外す。中には海水に浸かった木造の仏像が一体と、二点の木彫の工芸品が入っている。
その他、船室の戸棚からは、父の筆跡に間違いないノートの断片が発見される。斜め読みすると、頻りに日本への望郷の念にかられている内容である。
ドックの奥まで、船を引き上げてもらう。胡散臭い一人の若者が突然現れると、何某かの金で船の保管を請け合うと申し出てくる。何かが、おかしい。都合が良すぎると感じながら、この若者に船の保全を依頼する。
ドックの奥にある地下室では、古美術鑑定人が待っていた。例の棺桶状の箱から現れた仏像以下三点を鑑定してもらうが、すべて贋作と分かる。ところが、よく見ると前頭部が粉砕しており、そこから空洞と思われる部分と胎内仏と思しき小さな仏像が見える。その仏像[これは父が私にくれた模造の円空仏に酷似している]を引き出し、さらに仔細に調べたところ、前胸部の前面がスライド式に外れるようになっており、取り外した部分の中央に更に凹みがあって、そこに折り畳まれた紙片が封入されていた。私はその時、思わず叫ぶ。[★やぶちゃん注:仏像の絵がある。【2014年10月31日】「梦塵録」より画像追加。]
「そうか! これがあの謎を解く鍵……!」
[この台詞を吐いている最中に画面が切れ、再び「※」の部分に戻って、ここまでの部分をリフレインする。][★やぶちゃん注:この驚天動地のフィルム・リフレイン現象も恐らく映画「プロビデンス」の作劇法の影響である。「あの謎」は原本では傍点。さて、二度目はやはり、フィルムが切れるように、ここで切れてしまい、ここで言う「あの謎」というのは遂に明らかにされないで終わる。]
再び、船中。父の筆跡に間違いないノートの断片、そして一枚のキャビネ版のモノクロ写真が一枚。
中国の山村風景の如き遠景、中央に大木。その根元に清朝(?)の礼服を着た見知らぬ中国人(服装からそう思っただけで日本人かもしれぬ)が正面を向いて佇んでいる。その男の頭上50cm程の部分で、木は大きく抉られており、その洞(うろ)の中に小さな小さな、みすぼらしいなりをした見知らぬ小人の男が、口をポカンと開けて、写真の右前方のあらぬ方に視線を向けている。重度の脳障害を持った表情である。その下に立っている男性が如何にも快活に笑っている(恐らくその頭上の小人の存在に気づいていない?)だけに、心霊写真のようで、私はひどく気味悪くなってゆくのだが、そばに居た捜索者の男は、写真を見るなり、こういった写真は当時の中国へ行った旅行者が好んで撮影したものだと、こともなげに言うのであった。私もそう言えば、そんな話を誰かから聞いたことがあるような気がした……(完)[★やぶちゃん注:エンディングの部分の記述は、梶井の「愛撫」の夢記述の末尾を真似ていると思われる。]
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