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2007/10/16

長詩 飛鳥寧樂のための序歌(一)及び(二) 増田晃

     長詩 飛鳥寧樂のための序歌(一)   増田晃

乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ!
夜沈々 御身らわれを飛鳥にみちびき
二十三才のこの開花に變貌のきざしを來し、
ゆくべき大道を遠く示したまへり。
しばし今宵、糸下り來る蜘蛛拂ひつつ
御身らがために讃歌し ここにわれ
あたらしき靈異記と相聞がために立たんとす。………
………………………………………………
まこと常春藤(きづた)に祝されしプラトオよ。
御身が産れながらに妊娠せるたましひは
その分娩を美はしき魂のうちになしたり。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
またわが歌調(アリア)なる御身バツハよ、
沈みゆく悲しみと抑へがたき欣びは、
開きゆく花のごとく タぐれの燕のごとく
美はしき收穫を神の御(み)倉にたたふ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………

更にまた羅馬女神と同衾せしゲエテよ、
御身はドロテアにつよき開眼をあたへ、
また西風の翼にズライカを扇ぎ、
美はしき欲念を神のみ業となしぬ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
さればけふわれこの歡喜の遺産を相續し、
魂はかゝるエロスによりて生計をたて、
いつか希薄となる大氣はわれを放たず。
まことわれらがいにしへの旅する詩人が、
杜甫樂天の森をぬけ初めてかれらと語りしごとく、
われまた西歐が大いなる魂の森を
たゞ若き喜びにふるへ歩みゆくべし。………
…………………………………
乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
髪なしてけぶる雨は香を焚けば、
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ。
日に灼かるるごとき磁力と愛溺!
また影響と共に見出されゆく自己よ。
願はくは御身らこの若き詩人によりて
飛鳥天平のいにしへに祝福せられよ。

     長詩 飛鳥寧樂のための序歌(二)

いくたびかわれ古都の長道をあゆむは
物語のゆゑならず 考證にもあらず。
たゞここにして東大寺の杜よりひびく
おもひしづめる梵音にふかく太息し、
ぐづれかけたる築地に沿はむうれしさに
藥師寺より招提寺へと往來(ゆきき)がせんがためなり。
されば共に佇むものよ 夢にみよ、
夢にみよ 今斑鳩の白きあぶら壁に
姉のごと聖く腕(うで)まげし勢至を。
また戀人の露(あら)はのかひなを伸べつつ
薔薇に飾られてふくらむ柱を。
また懷しや 若き尼は金泥の経文に醉ひ
牝丹雌蕋のごと雄蕋にまみれたれぱ、
水滸傳にも見まはほし 帝(みかど)が御(み)子も
ちまたの酒肆をみそなはし車止めたまひぬ。
戸を開(あ)けよ 戸を開けよ 三條にちかく
朱雀大路を今し歌垣は下りゆくなり。
輪髪の乙女よ、共に來れ、こなた
伎樂のしらべほの聞ゆ内裏にそひて
かの群に加はらむ、共に速く!
………………………………………
共に速(と)く! 共に佇むものよ、
くづれかけたる飴いろの築地を沿はめ。
歌垣は了りぬ、大いなる高塔はもえぬ、
佛らの脣あせゆき 赤きかゞやきはきえ
斑鳩の壁画はその崩れを硝子もて支へらる。
飛烏は去りつ 飛島は去りつ
しかも天平のパルテノンなる招提寺の朱さヘ
日とともに寂び 雨とともに流れ
つひに秋篠のながれも田川となりぬ、

夢みつ醒めつ 大極殿の御跡をよぎり
後宮のみち芝にふしておもへば、
かつて橘の三千代夫人 また燦やかし
藤三孃安宿媛の春の宴はいづこに。
泣かまほし物偲べば青摺の歌垣乙女
またありや 誘ひつれし愛の言葉よ!

けふまたもわれ古都の長道を下るは、
物語のゆゑならず、考證にもあらず。
ただ失はれたる飛烏寧樂の夢に現(うつつ)に見えかくれ、
赤きひかりを放たむを慕はむがためなり。
おお愛と力にみちし日日よ、われ弱ければ、
愛人を慕ふごと昔をこがれ泣沈むなり。

[やぶちゃん注:標題の「飛鳥寧樂」は「あすかなら」で、「「寧樂」は奈良の古称。底本では「長詩」はややポイント落ち。
・「夜沈々」は「よしんしん」又は「よちんちん」で、静まりかえった夜のさま。
・「二十三才」は増田自身の本詩を創作した際の年齢を指していると考えられる。後掲する詩集末尾の「覺書」の「八」で、増田は『卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に属する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。』と記している。1989年より後の作品が含まれていないとは言えないが、この叙述を素直に読むならば、1989年前に創作されたものと読んでよく、1989年当時、増田は24歳である。
「靈異記」は「りやういき」(「れいいき」とも読むが前者で読みたい)で、通常は「日本国現報善悪霊異記」を指す。しかし、ここは一般名詞として、人知でははかりしれない神聖にして不思議な物語の創造という意味で用いていよう。
・「プラトオ」は“Plato”で、哲学者プラトン。
・「常春藤」はギリシャであるからセイヨウキヅタであるが、ここに記されたキヅタに祝された(?)という事蹟については、不学にして知らない。以下に続く、部分も意味不明であるが、プラトンが創始したイデアの認識とそこから生じるエロスの誕生を意味しているか。倫理社会の貧しい知識の牽強付会である。すべてに亙って識者の御教授を乞う。
・「羅馬女神」は「ローマじよしん」で、ゲーテが自室にその胸像を飾っていたユノを指すか。彼女は結婚と出産、既婚女性の守護神にして神々の女王である。
・「ドロテア」は、ゲーテの不滅の愛を描いた「ヘルマンとドロテア」のヒロイン。
・「ズライカ」はゲーテの「西東詩集」に載る詩で、シューベルトやシューマンの歌曲で有名。本来、「ズライカ」とはイスラムの文学にあって才媛を意味する語。但し、この詩はゲーテの作ではなく、彼の恋人であったマリアンネ・フォン・ヴィレマーの作であることが分かっている。「ズライカ(西風)」の詩は以下等を参照。
・「梵音」は「ぼんおん」で、鐘の音。
・「築地」は「ついぢ」。
・「招提寺」は唐招提寺。
・「あぶら壁」は「油壁」で、築地塀の一種。砂・粘土・餅米の汁を用いて塗り固めたもので、高い強度を持つ。
・「勢至」は勢至菩薩。阿弥陀三尊の右脇侍。この像の特定については、薬師寺等にある実際には勢至菩薩でない別な仏像等の幾つかの可能性を考えたが、ネット上での貧困な推理に過ぎない(親しく実見したものでなく、薬師寺から唐招提寺に至るどこか、或いはその周辺の寺院の勢至菩薩像である可能性も否定できない)ので、考察結果は控えたい。奈良に詳しい方の、御教授を乞う。
・「水滸傳にも見まはほし」は意味が取れない。「見まはほし」は「見まほし」で(そのような語はないが)、「水滸伝」に登場させたいような」という意味か。識者の御教授を乞う。
・「酒肆」は「しゆし」で、酒屋。
・「みそなはし」は「見る」の尊敬語。
・「歌垣」は、一般には、男女が春と秋に集まって歌い踊り合って互いに求愛を表現した行事。東国では歌(かがい)と言った。なお、「歌垣」には狭義に踏歌(とうか)の意味がある。踏歌は中国伝来の男女別の集団歌舞で、足を踏み鳴らして歌い舞うものであるが、女踏歌は紫宸殿の南庭でのみ行われ、市中には出てゆかなかった(男踏歌は市中に出る)ことから、前者としてよいであろう。但し、これは増田の奔放な幻想であり、彼自身が詩末で言うように、そのような『考證』にこだわる必要はない。
・「輪髪」は、一応、「りんぱつ」と読んでおくが、「わがみ」という発音が今ひとつピンとこないだけで根拠はない。以下に記すような理由から、「わげ」と読ませているのかも知れない。そもそもこの髪型がどのようなものを指しているか分からないのであるが、言葉や推定される形状からは頭上に輪の形に神を結う結い方で、唐子髷(からこわげ)・唐輪(からわ)と言う。但し、これは鎌倉時代末期から室町時代初期に結われた髪型の一種であり、更に当時は男子の髷(年少の武家や寺院の稚児)の髪型で稚児輪(ちごわ)とも言った。後にこれは兵庫髷というものに変化し、江戸期の遊女間にも流行したというが、奈良期の少女の幻影には合わぬ気がする。眼から鱗の解釈のあられる方は、お教え願いたい。
・「伎樂」は「ぎがく」で日本最初の外来の楽舞、無言の仮面劇を言う。推古20(612)年に百済(くだら)の味摩之(みまし)なる人物が中国の呉の国で学び日本に伝えたとする。飛鳥奈良朝が最盛期。
・「脣」は「くち」であろう。
・「斑鳩の壁画」は昭和24年に焼失した法隆寺金堂内の壁画を指すか。それ以前の状態が増田の言うようなガラスによる支持保護であったかどうか。
・「秋篠」は秋篠川。奈良県北部を流れる佐保川の支流で、西ノ京辺りでは薬師寺や唐招提寺や薬師寺のそばを流れる。
・「大極殿」は「だいごくでん」で、大内裏の朝堂院の中の、北部中央にあった正殿。南面して中央に高御座(たかみくら)があり、天皇が政務や、即位の大礼等を行う際に用いた。
・「みち芝」は一般名詞として道ばたに生えている芝草、雑草でよいと思われるが、一応、イネ科ヒゲシバ亜科のミチシバという種があることは掲げておく。
・「橘の三千代夫人」とは県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)、橘三千代(たちばなのみちよ)とも言う。軽皇子(文武天皇)の乳母。敏達天皇の第一皇子難波皇子の孫である美努王(みぬおう)の妻となるが、藤原不比等が恋慕、三千代は夫を捨てて、不比等の後妻となり、光明皇后を産む。その後、軽皇子は祖母である持統天皇の後見によって皇位に就き、三千代は後宮に絶大なる権勢を有し、同時にこれが藤原時代の幕開けともなった。
・「燦やかし」は「燦(はなや)やかし」と読むか。
・「藤三孃安宿媛」は「とうさんじやうあすかべひめ」で、三千代の娘、光明皇后。前掲の詩「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」の注を参照。
・「青摺」は「あをずり」と読んだ場合、青摺衣(あおずりごろも)という古服を指す。原義的には「青葉で摺り染めされた着物」で、カワセミ(ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科)の羽のような色を指す。但し、これを「あゐずり」と読んだ場合は儀式用の青摺衣(あいずりころも)を指し、これは山藍摺りされた藍色の衣を指すという。山藍摺りとはトウダイグサ科ヤマアイ属ヤマアイの葉を搗いて出る汁によって青磁色に染められたものを言う。
・「考證にもあらず」……されば、さることなり、私の付け焼刃の注釈など、考證にもあらざるものと言ふべし……]

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