伽藍 増田晃
伽藍 増田晃
曙のほのかな太息(ためいき)がもれるころだ。………
眠りとろんだ若い男のやうに 湖はまだ身動きもしない、白花彩のうすれた朝空には にこやかな赤い螢ほどの 寂しい月のきぬずれが消えてゆく。………
わたしは湖のほとりに寢て 澄んだ翡翠のひかりのおくがの かすかな谺のまじらひに耳すました。それはまた水の精となつたアリエルの 嘆きのやうに涯しない。………
しだいに白花彩が消えてゆき 眞紅の力ある膚をもつ 火山が湖より立上るころは水のおもては一面の玻璃、ただ雪のひらめきに輝くにすぎなくなつた。………
その透通つた湖の底にわたしは散り集る伽藍を見た、その寺は大きな玄武岩の石材を きりぎしのやうに水底に搖めきいらせ、清らかな泡で銀をかぶされて輝いた。そのはるかな底には大きな鐘がゆれ、その伽藍は静かに深みに沈んでゆくのであつた。そしてその反映ばかりが漣なして 全水面に光りはじめた。………
たとへどんな高い聲で呼ばれても わたしは自らの聲しか聞かないのだ。わたしは放恣に疲れた心に 白粥でも啜らせるやうに 暖い聲をかける、わたしは曙の凡てと同じ肺から 仄かな太息(といき)をついたのである。………
[やぶちゃん注:・「白花彩」は、朝焼けの空に起こる雲か光の何らかの天文現象を言っているようであるが、お手上げである。
・「おくが」は一読「屋瓦」であろうと思ったが、であれば歴史的仮名遣いの表記は「をくぐわ」で大きく異なる。増田にはやや仮名遣いを誤る(口語化する)傾向が見られるので、一概に否定は出来ない。主人公の幻想の館の翡翠の屋根瓦は、私には自然に連想出来る。
・「アリエル」はイギリス民話に登場する優雅な翼を持った妖精(ニンフ)というが、特に知られるのはシェークスピアの「テンペスト」やゲーテの「ファウスト」に登場する大気の精。しかし、「水の精」「嘆き」としっくりこない。]
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本詩については、現在、知人に幾つかの疑問点を紹介中。今後の新知見は、独立ページ製作時に追加する予定。