生田春月絶筆 詩集「象徴の烏賊」斷章
斷 章 生田春月
南仙子默示録(The Revelation of Nonsense)
の名のもとに完成せんとしたものの斷章である。
一部分は東京で、大部分は大阪で。
(一九三〇・五・一八 大阪にて)
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天地の間
われ今日、天地に異象を見たり。
地になきものを天に見、
天になきものを地に見る
天と地になきもの、
天と地の間に見る。
オーサカ
ロンドン、パリ、ニュウヨオク、
ベルリン、ヰイン、トオキョウ……
飢ゑた貧しい詩人が月を見てゐる、
月が詩人の髯を見てゐる。
おまへはあまりに知られすぎた月、
これはあまりに知られない詩人、
みんなに見られてゐる月と
誰も讀まない詩人とは、
この世で誰よりも親しいのだ。
詩人の運命はインタアナショナル、
すべて平凡、すべて無趣味、
煤煙と塵挨との中
商業主義の花は開き、
機械の中に神の呪阻を聞き、
貨幣の音に詩が生れる。
新しい詩は金である、
この電力の世に、まだ紙に詩をかく
詩人といふ種族が生き殘つてゐたのか。
オーサカで、詩人は滅びる……
汚 水
大都會の下水の中を
ひとりで流れてゐた。
自ら自らの何であるかを知らない、
ただ果てしらず流れるのを知つてゐた。
ここはマンハッタンか、
ここは堂島、
一生はただ下水のどぶ、
わたしほただ流れる。
無眼子
桃を見る人あり、
竹を撃つ人あり、
かれもさとり
これもさとる。
われは山を見て山を見ず、
海をみてまた海を見ず、
さとりもなく
一生は終る。
變 形
或る時は生に充ちてゐる、
或る時は死に充ちてゐる。
蠶食されるもの、
氾濫するものとなる。
破 滅
おれは墮ちたる天使である、
白皙の神通力を失つて
翼破れて、喜んでゐる。
もうおれは絶對自由である、
黑く波に身をのまれつつ。
*
注:底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、可能な部分を恣意的に正字に直した。
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遺稿詩集「象徴の烏賊」の掉尾を飾る詩群。5月17日から大阪の堂ビルホテルに一人投宿、翌18日にかけて客室に閉じこもったまま、これらの詩を書き上げたものと思われる。5月19日、9時発の別府行菫丸に一人乗船した。見送った幼馴染の田中幸太郎は「彼は心から嬉しさうであつた。おだやかに冴えた顏をしてゐた」と記す。船中にあってその田中への遺書及び「女性関係で死ぬのではない。謂はゞ文学者としての終りを完うせんがために死ぬやうなものだ」等と記した内縁の妻であった生田花世宛の遺書、そうして先に掲げた絶筆「海図」を書き上げて入水。
このやや歯ごたえの悪い遺書の意味を、上記書籍の年譜を参考に少し説明しておく。春月は大正3(1914)年22歳の時、雑誌「青鞜」の同人であった長曽我部菊子(本名・西崎花世)が寄せた感想文「恋愛及び生活難について」の内容に感激、彼女と共同生活を始めたが、大正五(1916)年には森田草平門下の山田田鶴子と、死の前年、37歳であった昭和三(1928)年には、自らが主宰していた雑誌「文藝通報」の投稿者であった内山恵美及び伴淡路との恋愛に陥っていた。春月は性格の不一致を示した花世との関係について、「空想的人道主義」であったと晩年、自嘲的に述べている。