〔一生は他愛もなく過ぎるのだ。〕 生田春月
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一生は他愛もなく過ぎるのだ。
人間は人間で終るのだ。
痴人は痴人で終るのだ。
もうおさらばだ。
美しい世よ、醜い世よ、
もつと美しくなれ、
もつと醜くなれ。
堂ビルホテルの八階から
おれは大阪の街(まち)を見てゐる。
街のきらめく火の海を見て、
人の營み、いよいよ寂しく。
これが人の世。
これが一生。
利(り)は寂しさを消すだらうか。
おれはもう切り上げる……
昭和五年五月十八日(大阪)
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注:遺稿詩集『長編「時代人の詩」』の掉尾「終篇 愚かな白鳥」の巻頭の無題詩。底本は昭和42(1967)年彌生書房刊廣野晴彦編「底本 生田春月詩集」であるが、「営」を恣意的に「營」に直した。
底本では詩の末尾日付との間下に
「文学時代」二巻七号より
の記載があるが、省略した。これは恐らく編者の注であり、それは没後二箇月後に出た生田春月の追悼号「文学時代」7月号を指すと推定されるからである。また、末尾の日付の下には続いて
=死の前日の作
とあるが、これも同様の理由により省略した。
実際には、遺稿詩集『長編「時代人の詩」』の掉尾「終篇 愚かな白鳥」は、この詩を含めて3篇の詩で構成されている。この詩に続いて、「エリゼ・ルクリユを思ふ」、「カアペンタアを思ふ」であるが、前者は(一九三〇・一・三〇)の日付を、後者は(一九三〇・五・一一)の日付を持ち、少なくとも詩作そのものは、この作品と切り離すことが可能と考えて、本詩のみを、春月のもう一つの「末期の眼」として、テクスト化した。
なお、昨夜、ブログ・カテゴリに「生田春月」を作成した。