或阿呆の一生 二十二 或畫家
二十二 或 畫 家
それは或雜誌の插(さ)し畫(ゑ)だつた。が、一羽の雄鷄の墨畫(すみゑ)は著しい個性を示してゐた。彼は或友だちにこの畫家のことを尋ねたりした。
一週間ばかりたつた後、この畫家は彼を訪問した。それは彼の一生のうちでも特に著しい事件だつた。彼はこの畫家の中に誰も知らない詩を發見した。のみならず彼自身も知らずにゐた彼の魂を發見した。
或薄ら寒い秋の日の暮、彼は一本の唐黍(からきび)に忽ちこの畫家を思ひ出した。丈の高い唐黍は荒あらしい葉をよろつたまま、盛り土の上には神經のやうに細ぼそと根を露はしてゐた。それは又勿論傷き易い彼の自畫像にも違ひなかつた。しかしかう云ふ發見は彼を憂鬱にするだけだつた。
「もう遲い。しかしいざとなつた時には………」
(芥川龍之介「或阿呆の一生」より)
*
この「もう遲い。しかしいざとなつた時には………」という言葉が、ずっと僕の胸を圧する。それはまさに芥川龍之介という呪縛なのである。