芥川多加志 舞踏會と怖ろしい犬
舞踏會と怖ろしい犬 芥川多加志
毒物の金文字の舞踏、大舞踏。
旋囘、旋囘する音符の鎖、
波打つチョコレート菓子の群、
赤い假面、
今や涯まで來てしまつた!
Bow―Wow――a――nnn!
犬の遠吠、
死人まで起き上つて耳を澄ますといふ
この叫聲。
だがそんなものさへ吹き消される
叫喚、沸き起る叫喚、
樂長の指、
流れる床、
靴の踵、それの踏みにじる赤青の光線、
大叫喚!
damuna,umuna,damuna,umuna……
流れろ、流れろ、行つちまへ、
唐辛(とうがらし)野郎!
あの鍵穴から覗く眼、
あの黒い犬が
もうここまでやつて來た。
しかし
黒檀のテーブル、
金剛石の器、
その中でとんぼ返へる無數の花々、
それから多くの顏
言葉、時々「愛するひとよ」などといふ……
默れ、靜かに!
あゝ、あの眼!
Bow―wow――a――nnn!
爆彈は
百萬の人間の立つてゐる床下で爆發した、
旋囘、旋囘する波、光、音、
氣狂ひ舞踏、
Ho! Ho!
劍は宙を飛び
はるか彼方にぐさと刺さつた!
Ja-Ja-Ja-jaaannn!
私は七人の娘を持つてゐる、
Clara,
Hélène,
Sarah,
Madelaine……
死ぬときは
默つてゐらつしやい、
扉を閉めて、
カーテンを引いて、
燈火(あかり)を消して。
倒れた柱の間に、
未だ呟く原子共、
damuna,umuna,damuna,umuna……
十六年十二月
*
この詩は、芥川多加志が、その同人であった暁星中学卒業生による回覧雑誌「星座」の昭和17(1942)年4月20日発行の第2号に発表したものである。底本は2007年6月30日刊の天満ふさこ『「星座」になった人 芥川龍之介次男・多加志の青春』を用いた。そうすることが正しいかどうかは不明ながら、正字に直し得る部分(一部はママとした。底本口絵により「黒」は「黑」でないことを確認している)は正字とした。
本詩の黙示録的内容は驚愕に値する。天満女史もその点を上記著作の中で、すこぶる共感できる言辞で語っている(なお、このリンク先の新潮社の引用サイトにもこの詩は底本より掲載されているが、詩中の女性名“Hélène”の綴りの二つの“e”の、それぞれ“accent aigu” アクサン・テギュ( ´)と“accent grave ”アクサン・グラーヴ( `)とが欠落している)。僕は、天満女史のこの著作を是非、多くの方々に読んでもらいたい。従って、多くを語るのはやめよう。
彼女の情熱なしに、芥川多加志のこれらの詩や小説は、この世に日の目を見なかったであろう。一部のブック・レビューには女史の評伝作家としての無能をなじるものがあるが(そこには心情的に同感できる評もないことはない)、ではしかし、君がやればよかったのだと私は言おう。そうして自身に出来たかと問うがいい。それでも忸怩たるものが微塵もないとなれば、あなたは芥川多加志の伝導者ではない、というだけのことではないか――
多くを語るのはやめる――しかし、お分かり頂けるであろう。その終曲は、彼が知るすべのなかった、まさにチェレンコフの業火を描いて余りあるではないか!――
奇しくも、僕は先の記事の生田春月の碑を撮った生涯初めての一人旅で(それは前立腺癌に冒され余命幾許もない鹿児島の祖父に最後の別れをするための旅の帰りであったのだが)、日本人としてのアイデンティティとして、広島の旅を自らに課した。広島はその時も、そうして今も、僕には永遠に刻まれる存在である――
1975年8月20日撮影