松村みね子 新年
松村みね子「新年」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
僕はこの数日、彼女の「燈火節」を読み返しながら、芥川龍之介が「或阿呆の一生」で『彼は彼と才力の上にも格鬪出來る女』と彼女を言った意味が今さらながら腑に落ちたのであった。そこにはまさに女芥川龍之介の姿が彷彿とする。そのエッセイの中で匕首のように煌めく言葉の切り口によく現れている。この「新年」は岸田秀の「忘年会」(「続・ものぐさ精神分析」所収。何人かの教え子の諸君は私がオリジナル授業で用いたのを覚えているであろう)エッセイと並べてみると、誠に面白い。それは近代化が担う病んだ部分を、岸田とは異なった時間概念へのアプローチがある。それは、その一見懐古的な物謂いでありながら、今を照射し「刺す」。決して古びたものでない。
いや、一つだけ、芥川龍之介と同じように、彼女は楽観的に読み間違えた。
『だけれど、「新年」がどんなに變化して來ても、それがある以上、新年についてまはつてゐるのは、すくなくとも日本では、寒さだ。これは、當分變りさうもない。』
地球温暖化の中で毎年摂氏5℃上昇の線が温帯域に侵入してくるこのガイアの病を、さすがの芥川と格闘できる才力も予測出来なかったことに、僕は少しほっとするのである――