フィオナ・マクラオド作 松村みね子訳 精/魚と蠅の祝日
神経症的な異常な仕事から、やっと一時、解放された。おぞましい現実を忘れるには、みね子訳のマクラオドのケルト幻想に若くはない。
フィオナ・マクラオド作・松村みね子訳「精」を、また同じく「魚と蠅の祝日」を(やぶちゃんによる合冊版)として「海豹」の前に追加し、「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
僕は、この「精」こそみね子のマクラオド作品の金字塔と思う。僕は、この作品のラストシーンを惜しみつつ読み、読みながら恥ずかしくも通勤の車中であり乍ら、落涙していたのを思い出す――
実は、それぞれのテキスト注にも記していることであるが、底本の井村君江女史の解題によればみね子が「かなしき女王」の翻訳底本に用いたと思われるマウラオド全集第2巻には芥川龍之介の蔵書印があったという。彼女は言う。『みね子は、翻訳に使用していたこの大切な一冊を、思い出と共に芥川に贈っていたのであった。』――この出版の、同じ年の同じ月、大正15(1925)年3月1日、芥川龍之介は雑誌『明星』に「越びと」を発表している。
はっきりと言おう――僕はこの作品集自体が、松村みね子の芥川龍之介への恋文であると信じて疑わないのである。
そうしてこの恋文「かなしき女王」の思いと表現方法を受けて、芥川龍之介は「最期」の返礼の恋文として、昭和2(1927)年4月、あの「三つのなぜ」の「二 なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか會わなかつたか?」を書いたのではなかったか? と思えるのである――