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2008/03/31

忘れ得ぬ人々19 久成寺山門青空美術展の子ら

Aozaratennrannkai 昨日の西原のお兄ちゃんのメールの一文にあった

「そしてお寺の山門で開いた展覧会の情景を思い出します。
自分もそんな時代があったのだと。」

――僕はこの写真が大好きだ。「忘れ得ぬ人々」と言いながら、僕はこの写真を撮られた時のことを、全く覚えていない。もう結核性カリエスに罹患していた。画面の左の方に、父と一緒にいるのが僕である。病みががった呆けた表情をしている。しかし、そんなことは、どうでもいい。

左端の如何にもいい笑顔の好々爺は、この寺、日蓮宗久成寺の当時の住職である。この寺の門前に、何棟もの長屋があった。

その長屋の子どもたちは、みんな日曜になると道を挟んだ向かいの山の上にぽつんと建つ我が家にやってきた。父が無償で絵を教えていた。その画題の一つには、悪戯をする僕の姿もあったに違いない――そうして僕の父は、彼らにとって、真に「最初の教師」であったのかも知れない――

この子どもたちの、生き生きとした表情を味わいたい。昭和の、あの貧しかった時代(映画の台詞じゃあなく)、しかし確かに心だけは豊かだったってことが、この笑顔から伝わってくるではないか――

寺島良安 和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 完結/和漢三才図会 水族部 翻刻プロジェクト完遂

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部」に残った三種、獨螯蟹(ハクセンシオマネキ)・鱟(カブトガニ)・鬼鱟(ヘイケガニ)を追加して完結し、これで私が目論んだ「和漢三才図会」水族の部(私の狭義の動物水族の部)翻刻プロジェクトを遂に完遂した。100000アクセスとぶつかったのは全くの偶然だが、こうして大物を二つとも、何とも切りのいい日に終えることが出来たことは少し感慨はある。これから、さて、どうしよう――いや、少しばっかり――淋しい気もしている僕なのである――

2008/03/30

忘れ得ぬ人々18 西原のお兄ちゃん

「忘れ得ぬ人々14 西原のお兄ちゃんのオモニ」の写真は、そのお兄ちゃんが僕の父を訪ねてくれたことで、アップ出来たのであった。

そのお兄ちゃんが、今、僕にメールを呉れた。僕は、20代の頃、お兄ちゃんにお酒をおごってもらったことがある。例によって、僕はべろべろに酔っ払って、そうして、偉そうに、朝鮮の人々の哀しみがわかります、なんどと言い放った自分の恥ずかしさを今、思い出す。

でも、それは西原のお兄ちゃんが、ご自身のお子さんの誕生に「人の痛みを分かる人間になって欲しい」と語られたことを、父母への手紙で知っていたからであった。

僕はお兄ちゃんの、不肖であっても、「弟」なのである。であればこそ、僕は、確かに「わかる」のでなくては、ならなかったし、僕は確かに、南北に分断されているこの一つの同胞、一つの民族の、あってはならなかった悲劇を、不断に忘れない。

あの、先日公開した僕の「『高校生による「こゝろ」講義後小論文』最新一篇「トゥワイス・ボーン」追加」論文の作者も、在日朝鮮人である。そうして、彼は今の日本の教育に失望し、明日、アメリカに旅立つのだった――

錯綜する表現をお許し頂きたい――

そのお兄ちゃんのメールを一部紹介する。

今日の僕は、今日の僕を、久し振りに「僕らしく生きられた」気がするのである――

先日、たぁちゃんのお父さん・お母さんとお会い出来、感激の時間を持つことが出来ました。

[やぶちゃん注:「たぁちゃん」とは僕の幼少の頃の呼び名である。]

そして、今日メールを開くと、先生からの追伸を頂きました。
そのメールに触れると、何故か目頭が熱くなりました。
そして、たぁちゃんのメールアドレスとブログが記されておりました。

[やぶちゃん注:「先生」とは「忘れ得ぬ人々14」に記した絵を教えた父のことを指す。]

私自身はブログ等を検索するのは始めての経験であり、「忘れ得ぬ人々14」にたどり着くのにかなりの時間を要しましたが、その文章に触れ、夫婦二人して心温まるのを感じました。

昔、おふくろの作ってくれたキムチの味が改めて思い起こされます。
そしてお寺の山門で開いた展覧会の情景を思い出します。
自分もそんな時代があったのだと。

私の心が高揚しているのは自分でも分かります。

近々にはお会いできるよう、たぁちゃんの活躍を期待しています。

――お兄ちゃん、非力な僕です。そんなに期待しないで下さい。でも、また、一緒に、お酒、飲んで下さい。

にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン 完全版

ブログ・アクセス100000突破記念としての「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」の完全版を「心朽窩 新館」に公開した。

僕はこのユビキタスの世界にあって、可能な限り、等身大でありたいと思ってきたのだが、結局、逆説的乍ら、他者の智を援用しなければ決して自身が満足するものは出来なかったし、今後も僕はそのような、他者なしに生きられぬ、惨めなにんじんそのものであるのであろう。しかし、この電子テクストは確かに僕の今出来る、一つの最終的な形であることは確かである。確かにやっぱり、僕は、にんじん、であったのだ――

2008/03/29

にんじん――「マチルド」「金庫」「おたまじゃくし」「大事出来」「猟にて」「蠅」「最初の鴫」「釣針」追加

僕のマチルドへ捧げる――

「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」に「マチルド」「金庫」「おたまじゃくし」「大事出来」「猟にて」「蠅」「最初の鴫」「釣針」《作業中――全49篇の43話目まで》を追加した。

「忘れ得ぬ人々14 西原のお兄ちゃんのオモニ」の写真

Image0003_2 「忘れ得ぬ人々14 西原のお兄ちゃんのオモニ」に書いたオモニの写真が出てきた。先の記事とここに掲げる。オモニへの敬意を籠めて。

――僕たちは一体、何を語れるだろうか? 彼女のこの深い皺の、しかし少女のような笑顔の前に――

これは昭和56(1981)年、僕はまだ教員三年目、24の頃、僕が持っているのは、オモニが「これ、持っていきなさい!」と、背景に写る豆腐屋さんから買ってくれた豆腐である。この行商の豆腐屋さんも、この5~6年後には、来なくなった。僕にとって、そしてオモニにとって、この写真は昭和という時代の終焉でもあったのかも知れない――

ブログ・アクセス100000突破記念「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」《作業中》

ブログ・アクセス100000突破記念として「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」《作業中――「李」まで。全49篇の35話目まで》を「心朽窩 新館」に公開した。この作品を僕は中学一年の時に読んだ。僕の小説への真の「共感」はここに始まったと言ってよい。僕は確かににんじんである。

「風車小屋便り」の巨匠アルフォンス・ドーデは、19年下の新進作家ルナールに、こう言った。

――確かに、にんじんだ!

100000アクセス

現在、2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来

累計アクセス数100029
1日当たりの平均: 146.67

2008/03/28 21:50:29
Blog鬼火~日々の迷走: トップページを見に来たあなたが記念すべき100000人目の訪問者でした

その方は(一部*伏字・一部省略)

リモートホスト *.ppp-bb.dion.ne.jp
OS Windows XP
ブラウザ Firefox 2.0.0.13
設定 JavaScript ○ Cookie × Flash ○ Java ○
リンク元 ブックマーク/URL直接入力
表示環境 1024x768
言語 ja (Japanese)

です。これより100000アクセス記念行動に移ります。

2008/03/26

累計アクセス数99816

累計アクセス数: 99816 1日当たりの平均: 147.00

カウントダウンに入った――

昔の教え子のクラス会――日本に愛想つかした秘蔵っ子の渡米――その辺りに象徴的な100000がやってきそうな予感……

外部動画三種

御用達の「小太郎ぶろぐ」さん(ゲームには興味ないが、健全で面白い、そうしてふと疲れた時に見ると何だか癒される動画が、いっぱい!)のところから。気に入った動画三種。

■デンジャラスな道「El Caminito del Rey」の写真と動画

ここ、行きて~え!

■華麗にセクシーに宙を舞い落ちるフリースタイルスカイダイビング映像

僕も、いっしょにヤリた~い!

■もしもスターウォーズがサイレント映画だったら

此の「スター・ヲーズ」なればこそ絶對見むとすれ!

2008/03/25

現在99558/アクセスカウンター非表示化

昨日ふと気づいたのだが、僕の現在の無料ブログでは携帯のアクセス解析はするが、カウンターには携帯アクセスは加算されないことが分かった(僕が携帯を持っていないということと有料ブログとの差異化を迂闊にも僕が見落としていた結果であるが)。即ち、解析のアクセス数と大きな齟齬が生じており(携帯で見ている教え子が結構いる)、100000アクセスがずれてしまうため、アクセスカウンターはとりあえず外しておく。なお、現在只今のアクセス数は

99558

である。

たかがそんだけのために金払うのも馬鹿馬鹿しいし、第一、HPの方がもうじき100MBを超過して有料にしなくてはならず、ニフティにそんなに儲けさせる方はない。

閑話休題。

昨日のブログには100000アクセス記念の覆面テクストのヒントが隠れているのだが、お分かりかな?

ちなみに、昨日からくしゃみはいっぱい、鼻はずるずる、喉はがらがら(これってもしかして花粉症?)、パソコンも壊れてやることもなく生徒も居ない職場に行くのも馬鹿馬鹿しいから、今日は自宅でテクスト三昧と洒落込む(?)ことにする。

2008/03/24

旅に病んで夢は枯野の自己韜晦

先日、家じゃ、まだ買って五年も経たない大枚はたいた10数万のCDプレーヤーがぶっ壊れた(最近どうせ書斎のラジカセ以外では聴くこともないから捨て置いていいんだ)。デジタル・テレビが、嘘っぽいような本当のことに昭和30年代みたように、新聞紙で横っ面をバツン! と叩かないと映像が出なくなったんだ(これも5年も経たないのにさ)。そうして今日だ。職場で愚劣な職員室の大席替え大会(面白いぜ、席替えも管理職が全部決めるんだな、これが)の後に、私物のパソコンをONしたら、うんともすんとも言わないんだ(これもたかだか8年前の代物なのに)――もう、なんにもする気がなくなった――考えてみると、みんな、愛するものが何処かへ行っちまう――僕は、まさしく「残されて」(そこが芭蕉と違うところだな)荒れ野に立ち尽くす(いや、げろ吐いて横たわるという謂いが正しいということは自ずから分かっているよ)ただの酔っ払いに過ぎないじゃあないか(野垂れ死にはしかし僕の好みだ)――勿論、誰もが孤児(みなしご)になれるわけじゃあ、ないさ――でも、しっかり反省しろっていう謹慎部屋のガラス窓を悲壮に叩き割って、握り拳を血だらけで突き出すぐらいの覚悟は、僕にだって、あったのに……僕は、少し淋しく依怙地になってるんだよ……

2008/03/23

アクセスカウンター/記念テクスト進捗状況 

La fete  est finie.
祭りは、終わった。

節を屈して、「その下」(このブログの左側、上記のテロップ画像の下)に100000アクセスに向けてカウンターを置いた。さても、さりながら、誰?

覆面記念テクスト?――勿論、順調。現在、作品の丁度半分まで達した。公開までに全てをテクスト化することは不可能であろうが(実はそんなに拙速にしたくはないという気持ちも強い)、僕の子らに、自信を持ってプレゼントしたい気持ちは少しも揺らいでいないよ。久し振りに、フランス語の辞書を引くことの楽しみを味わっている――

2008/03/18

「忘れ得ぬ人々 れんげ畑」の写真

Image00040001_2 そうして、また一枚、2007/10/01に記載した「忘れ得ぬ人々 れんげ畑」の写真を見つけた。先の記事とここに写真をアップしておく。懐かしい大泉学園のれんげ畑の中の、母と僕――この一枚も確かに「三丁目の夕日」のかすかな、あの遠い日のれんげ畑の匂いがする――僕は母の膝の温もりを永遠に忘れない……

2008/03/16

「忘れ得ぬ人々15 米谷さんちのお手伝いさん」の彼女の写真

Image0037_2 2007/07/03に記載した「忘れ得ぬ人々15 米谷さんちのお手伝いさん」の写真を見つけた。先の記事とここに写真をアップしておく。懐かしい大泉学園の伯父の家の隣りの空地。僕と彼女――この一枚には確かに「三丁目の夕日」の匂いがする――僕は、そしてこの永遠の姐さんに恋焦がれている自分を、昨今、とんと感じない確かな「自分」として感じている。こんな自分を僕を何時何処で忘れてしまったのだろうか……

お知らせ

只今のブログへの累計アクセス数 97268

恐らく今月中に2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来、十万アクセスを突破すると思われる。

とりあえず、100000アクセス記念のテクスト・プロジェクトに取り掛かっている。中身は内緒。お楽しみに。

2008/03/13

『高校生による「こゝろ」講義後小論文』最新一篇「トゥワイス・ボーン」追加

『高校生による「こゝろ」講義後小論文』に2006年度分一篇を追加した。「トゥワイス・ボーン」という題を持つ、戦争論的視点に新鮮さを覚える、私の秘蔵っ子の「こゝろ」論である。HPではトップにある『「こゝろ」マニアックス』の最後尾から入れる。

これは2006年度に私に提出された論文であるが、彼はそれを一年掛りで再考し、今年(2008年)になってから決定稿を受け取った。よってこれは正しく最新の「こゝろ」論である。

ちなみに彼は日本の教育に既に失望し、今月の末には日本を離れるのである。

来週、彼と送別の宴をする。その際、一部、僕が手を加えた部分への修正疑義が出るかもしれない。その際には、ここで通知する。まずは、お読み戴きたい。

2008/03/09

帰還?

満開の河津桜――凍った道の天城越え――小樽の鰊御殿の足の裏の冷え――しかし……僕の魂はもう、こないだからずっと――気がついた時からずっと永いこと――空き家の忘れられた大隈半島の山間の村、岩川の――荒れ果てたあの祖父の歯科医院の家の入り口から――淋しい裏木戸へとゆっくりと虚しくフレームアップしてゆく……

――今、僕には、母や妻や父だけが――何故かひどく懐かしく寂しい……それはバッハのBWV614の流れ――タルコフスキイの「鏡」のオープニングタイトルの、あの音楽のように――そうして、「ヨハネ」の奔流のほとばしりと共に、時空間をフレームアウトしてゆくあの、エンディングの映像のように……しかし、これはきっと誰にも分からない――誰にも分からない――その、母や妻や父にで、さえも……

2008/03/02

和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類 水龜(ハナガメ)

遂に僕の「和漢三才圖會」水族の残る最終の巻となった寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」を始動した。目次及び冒頭の「水龜」(ハナガメ)を公開した。これは一種のカメ総論である。実はカメは僕の得意分野ではない(同じ爬虫類でもヘビは得意なのだが)。それで後回しにしていた。従って同定に手間取り、やや遅筆となるかも知れない。ご容赦を。

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