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2008/04/29

島崎藤村 芥川龍之介君のこと


僕は今日、これを翻刻しながら、普通にHPにアップするつもりでいた。しかし、翻刻しながら、その愚かな解に腸が煮えくり返ってきた。島崎藤村というこの最愚劣な男の台詞を、HPに載せて、少なくとも僕の玄室を穢したくないと思った。そこで、せめてこのブログに載せて終わりとしたい。意外な顛末の電子テクストとはなった。

[やぶちゃん注:本作は昭和2(1927)年11月発行の雑誌「文藝春秋」に掲載された後、昭和3(1928)年の「市井にありて」の中に所収された。また昭和32(1957)年新潮社刊の福田恆存編「芥川龍之介研究」にも採録されている。底本は昭和46(1971)年筑摩書房刊の全集類聚「芥川龍之介全集」別巻を用いたが、私のポリシーにより恣意的に新字を正字に換えた。芥川龍之介の引用の一部は、一字下げで現われるが、明白であるので一切無視した(それは藤村特有の、芥川龍之介の文章を特に差別化するようで、よくあることではありながら、幽かな不愉快を僕は感じた)。段落ごとに僕の極めて批判的恣意的注を附した。]

 

芥川龍之介君のこと   島崎藤村

 

 芥川龍之介君の死は全く思ひがけなかつた。君がある友人に遺したといふ手紙の發表された時にも、私はそれを東京朝日の紙上で讀んで、どうしてこの人が死なゝければならなかつたかとさへ思つた。あの遺書は死に直面した人とも思はれないほどの落着きをもつて書いてあつた。おそらく、芥川君自身ですらあれほど落着いて書けたことを不思議に考へずにはゐられなかつたらう。

 芥川君のことについては、君の友人諸君やその他の人達がすでにいろ/\と書いた後だ。それに眼を通したといふだけのことであつたら、蔭ながら私も君の死を惜しむ心をもつて、君の遺書を読み返して見ようと思ふ程度にとゞめたかも知れない。それほど君の死は思ひがけないことであり、そんなにこの世を急いで行つた心持がどうもあの友人に遺した手紙だけでは辿られなかつたのである。ところがこの私に、もつとよく君を知らうと思ふ心を起させることがあつた。

 最近に、芥川君の遺稿『ある阿呆の一生』を讀んだ。久米君がはしがきの中にもあるやうに、あれは故人の『自傳的エツキス』であり、また一個の『作品』として讀むべきものであらう。師事した人のことも書いてあるし、讀んで見た書籍のことも書いてあるし、交つて見た友のことも書いてある。普通の自傳とも違つて、故人の生涯の眼に見えない重要な部分があの中に語つてある。

『ある阿呆の一生』の作者は、ストリンドベルクの『痴人の告白』を讀みはじめて、二頁と讀まないうちにいつか苦笑を洩らしてゐたと言ひ、ストリンドベルクも亦情人だつた伯爵夫人へ送る手紙の中に彼(この場合、作者自身)と大差のない譃を書いてゐると言ひ、『……不相變いろ/\な本を讀みつゞけた。しかしルウソウの「懺悔録」さへ英雄的な譃に充ち滿ちてゐた。殊に「新生」に至つては――彼は「新生」の主人公ほど老獪な僞善者に出逢つたことはなかつた……』

 と言つてある。

 一體にあの遺稿は心象のみを記すにとゞめたやうなもので、その他を省いたやうな書き振りであるが、こゝに引いた『新生』とは私の『新生』であるらしく思はれる。私はこれを讀んで、あの作の主人公がそんな風に芥川君の眼に映つたかと思つた。


 [やぶちゃん注:これは芥川龍之介の「或阿呆の一生」の「四十六 譃」の

 彼の姉の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姉の一家の面倒も見なければならなかつた。彼の將來は少くとも彼には日の暮のやうに薄暗かつた。彼は彼の精神的破産に冷笑に近いものを感じながら、(彼の惡徳や弱點は一つ殘らず彼にはわかつてゐた。)不相變いろいろの本を讀みつづけた。しかしルツソオの懺悔録さへ英雄的な譃に充ち滿ちてゐた。殊に「新生」に至つては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な僞善者に出會つたことはなかつた。が、フランソア・ヴィヨンだけは彼の心にしみ透つた。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡(をす)」を發見した。

 絞罪を待つてゐるヴィヨンの姿は彼の夢の中にも現れたりした。彼は何度もヴィヨンのやうに人生のどん底に落ちようとした。が、彼の境遇や肉體的エネルギイはかう云ふことを許す訣はなかつた。彼はだんだん衰へて行つた。
 丁度昔スウイフトの見た、木末(こずゑ)から枯れて來る立ち木のやうに。……

 及び、藤村が後で言及するように「侏儒の言葉」の『「新生」讀後』の

  果して「新生」はあつたであらうか?

 を受ける。如何にもいやらしい品のない謂いだ。お前の「新生」以外に、煙草じゃあるまいし、何があるってんだ!]

 

 知己は逢ひがたい。『ある阿呆の一生』を讀んで私の胸に殘ることは、私があの『新生』で書かうとしたことも、その自分の意圖も、おそらく芥川君には讀んで貰へなかつたらうといふことである。私の『新生』は最早十年の前の作ではあるが、芥川君ほどの同時代の作者の眼にも無用の著作としか映らなかつたであらうかと思ふ。しかし私がここで何を言つて見たところで、芥川君は最早答へることのない人だ。唯私としてはこんなさみしい心持を書きつけて見るにとゞまる。でも、あゝいふ遺稿の中の言葉が氣に掛つて、もつと芥川君をよく知らうと思ふやうになつた。そして『ある阿呆の一生』ばかりでなく、『侏儒の言葉』なども讀み返して見る氣になつた。

 芥川君が分け入つた道の薄暗さを知るには『ある阿呆の一生』にまさるものはなからう。あの中に感知せらるゝやうな作者の悲愴な激情も、何人の假面をも剥いで見ようとしたやうなあの勇氣も、病人のやうに纖細なあの感覺も、世紀末的な詩人を思ひ出させる。それにしても日頃私の想像してゐた芥川君はもつと別の人で、あれほど君が『世紀末の惡鬼』にさいなまれてゐようとは思ひがけなかつた。
 あの遺稿に書いてある言葉は多く短い。しかし私はちひさなふし穴のやうなあの短い言葉の一つ一つを通しても、君が感じた精神の寂寥を覗き見る心地がした。

 秋季特別號の『中央公論』をあけて見ると、正宗君は芥川君の『孤獨地獄』や『徃生繪卷』などを引いて、早くから芥川君の内部に潛んでゐた孤獨感を指摘し、さういふ意味での芥川君が單なる藝術至上主義者でなかつたことを言ひ、芥川君が孤獨を痛感した人達に無關心ではゐられない人であつたと言ひ、それあるが故に以前から芥川君の作品に共鳴を感じたと言つてあるのは、成程と思つて讀んだ。孤獨地獄――芥川君が作中の人物の言葉をかりて言へば、山間岡曠野樹下空中、何處へでも忽然として現はれる地獄――目前の境界が、直ぐそのまゝ、現前するところの地獄の苦艱――人はこんな寂寥に耐へられる筈もない。そこで情熱的なルウソオよりも理智に富んヲ゛ルテエルが、二十九歳にしてもう人生は少しも明るくなかつたといふ芥川君に『人工の翼』を供給したとある。


 [やぶちゃん注:この叙述は巧妙に他者の言を引いて、しかも都合のいい藤村の論理に導くための布石としてある。

 ・秋季特別號の『中央公論』……:以下の正宗論文は昭和2(1927)年10月発行の雑誌「中央公論」に掲載された正宗白鳥の「芥川龍之介氏の文学を論ず」を指すものと思われる。

 ・「苦艱」:は「くげん」若しくは「くかん」と読む。苦難。

 ・「ヲ゛ルテエル」:「ヲ゛」は底本では一活字の「ヲ」の右上に濁点である。本テクストでは「ヲ」の次に「゛」を打ってある。横書翻刻なのでこのようにして不自然ではないが、コピーして縦書にして読む場合は、注意されたい。以下同じ。]

 

『人工の翼』とはもとより形容の言葉だ。そこには日常の生活にのみ齷齪(あくせく)としてゐない人の心がある。飛翔の世界がある。しかしそれを『人工の翼』と言って見るところに、芥川君の言葉癖が出てゐるのみならず、何となく君の特色までも窺へるやうな氣がする。

 芥川君に見つける特色の一つは、人工的なものの愛といふことであらう。『ある阿呆の一生』 によると、あの主人公はまだ上着のポケットに同人雜誌へ發表する原稿を潛ませてゐたといふ頃に、雨中の架空線が鋭い紫色の火花を發したのを見て、その凄まじい空中の火花だけは命と取り換へても捉へたかつたといふところがあるが、イマジナリイな美を探し求める芥川君の心はそんなに若い頃から萌してゐたかと思はれる。
 人工的なものの愛が、人生の孤獨感、寂莫感に根ざしてゐることは確かだと思ふ。たゞ芥川君がその『人工の翼』をひろげて何處までも進み行かうとした人であるか、その點で君はそれほど深入りした人とも見えない。何故かなら、人工的なものの愛とは、言ふまでもなく自然を厭ひ、自然を匡正(きやうせい)しようとし、あるひは自然を超えようとする心持から來てゐる。もしその心持を押し進めて行くなら、自然は一切の善美なものの源ではなくて、むしろその反對に、諸惡諸醜の源であると見做されなければならない。人工を加へたものほど善く、人工を加へたものほど美しいとするのは、多くの世紀末的な詩人に見るところでもある。

 これほど自然を無視する心は、芥川君にはなかつた。君はあのアツシツシのやうな麻酔剤の力をかりてまで幻覺的な『人工の樂園』に耽らうとするほどの人ではなかつたと思ふ。

  『我々の自然を愛する所以は――少くもその所以の一つは、自然は我々人間のやうに妬んだり欺いたりしないからである』

  と君の『侏儒の言葉』には言つてある。

 [やぶちゃん注:藤村は芥川龍之介の言う「人工の翼」の意味を、全く理解していない。自然と人工の如何にもな噴飯的二元論で語っている彼は、最早、智を失ったミイラとしか言いようがないと、僕は思う。


 ・匡正:矯正。

 ・アツシツシ:ハッシッシ。大麻樹脂のこと。]

 

『ある阿呆の一生』の作者には、精神の寂寥を感じた點で、世紀末的な惱みを惱んだ點で、逆説的な言説を好んだ點で、人工的なものを愛した點で、幾多の似よりをあの『惡の華』の詩人などに見出すのであるが、また『人生は一行(いちぎやう)のボオドレエルにも若(し)かない』と言ってあるところもあるが、しかし芥川君はそれほど孤獨に徹しようとした人ではないらしい。この世の薄暗さの中を平氣で歩いて行かうとした人とも見えない。そこから君を引き戻さうとした力もあつたのではないかと思ふ。さういふ中でも、最後まで君を引き戻さうとした一番強い力はあのギヨエテではなかつたらうかと思ふ。

 ギヨエテのことを敍する芥川君の筆は、『ある阿呆の一生』の中でも特別の愛をもつて書いてあるやうに見える。

 『デイワ゛ンはもう一度彼の心に新しい力を與へようとした。それは彼の知らずにゐた『東洋的なギヨエテ』だつた。彼はあらゆる善惡の彼岸に悠々と立つてゐるギヨエテを見、絶望に近い羨ましさを感じた。詩人ギヨエテは彼の目には詩人クリストよりも偉大だつた。この詩人の心の中にはアクロポリスやゴルゴタの外にアラビアの薔薇さへ花を開いてゐた。もしこの詩人の足あとを辿る多少の力を持つてゐたなら――役はデイワ゛ンを讀み了り、恐しい感動の靜まった後しみじみ生活的宦官に生まれた彼自身を輕蔑せずにはゐられなかつた。』

  芥川君はポオやボオドレエルの闇黒とギヨエテの日光との間を往來した人のやうに見える。そのいづれへ行くにも君はあまり聰明であり過ぎたかとも思ふ。

 [やぶちゃん注:藤村は芥川龍之介に「智」に過ぎた人間の破滅を見ているが、破滅しない藤村は、自身をある意味、確かな「生の人間」と認識しているところに、途轍もなく救い難い手前勝手な「鼻もひね曲る腥さい人間」観が露呈していると僕は思う。芥川も確かに現実は手前勝手だった。しかし、お前ほど、その生臭さを、しかも金儲けの詐術には遣っては、いないよ。
 ・「デイワ゛ン」:「侏儒の言葉」の原文では英文の“Divan”で、ゲーテの1819年刊行の「西東詩集」である。「ワ゛」は底本では一活字の「ワ」の右上に濁点である。本テクストでは「ワ」の次に「゛」を打ってある。横書翻刻なのでこのようにして不自然ではないが、コピーして縦書にして読む場合は、注意されたい。]

 

 慧敏(けいびん)であることは、もとより多くの人が芥川君に許したところである。もつと君が心の貧しい人であの鋭さを挫いたなら、と思はれないでもない。

 ヲ゛ルテエルが芥川君に給供したといふ『人工の翼』も無限に役立つほどの性質のものではなかつたらう。君がその翼をひろげて、やすくと空へ舞ひ上つた時は、理智の光を浴びた人生の歡びや悲しみが日の下に沈んで行つたと言ひ、見すぼらしい町々の上へ反語や微笑を落しながら遮るもののない空中を眞直に太陽へ登つて行つたと言つてゐるが、その翼の折れたと感づいた時も君にはあつたらうと思ふ。そこに人のはかなさがある。自然の打ち勝ちがたさがある。そして、それを感づいた時は、發狂か自殺かだけが眼の前にあつたやうな落膽の深淵のどん底に君自身を見つけた時ではなかつたらうかと思ふ。最後には、君はヲ゛ルテエルを輕蔑すると言ふやうな人であつた。もし理性に終始するとすれば、人は自分等の存在に滿腔の呪詛(じゆそ)を加へなければならないと言ふやうな人であつた。

 『ある阿呆の一生』の終の方に、作者は友人の狂をあはれみ、自己の一生を振り返つて見て、涙や冷笑のこみ上げるのを感じたと述懷してゐるところがある。この作者の生涯の花やかであつたことを思ひ、讀んであの遺稿の終の方にいたると、『霰雪飄零』の感に打たれる。


 [やぶちゃん注:藤村の自己愛撫的合理化が顕著に現われる部分である。彼は飛べない、いや飛べないからこその全的な自己存在をお目出度くも全肯定する。それが彼の精神の不潔なところであると私は思う。その不潔さは、その位置する処に関わらず、全て全き愚劣な存在を胸を張って(小説にするという行為自体がそれを物語る)はな持ちならない自己肯定をする愚劣さにあると私は思っている。
 ・霰雪飄零:陶淵明の詩「答龐參軍 并序」に現われる。失いたくなかった旧友謝晦への陶淵明の限りないオードである。「かつてあなたと別れたのは鶯の鳴く何もかもが萌え出づる春だった。でも今、こうして便りを得て再会した時、今は、霰や雪の降るもの寂しい季節となり、君も又、すっかり変わってしまった。」の意。島崎藤村に使って欲しくない引用である。藤村よ、君は十全に謝晦ではあっても、淵明では、決して、ない。]

 

 芥川君が一皮は死を倶(とも)にしようかとまで思つたほどの一人の婦人のあつたといふことも、何となく見逃せないやうな氣がする。それを思ひ直して、獨りでこの世を去らうとしたところに、君の君らしさがある。その人のことはある友人に遺した手紙の中にも、『ある阿呆の一生』の中にも見える。それにつけても私は北村透谷君の短い生涯の終に近い頃に、あの舊友の前にあらはれて來た一人の女友のあつたことを思ひ出す。その女友は北村君よりも先に病死したが、その存在も、その人の死も、北村君の生涯の終に深い影響を與へた。その邊の消息は北村君が『哀詞』小序一篇に殘つてゐる。

 北村透谷君の死を芥川君の死に比べた人もある。北村君はあの通り貧しさと戰ひつゞけて生前にはろく/\著書の出版をすら見なかつたほどの境遇にあつた人だから、芥川君の花やかさとは比較にもならない。唯、刃盡き失折れるまで芥川君の言葉をかりて言へば『刃のこぼれてしまつた細い劍を杖にしながら』の最後まで、ひるまない精神を持ちつゞけて行つたことはいくらか似てゐるかと思ふが、北村君の自殺はもつと先驅者らしい意識をもつて來るべき時代のために踏臺となることを覺悟しながら倒れて行つた形跡がある。正宗君が芥川君を評した言葉の中に、『氏は「孤獨地獄」の苦さをさほど痛切に感じてゐた人ではなかつたと同樣に、專心阿彌陀佛を追掛けてゐる人でもなかつたらしい……禪超や五位の入道の心境に對して理解もあり、同情をも寄せてゐたに關はらず、彼等ほど一向きに徹する力は缺いてゐた。』とあるが、これには私も同感だ。それにしても、あれほど懷疑に惱んだ芥川君がその最後に、神を力にした中世紀の人々の信仰を振り返つて見て、それを羨ましく感じたといふことは見逃がせないやうな氣もする。透谷君も最後には神の力の前へ、神の愛の前へもう一度自分を持つて行かうとしたが、それを信ずることも出來なくて自ら縊れて行つたことを思ひ出す。

 『果して「新生」はあつたであらうか。』

 斯う芥川君は『侏儒の言葉』の中で『新生』の主人公に、つゞいては作者としての私に問ひかけてゐる。芥川君は懺悔とか告白とかに重きを於いてあの『新生』を讀んだやうであるが、私としては懺悔といふことにそれほど重きを置いてあの作を書いたのではない。人間生活の眞實がいくらも私達の言葉で盡せるものでもなく又書きあらはせるものでもないことに心を潛めた上での人で、猶且つ私の書いたものが譃だと言はれるならば、私は進んでどんな非難に當りもしようが、もと/\私は自分を僞るほどの餘裕があつてあゝいふ作を書いたものでもない。当時私は心に激することがあつてあゝいふ作を書いたものの、私達の時代に濃いデカダンスをめがけて鶴嘴を打込んで見るつもりであつた。荒れすさんだ自分等の心を掘り起して見たら生きながらの地獄から、そのまゝ、あんな世界に活き返る日も來たと言って見たいつもりであつた。あれを芥川君に讀み返して貰へる日の二度と來ないことを思ふとさみしい。


 それは兎もあれ、芥川君の惱んだ懷疑は私達と同じ時代の人の懷疑だ。その苦悶も私達と同じ時代の人の苦悶だ。あれほどの惱みを惱んで行つた人に對して、私達は哀惜のこゝろを寄せずにはゐられない。

                     (昭和二年七月)


 [やぶちゃん注:私は小説家としての島崎藤村が大嫌いである(詩人としての藤村を愛する点では人後に落ちないことをここに述べておく)。今、この翻刻をして、いや、更に私は藤村嫌いになった。あの真に改革者にして憂鬱者であった透谷が芥川を読んでいたら、畏友藤村であったとしても、芥川龍之介の言を真とすると僕は確信する。――しかし、これは、この島崎藤村の文章は確かに「侏儒の言葉」への確かな、そこに批判された事実への唯一の内容証明附きの正真正銘の他ならぬ被批判者島崎藤村の真摯な物謂いである。従って、僕はこれをブログに記す。さりながら、多くの人に嫌われた藤村よ、僕は、やはり君を本質からして愛さない(大学時代に君の曾孫が同級生だったが、自己保全に汲々として人を貶めること巧妙、講義の時には教授の一番前の席に座りながら、ものの数十分で涎を流して居眠りをしていたのが忘れられない。それが所詮、君の、末裔であったのだ)。

 ・昭和二年七月:この底本編者がクレジットしたと思われる(昭和二年七月)という日付は不審である。文中、藤村が引く正宗白鳥の論文は同年10月発行の雑誌「中央公論」のものである。一般的慣例に従って一月早い出版であったとしても執筆7月の時点で『秋季特別號』はあり得ない。]

2008/04/26

何もすることがない。君は私を当てにすることができる。私はそれを引き受ける。 ジャック・リゴー

山より無事帰還せり。多大なる疲労と微かながらも沁みる満足……。それで僕の憂鬱は、確かに完成するのだ――

何もすることがない。君は私を当にすることができる。私はそれを引き受ける。

(エディション・イレーヌ2007年刊亀井薫・松本完治訳 ジャック・リゴー「自殺総代理店」遺稿断片より)

僕の解:(これは僕のたかが解であって、リゴーの意図を本質的には全く受容していない可能性が高高度であるかも知れぬ。しかし、それへの批判は勝手に君の心の内にあればよい。僕は僕の解を示すだけだ。議論はまっぴらごめんだね)

何もすることがない(私はそれ故にこそ次のように明言できる)。君は(何もすることがない)私(であるからこそ確かに私)を当てにすることができる(のであると)。(そうして何もすることがないその)私はそれ(即ち君が何もすることがない私を心から信じ心からその私に何ものかを――いや君が私に許しうる何がしかの極めてつまらぬものと認識されるものであってさえも――委ねてくれるのだというのっぴきならない覚悟)を(確かに十全のものとして確かに文字通りのっぴきならず)引き受ける(のだ!)。(僕はだから何もしない。いいか? 何もしない。そうしてそれを君はただその私が君に何もしないという事実だけを――いやその不作為の行為のみしかそこにはないのだから――当然のものとして引き受けなければならないのである。それ以外に君が「私を当にすることができる」方法は残されていないのだ。「君は私を当にすることができる。」それはその限定された謂いの中に於いてのみである。それ以外には、断じて、ない。)

……それにしても再三、述べるのであるが……このような「引用」とそれをからめたみじめな「自律的な謂い」がなければ、冒頭の語句を引用できないなんて……リゴーよ、 なんてぞっとする超素敵な弩級の愚劣さ加減だろうね!!!

2008/04/25

明神ヶ岳へ

明日 また 明神ヶ岳へ 登りつめて登りつめて 「ウルトラマン」の「無限へのパスポート」のイデ隊員のように 天空への階段を登りつめてみたいと、君は思わないか? 僕は、ふん! 思うんだ、よ――

2008/04/24

書物は、ひとつの行為でなければならない。 ジャック・リゴー

書物は、ひとつの行為でなければならない。

(エディション・イレーヌ2007年刊亀井薫・松本完治訳 ジャック・リゴー「自殺総代理店」遺稿断片より)

僕らは考えよう。この上の一文に訳者の著作権が発生する馬鹿馬鹿しさを。では僕が少しばかりいじった上に、( )書きの引用をせずに

書物という存在、それは確かな「行為」である必要がある。

としたら、僕は著作権侵害なのか?!

それは実は、リゴーが最も嫌った言語の愚劣な私有化であるとは思わないか? 

――君たちが僕に語りかけることの必要を感じないならば、いつでも僕は永久に沈黙する用意がある――気がついた時は、「お互いに」……遅いのだ――そう言い放ったら、実はもう、遅いのだ……君も僕も……そうして確かな憂鬱を互いに孤独に完成すれば、誰も文句は言わないよ――もう 沢山だ! スグリの実を可愛い口一杯に詰め込むがいい!!!

2008/04/23

疲労は最高に魅惑的な渋面を作る ジャック・リゴー

疲労は、最高に魅惑的な渋面を作る。

(エディション・イレーヌ2007年刊亀井薫・松本完治訳 ジャック・リゴー「自殺総代理店」遺稿断片より)

   疲労
 疲労は生活の舞台装置である。但し、費用は適度に。俳優である君の演技より眼については失敗である。

( 「贋作・侏儒の言葉(抄)」より)

リゴーにやられた しっかりチェック・メイトされてる……でも これを書いた頃 僕はまだ20歳だった……リゴーを知らないばかりかマルの「鬼火」さえ未だ見ていなかったのだ……

2008/04/22

にんじん 完全校訂終了

知人の無償の好意を得て、「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」の誤字脱字等の全篇校訂を完了した。

貴女に心から感謝する。ありがとう。

……「へん!」と、にんじんは、叫ぶがいなや、もう一枚のガラスを陽気にぶちこわし――「なんだって、そいつにキスするんだい。どうして俺にしないんだ、え?」

 それから、彼は、切れた手から流れる血を、顔いちめんに塗りたくり、こう附け加えた――

 「おれだって、赤い頰ぺたになれるんだ、いざっていや……」

2008/04/21

いいこと二つ

今日はいいことが二つ

ある教え子から花をもらい

また、知人から僕の電子テクストを校正した「にんじん」の正誤表をもらった(これは明日以降、しっかりと反映したい。とんでもなく……いや、思った通り、いっぱいだった)

にんじん――しかしさ、人間って奴は、少しは生きてていいこと、ってのもあるもんだ……

2008/04/20

寺島良安 和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類 吉弔 紫稍花 ヨワカイメン同定増強

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」に「吉弔」の中の「紫稍花」のヨワカイメン同定を、知る人ぞ知る四目屋の生薬叙述をネット上に発見、実に精力強力バッコンバッコンに増強剤を注入した。ヨワカイメンという名前もモノも一見するに「反」類感的感応というのは、しかし、まっこと面白いじゃないか!……さても、静かに寝ると致そうか……ちなみについさっき9時代後半に訪れたあなた、103333という、何となく蛇が龍になりそうな、いい数字だったよ――では、お休み……

芥川龍之介 「Lies in Scarlet」の言――Arthur Hallwell Donovan――

TK氏との邂逅から、今日、岩波版旧芥川龍之介全集の「雜纂」部を何気なく開いて見ている内に、大変なアフォリズムを見落としていることに気づいた。英語の書名とペンネームに騙されていた。これは芥川龍之介の、「侏儒の言葉」に遥かに先行するところのパロディ型アフォリズムであった。先程、その芥川龍之介の『「Lies in Scarlet」の言――Arthur Hallwell Donovan――羽賀宅阿訳』を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。この翻訳者の名は最後にクレジットされているが、羽賀宅阿(はがたくあ)――反対に読んでみよう――そうしてこの作者名凝っと見ていると“Arthur Hallwell Donovan”→“Akuta-gawa Ryu-no-suke”と似ていないか、何よりこの書名は「真っ赤な嘘」だ!

2008/04/19

TK氏による芥川龍之介の「侏儒の言葉(もう一つの完全版)」リンク

「僕との因縁のサイト」にTK氏のサイト「侏儒の言葉(もう一つの完全版)」を追加した。
今朝メールを見てみると、未知の方からの一通。僕のサイトへのリンクの通知であった(但し、僕のサイトは一切合財リンクフリーで通知を求めてはいない)。
そのTK氏による芥川龍之介の「侏儒の言葉(もう一つの完全版)」を訪ねてみる。真摯な校訂と表記表示のバリエーションの素晴らしさに脱帽した。
彼のこのサイト名の「もう一つの」というのは僕の「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版)を受けての命名ですとの説明がメールにあり、サイトの説明ページにもその記載があり、我ながら気恥ずかしく恐縮する次第であった。
また一つ「智」の連動が広がった。

2008/04/15

円空が仏像を刻んだように 高見順

円空が仏像を刻んだように   高見順

円空が仏像を刻んだように

詩を作りたい

ヒラリアにかかったナナが

くんくんと泣きつづけるように

わたしも詩で訴えたい

カタバミがいつの間にかいちめんに

黄色い花をつけているように

わたしもいっぱい詩を咲かせたい

飛ぶ鳥が空から小さな糞を落とすように

無造作に詩を書きたい

時にはあの出航の銅鑼のように

詩をわめき散らしたい

注:昭和46(1971)年刊講談社文庫高見順「詩集 死の淵より」を底本とした。なお、底本には「刻(きざ)んだ」及び「糞(ふん)」のルビがあり、ナナの後には『(犬)』が本文に入るが、恣意的に排除した。

**

僕は僕の言葉で僕の誰にも読まれない詩を訴えたい気はいつもしている――それはきっと詩には見えないのであるが……いつかきっと僕は君を抱きしめる、安息の代わりに……

2008/04/14

鶯 (一老人の詩) 伊東靜雄

   鶯  (一老人の詩)   伊東靜雄

(私の魂)といふことは言へない

その證據を私は君に語らう

――幼かつた遠い昔 私の友が

或る深い山の縁(へり)に住んでゐた

私は稀にその家を訪うた

すると 彼は山懷に向つて

奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし

きつと一羽の鶯を誘つた

そして忘れ難いその美しい鳴き聲で

私をもてなすのが常であつた

然し まもなく彼は醫學校に入るために

市(まち)に行き

山の家は見捨てられた

それからずつと――半世紀もの後に

私共は半白の人になつて

今は町醫者の彼の診療所で

再會した

私はなほも覺えてゐた

あの鶯のことを彼に問うた

彼は微笑しながら

特別にはそれを思ひ出せないと答へた

それは多分

遠く消え去つた彼の幼時が

もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や

地蟲や いろんな種類の家畜や

數へ切れない植物・氣候のなかに

過ぎたからであつた

そしてあの鶯もまた

他のすべてと同じ程度に

多分 彼の日日であつたのだらう

しかも(私の魂)は記憶する

そして私さへ信じない一篇の詩が

私の唇にのぼつて來る

私はそれを君の老年のために

書きとめた

「私はそれを君の老年のために書きとめた」……こんな剃刀のような、髭を当たる髪床の剃刀のように鮮やかにシュと……ジッツ! と……殺いだ言葉は、なかなか、僕には言い出せないのである……

伊東静雄を知らない? では、僕の「心朽窩」新館の「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」へ、よかったら、どうぞ――

(無題)

僕は、僕の節と異なるおぞましい何者かのために不本意ななにものをもなす気持ちはない。しかし現実はそのようなものとして僕を扱わず、僕は僕ならざる僕としてそこに立ち現われ、僕は僕ならざる存在として現実の中で機能していはしまいか。少なくとも「そのような反問をする必然性を失った自分」を考えると、これはまさに最下劣どころではないのだ。僕は僕でないということだ。僕は僕であることなど笑止である、という命題も実は正しいのかも知れぬではないか。では、何にでもなれということか。結構だ、何にでも多分、僕はなれるであろう、僕は僕ならざる僕ならば、いつでも僕はその「僕」を演じられる。それは僕でない分、気安い配役である。演じ難いのは、とりもなおさず、まさに純粋な自己自身である――ワルプルギュスの宴に、君に、僕の腐った精液を滴らせてあげよう……それで僕の憂鬱は完成するのだ……

2008/04/13

芥川龍之介 現代十作家の生活振り

芥川龍之介「現代十作家の生活振り」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

これはまたしても洩れていたアフォリズムかと思ったのだが、実際にはアンケート風のものと思われる。

最早――旅宿の宿帳に新聞社の社員と記し(芥川龍之介の場合、これは虚偽ではない)、洋装は吊るし一誂えで一年を過ごし、ヤニで歯間が黒くなるほど煙草を吸い、芝居も寄席も映画も殆んど見ない、明窓浄机(数学者岡潔先生の好きな言葉であった。恐らく今の若い読者には意味不明であろう。ちなみ岡先生の講義を受けた(!)僕の先輩の先生によれば、岡先生は芥川龍之介が大好きで、特に「戯作三昧」がお好きであったという。あのインスピレーションの発露、ドゥエンデの祝祭といった感の終曲部には、確かに岡先生好みの表現が散見される)を身上とし、万年筆を用いずGペンを用いて、半ペラの原稿用紙に向う作家は――いないと思われる。

芥川龍之介が甘いもの好きであったことは知っていたが、この砂糖の薀蓄は他では見られない、彼の嗜好の秘密を炙り出しているようにも思われる。それにしても彼がソラマメを嫌悪し、あの「蜜柑」の作家が蜜柑嫌いであった(実は「芋粥」の彼にしてとろろも大嫌いな食物であった)因みに、芥川龍之介の最大の好物は、鰤の照り焼きであった。

閑話休題。そう、以上は閑話、なのである。僕にはこの作品の別の一箇所に、またしてもある鮮烈な映像を見るのである。

それは「草花・動物――その他」の項である。彼の犬嫌いも知っている(しかしそれ程のものではないことがここで知れたが)。そんなことではない――
ここに居るのはケルベロスだ――

*ウィキより転載
ケルベロス(Κέρβερος, ギリシャ綴り: Kerberos, ラテン綴り: Cerberus)は、ギリシア神話における地獄の番犬。その名は「底無し穴の霊」を意味する。ヘシオドスの『神統記』によれば、50の首と青銅の声を持つ怪物で、テュポンとエキドナの息子とされている。しかし、一般的には3つ首で、竜の尾と蛇のたてがみを持つ巨大な犬や獅子の姿で描かれる。死者の魂が冥界にやってくる時には友好的だが、冥界から逃げ出そうとする亡者は捕らえて貪り食うという。これが地獄の番犬といわれる由来である。また、この獣の唾液から猛毒植物であるトリカブトが発生したとされており、ヘラクレスによって地上に引きずり出された時、太陽の光に驚いて吠えた際に飛んだ唾液から生まれたと言われている。ハデスの忠犬ともされる。また、2つ首の頭を持つオルトロスは、ケルベロスの弟にあたる。ソロモン72柱の魔神の1柱、ナベリウスとされることもある。3つの頭が交代で眠るが、音楽を聴くとすべての頭が眠ってしまう。ギリシャ神話では、竪琴の名手オルフェウスが死んだ恋人エウリデュケを追って冥界まで行く話があるが、そのときも竪琴(ハープ)で眠らされている。[やぶちゃん注:引用終了。]

『この頃も犬の爲めに惜しいリボンを失つた。と云ふのは、この夏輕井澤で新たに得た鍔廣の帽子をかぶつて、久保田万太郎君を訪ねようとすると、ちやうど久保田君の家の前で、犬が二匹、僕に吠えたついた。犬の目が帽子にそゝがれてゐると思つたので小脇にかかえへると、その拍子にリボンが路傍に落ちて了つた。拾はうと思つても、二匹の犬は頑として立去らずにゐるので、どうも怖くて拾へないで、甚だ殘念だつたが、その儘久保田君の家へ入つた。歸りに見ると、リボンは、犬が咥(くわ)へていつたらしく、到頭見當らなかつたのである。』

――このリボンは何色だったのか――僕には僕のイメージするビロードのワインレッドのリボンが、モノクロームの地面にそこだけ血の染みように彩色されて見える――

――「この頃」とは、この作品の発表された前年の夏である。即ち大正13(1924)年の夏――

――そう、この場面の映像のずっと向うに、僕は、松村みね子と芥川龍之介の二人が高原に佇む邂逅の一瞬の姿を透視するのだ

――そうしてこの可憐なリボンに出逢いながら

――そのリボンを死の神ハデスの忠犬ケルベロスに奪われる芥川龍之介

――神話とは自動的に作動してしまうシステムである。作動したら止めることはできない。そこでは主客の変換は問題ではない。いざと言うときはデウス・エクス・マキーナがある――

――従って少しだけ冥界への勾引は猶予された

――それはオルフェウス龍之介自身の自身による「越びと 旋頭歌二十五首」の竪琴の音色と共に

――それも……しかし……少しだけのこと……「輕井澤で――「追憶」の代はりに――」の最後に彼の竪琴――手風琴は裁たれる――

『さやうなら。手風琴の町、さようなら、僕の抒情詩時代。』

――僕の愛するルドンの「オルフェウスの死」に既に描かれていたあの横顔――あれは実は後の芥川龍之介だったのだと、今、僕は感じている――

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2008/04/10

寺島良安 和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類 龍

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」を始動。「龍」を公開した。

僕の憂鬱が、また一つ、完成した――

2008/04/09

おまけ

ぼーっとしている訳でもない。実は、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」を水族の部同様に少しずつ手掛けている。言わば「和漢三才圖會」中の水族部電子化プロジェクトの『おまけ』である。その冒頭を占める多くの龍の群れは空想上である点で、私の当初の予定には含まれていなかったが、考えてみれば龍は明らかに水族であるし、目録が介甲部と一緒になっている以上、どうもやっておかないと落ち着かないのである。いや、考えてみれば、今の僕のどうにも人生の如何にも退屈な『おまけ』に入っちまったような空疎感にふさわしい空想的『おまけ』だとも言えるかも知れぬ。暫く、お待ちあれ、明日には、多分、公開する……いいや、ナメるなよ! クソッタレ! 『おまけ』だって手は抜かねえよ!

2008/04/07

僕も調子に乗って いや 好き好んで目を覚ましてるわけじゃあ ない

いや あの最後の「冬眠」の詩に越したものは ありゃあ しないんだよ

   ●

「にんじん」注追加

 

「にんじん」の岸田国士氏の後書きに以下の注を附した。

   *

○「にんじん」の父親ルピック氏は、ある日、なんの前ぶれもなく、寝室に閉じこもったまま、猟銃で見事に自殺した、という記録があり、それから、母親ルピック夫人も、これはずっと後のことであるが、「にんじん」と縁故のある井戸の中に落ちて死んでいるのを、人々が発見したことが、はっきり誌されてある。:

   *

私はここにこの注を附す事を幾分かためらっていたが、それはルナールを愛する人にとって、やはり大切な事実と考え、ここに附記することとする。1999年臨川書店刊の佃裕文の「ジュール・ルナール全集16」の年譜によれば、ジュール・ルナールの父、フランソワ・ルナール(François Renard)氏は1897年6月19日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に銃を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な左心不全の心臓病等が想定される)。ジュール33歳、「にんじん」出版の二年後のことであった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の11月迄、創作活動から離れていることが年譜から窺われる。そして、ジュールの母、アンヌ=ローザ、ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は1909年8月5日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(上記年譜より引用)。ジュール45歳、これに先立つ1907年のカルマン・レヴィ社から刊行された「にんじん」はジュール自身の書簡によれば1908年7月6日現在で8万部を売っていた――ジュール・ルナールは母の亡くなった翌年、1910年5月22日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていたのであった、が、それは遂に叶わなかったのである――

   *

もう、お分かりと思うが、岸田氏は、「にんじん」に仮託して、事実を述べているのである。それは、子らが読むこの作品への、岸田氏の優しさなのだ。そうしてそれは――彼の娘さんであるあの岸田今日子や甥の岸田森の、あの得がたい役者としての限りない優しさに美事に相通ずるのだと、僕は、思うのである――

2008/04/03

4月の述懐

淋しがり屋の僕は――また、あの、誰も居なくなった街角から、この半ばは腥い内臓をひっさげて歩き出すしかないのだ――君の居る希望に満ちた青空とあなたの優しいとびっきりの笑顔を糧にしながら――皆 卒業 おめでとう そうして 飛び立て!

僕が望んでいたことは

僕が居なくなってしかもそれに誰も気づかないこと――

そうしてしかも僕は「あの子」を覚えているということ――

2008/04/01

渡米せる教え子へ

友よ、Bostonの空は、突き抜けて、雪渓の狭間の雪のように青いか?

一片氷心在玉壺 

カブトガニ注再考中/職場パソコン奇跡の復帰

カブトガニの注が今ひとつ自分で気に入らない。嘗て読んだ1991年刊行の岩波新書、関口晃一氏の「カブトガニの不思議」を再読し、現在、注の一部を再考している。たとえば、三葉虫との関係の言い方であるとか、脱皮について頭胸部と腹部と呼称したが、カブトガニでは厳密にはそう呼ぶことは出来なかったりすること等々、襤褸が幾つもあることに気づいた。暫くのご猶予を。

今日、職場の同僚の生物教師アイバァーティ・アイバーソン(実は大分昔からの知り合いで、インドのガンジー大学を首席で卒業した天才)氏が、困った私の顔を見て、にっこり笑うと、「ヤラサセテ戴イテ良イデスカ?」と言うと、工具や古い機材を持ってきて、たった15分で、瞬く間に死んだと思っていたパソコンを直してくれた(このパソコン、されどパソコンで、僕が10年かけて構築した上はドストエフスキイ「カラマーゾフの兄弟」の原文テクストから、下はペンタゴンの極秘資料まで、37.2GBの特殊分類スペッツナズ有象無象シオンの議定書場外乱闘ヨモツヘグイ清廉潔白スカトロジイのデーターベースが入っている)。実に神の手Image002001

とは、正しくこのことを言う。僕はこの職場に、もう少し居てもいいやって気になったもんダ、ホントに(さても、今日は4月1日であるからね。どこがそれか?――ふふふ♪)。

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