「にんじん」注追加
「にんじん」の岸田国士氏の後書きに以下の注を附した。
*
○「にんじん」の父親ルピック氏は、ある日、なんの前ぶれもなく、寝室に閉じこもったまま、猟銃で見事に自殺した、という記録があり、それから、母親ルピック夫人も、これはずっと後のことであるが、「にんじん」と縁故のある井戸の中に落ちて死んでいるのを、人々が発見したことが、はっきり誌されてある。:
*
私はここにこの注を附す事を幾分かためらっていたが、それはルナールを愛する人にとって、やはり大切な事実と考え、ここに附記することとする。1999年臨川書店刊の佃裕文の「ジュール・ルナール全集16」の年譜によれば、ジュール・ルナールの父、フランソワ・ルナール(François Renard)氏は1897年6月19日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に銃を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な左心不全の心臓病等が想定される)。ジュール33歳、「にんじん」出版の二年後のことであった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の11月迄、創作活動から離れていることが年譜から窺われる。そして、ジュールの母、アンヌ=ローザ、ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は1909年8月5日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(上記年譜より引用)。ジュール45歳、これに先立つ1907年のカルマン・レヴィ社から刊行された「にんじん」はジュール自身の書簡によれば1908年7月6日現在で8万部を売っていた――ジュール・ルナールは母の亡くなった翌年、1910年5月22日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていたのであった、が、それは遂に叶わなかったのである――
*
もう、お分かりと思うが、岸田氏は、「にんじん」に仮託して、事実を述べているのである。それは、子らが読むこの作品への、岸田氏の優しさなのだ。そうしてそれは――彼の娘さんであるあの岸田今日子や甥の岸田森の、あの得がたい役者としての限りない優しさに美事に相通ずるのだと、僕は、思うのである――