寺島良安 和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類 應龍
寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」に「應龍」を追加した。
――またしても、僕は寝るとしよう――さても最善の擬似的安息、社会的な自己存在を暫し忘れた睡眠に若くはない。僕らは僕らの夢として僕らの夢を見ていないのだ。フロイドもユングも夢は現実の如何にも情けなくおぞましい短絡的な写像である等とは全く言っていないことは御存知であろう。汎性論に立ちながらフロイドでさえそれを超自我(噴飯ものの謂いだと今の僕は思うが)の夢の検閲と言っている。即ち、如何にも猥雑な検閲なるものを経ねばならない程度には(野坂昭如が糾弾した通り、猥褻と考える裁判官自身が猥褻であるということは自明の真理ではないか)、それは反社会的反文化的反近代的な、奔放にして欲望そのものであるところの、真に自由なものであるが故に、夢は夢であるのである。だから、それは取りも直さず安息に等しくはなくとも、限りなく救われてあるとのたまうところの最下劣な禁欲的宗教的安息以上に、安息に近いものであることは疑いがない。けち臭くて、饐えきって、去勢された、見るも無慙な人工の張りボテのぼろぼろの翼、爛れきった愚昧な、たかだか数百、数千年で形成されたに過ぎぬ、唾棄すべき干からびた道徳律から、からくも自由である点に於いて。それは死ほどには絶対的に自由ではないものの、確かに響きとしての安息の幻影としての、唯一の「真の誤魔化し」ではある――
ジャック・リゴーよ、僕は君を、抱きとめる、別れ難いツェランに万感の思いを込めた深いキスをしながらも、すべての安息の代わりに――