直立す猿蓑着けて後影 唯至
先日、やはり通勤の車中で井本農一の「芭蕉入門」を再読した。
俳諧七部集の第五に当たる「猿蓑」は芭蕉にとってのエポック・メーキングな連句集となった。その題名は周知の通り、芭蕉46歳、元禄2年の9月24日、伊勢から伊賀越えをした折に得た
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
を巻頭句することによる。周知の通り、名実共に蕉門の最高傑作とされる連句集である。その「晋其角序」に言う。
我翁行脚のころ、伊賀越(ごえ)しける山中にて、猿に小蓑を着せて、俳諧の神(しん)を入たまひければ、たちまち斷腸のおもひを叫びけむ、あたに懼るべき幻術なり。
まさに旧弊を打破し、真に進化した新しい芭蕉のオリジナルな「わび」「さび」を体現したそれは、『和歌伝統から抜け出た新しい俳諧を志す人々の指標になった句』(上記「芭蕉入門」より)であった。この句を安東次男氏は前のブログで述べた「芭蕉百五十句」で挙げ、「初」に動いた興が「小」を誘い出して「ひびき」「にほひ」の連句の付け合いが美事に活かされている、とし、『一行詩だけを作っていてはできない句である。蓑を着た(あるいは蓑をほしがっている)人間の目で眺めれば、この句は、猿にも小さな蓑をやれという思付の句になってしまう。そういう観察の次元からは離れて作られている』と快刀乱麻の解き明かしをし、井本氏は『久しぶりに伊賀の故郷へ帰ろうと、伊勢から山越えの道を歩いているとき、はらはらと初しぐれが降ってきた。折りしも風雅なことよと思い、時雨だからすぐ止むだろうと、木かげに雨宿りをしていると、近くの木に猿がいて時雨が降るのを見ている。人間もだが、猿も猿なりに小さな蓑を着て、このおもしろい初時雨の中を歩いてみたそうな様子であることよ』と鮮やかに釈す。僕には、井本氏の「猿がいて時雨が降るのを見ている」や「このおもしろい初時雨の中を歩いてみ」ようとする「新しい」猿が、その時、ふと見えた気がした。気がつくと、車中の扉近くに立っていた僕の前には、イヤホンをして音楽を聴きながら、丁度そぼ降る雨を、何か深く哲学するように眺めているホワイトカラーの若者が立っていた――そこで僕の戯れ句
直立す猿蓑着けて後影