私は、いわゆる死の壮麗さ、死の成果、死の誘惑、死の陶酔、死ぬことの誇り、そうした死を放棄する。 ジャック・リゴー
私は、いわゆる死の壮麗さ、死の成果、死の誘惑、死の陶酔、死ぬことの誇り、そうした死を放棄する。
(エディション・イレーヌ2007年刊亀井薫・松本完治訳 ジャック・リゴー「自殺総代理店」遺稿断片より)
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私は、いわゆる死の惨めさ、死の徒労、死の禁忌、死の生理的嫌悪、死ぬことの慙愧、そうした死を放棄する。
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私は、いわゆる死にある種の人間が認めるところの壮麗さも惨めさも、成果も徒労も、誘惑も禁忌も、同様な死への陶酔も生理的嫌悪も、そうしてまた、「死ぬこと」への誇りも慙愧も、すべての、あるゆる、そうした「死」を、放棄する。
……いや、リゴーが言いたかったのは「死」というものが絶対の現象であり、人間という生命体の生み出した「そうした」ケチ臭い「義務」でも「権利」でもないということではなかったか?