水とりや氷の僧の沓の音 芭蕉――明暗を取違えて凍てついた音ばかり聴きたがっていると解を謬る(安東次男)
昔読んだ安東次男の「芭蕉百五十句 俳言の読み方」(1989年文春文庫)を最近通勤の車中のみに限って読んでいる。この本、以前に読んだ時、安藤の如何にも千人万首に通ずる能はざる者は芭蕉を読むべからず風の博覧強記ぶりの口吻に大いに不愉快さを感じたものだが、今もって、学ばざる僕には相変わらずの煙たさ加減に変わりはない。
しかし、それでも長く一般的な解釈に安住出来ず、どこかそれらに「指の反り返った逆向けに触る」感覚を持っていた幾つかの句について、今回、目から鱗の思いも感じられるようになったことを考えると、確かに幾分かは僕も老成してきたのかも知れぬと思うのである。例えば、その一つが
水とりや氷の僧の沓の音
の句である。これは確かに古来、評者の議論の的であった。とかく、季節柄、実景の氷はないにしても、そこに氷るような冷厳な夜気や修法の厳粛さを解釈に持ち込む。果ては、蝶夢編「芭蕉翁発句集」(安永三年刊)の「水とりやこもりの僧の沓の音」の句から仮名の誤読説まで出現する(これは芭蕉真蹟本に「氷の僧」とあることから否定される)。それらを、安東は例によって人を馬鹿にした吐き捨てで切り捨てる。
『結氷にばかり気を取られて、氷は解けるものだということにどうして気づかないのだろう、とおかしくなるが、氷は結べば冬、解ければ春になるからこそ、俳諧師はこういう句を作りたくなったのではないか。お水取に参籠する十一人の練行衆は、本行の旬日前から別火坊に入って心身の用意をととのえ、常の白衣を紙衣(かみこ)に着替える。これは仙花紙をよくもみ、寒天を塗って僧たちが自分で作るが、十四日間の荒行で汚れ傷んだ法鎧(ほうがい)を脱ぎ去って、かれらが真新しい白衣の袖を通すのは二月十五日、破壇のあとである。すなわち東大寺の春だ。白がしんじつまぶしく、無垢に見えるのは一年中でこのときだけだろう。お水取は、結んで解けるのは氷ばかりでなく、紙衣も、参籠そのものも、そうだと納得のゆく行事である。句が云いたいのはまさにそのことに違いない。
氷という呼称は冬に着用する襲(かさね)の色目にもある。表布は白の瑩(みがき)(糊張にしたあと打物(うちもの)にし、蛤の殻で磨いて仕上げる)、裏地は白無文。料紙なら鳥ノ子紙のかさねを云うが、紙衣はこの氷襲を用意に連想させる。それも芭蕉はよく知っていたと思う。いずれにしろ、「氷の僧」は春(白無垢)の光を呼ぶ確かな表現である。ならば「沓の音」も春を連れてくる音で、明暗を取違えて凍てついた音ばかり聴きたがっていると解を謬る。
なお、「沓」は内陣でのみ履く木沓(差懸(さしかけ))で、第一、差懸などで閼伽井(あかい)の水は汲めない。六時行のそれぞれの初、とくに後夜(ごや)・晨朝(じんじょう)の須弥壇めぐり(散花(さんげ)行道)に、練行衆が鳴らす沓音は印象的なものだが、句はどこにも夜だとことわっているわけではない。』
そうだ、この映像は、暖かな春の日差しの中の白衣の僧の躍動感に溢れた沓の音の響きの中にこそ、あるのだ
と僕は通勤の車中にしたたかに両膝を打った(思い)であった。更に――そうした思いの中で僕はふと、その句の字面に気づいたのである。――安東氏は言う、『解ければ春』と――この句には、実に「氷」を解かすように、後に「僧」「沓」「音」と続く漢字の全てに「日」が差している。そうして、句をマクロに見れば
「水」とりや「氷」の僧の「沓」の音
水→氷→日(に解けて)水
という『結んで解ける』ところのその循環を鮮やかに示しているではないか――