芥川龍之介 或日の大石内蔵助
芥川龍之介「或日の大石内蔵助」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これは作品集「傀儡師」を底本としたテクストで、現在のネット上に同作品集を底本とした「或日の大石内蔵助」のテクストはない。
僕はこの「或日の大石内蔵助」が殊の外に好きである。何故なら、中学一年の時に、授業で「羅生門」を読んで、家にあった芥川龍之介作品集をむさぼるように読んだのだが、その時に一番、目から鱗だったのが、この作品であったからだ。大河ドラマの「赤穂浪士」や、その頃(今もだが)繰り返し年末になると放映される「忠臣蔵」の映画やドラマのステレオタイプに、僕はもううんざりしていた。そんな中で、何故か大石が撞木町で酒色にふけるところだけは、妙に僕は心惹かれたのだった。そうして、そこでいつも僕は、大石が『もう、討ち入りなんかやめちゃおうっと!』って思ったんじゃないか、僕ならゼッタイそうだ、いや、きっと大石だってそうだったに違いないと子供ながらに、ませたひねくれた子供ながらに文法で言う確述として思っていたのだった。だから、芥川のこの大石は、目から鱗、確かに「確かな僕の大石内蔵助」であったのである。そうして、その後に現れるそのような解釈の「忠臣蔵」の大石像に対しても、『なん~だ、そんな大石はとっくに芥川龍之介が書いてるよ』と更に馬鹿にするようになったのであった。まさに僕の記念すべき芥川体験の一つであったのである。