ノース2号の「あの」曲
「“Живые мощи”(Living Relic)中山省三郎訳「生神様」より
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「歌を?……おまへが?」
「ええ、歌を、古い歌を。輪踊り(ハラウオド)のや、皿占(さらうらな)ひのや十二日節のなど、何でも歌ひますの。わたし、今でもたくさん知つてゐて、忘れないんでございます。ただ普通の踊りの歌は歌ひません。今の身分では仕方がございませんから」
「一體、どんな風に歌ふの、……自分ひとりのために歌ふのか?」
「ええ、さうですの、聲を立てて。大きな聲は出ませんけれど、それでも人に分かるくらゐに。あの、さつきお話しましたでせう――娘が來るつて。あれは孤し兒で、よく分かる子でございますよ。それで、私はあの子に歌を教へましてね、もう四つほど覺えました。ひよつとしたら本當になさらないでせうね? では一寸お待ち下さいまし、直ぐにお聞かせ申しますから……」
ルケリヤは息を繼いだ……この半ば死にかかつてゐる生物(いきもの)が歌を唄はうとしてゐるのだといふ考へは、思はず私のうちに恐怖を喚び起こした。しかし、私が一言(ひとこと)もいひ出さないうちに、私の耳には、長々とのばした、殆んど聞きとれるかとれないくらゐの、しかも清く澄んだ、しつかりした聲が響いて來た……、續いて二聲、三聲と。ルケリヤは『草場のなかで』を歌つた。彼女は化石したやうな顏のけしき一つ變へずに、眼さへ一ところに据ゑたまま歌ふのであつた。とはいへ、このあはれな、力をこめた、細い煙のやうにふるへ勝ちな聲たとへやうもなく哀切なひびきをもつてゐた。彼女はその魂の全部を注ぎ出さうとしたのである……。私はもう恐怖の念は感じなかつた。いひ知れぬ憐憫の情が私の胸に惻々と迫るのであつた。
「あゝ、やつぱりいけない」と不意に言ふ、「力が続きません……、お眼にかかつた嬉しさに胸が詰まつてしまひました」
彼女は眼を瞑ぢた。
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多くを語りたくない。僕は思う。僕にとって、ノース2号の「あの」曲は、間違いなく、これであった――