「42年前彼女がそのテレビで見ていたドラマは何だったのだろう……」についての教え子の解
先日の僕のニュース引用のブログを、今、アメリカで学ぶ今年卒業した教え子に送り付けて、君の解を求めたいと言ったところ、早速に答えてくれた、その一部を(彼はこの前で見過ごされた孤独死という都市社会のジャーナリスティックなしっかりした視点でこの事件を語っているのであるが、あえて私の浪漫主義を痛く刺激した後半部分)を引用する。
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時代に置き去りにされながら、一人孤独にテレビを見つめ続けた女性。なんだか思い描くと、すごく映像的で、映画にできそうな、妙にロマンに似たようなものを感じます。
彼女の発見後、当時9歳だった隣人のJadranka Markicさんが回想するかたちで物語はスタートする。画面は生前のHedviga Golikさんとの想い出へ。静かで内にこもりがちな、でも上品な夫人。しかしある日を境に彼女はパタリと姿を見せなくなる。その後混乱に満ちたユーゴスラヴィアの歴史とともに、9歳だったMarkicさんは徐々に大人になってゆく、Golikさんのことは記憶のほんの片隅に。そして42年後の発見シーンへとつながる。
回想シーンでGolikさんの自宅を生活感たっぷりに描き、テレビをキチンと映しておくと、オープニングとラストの、時代に置き忘れられたGolikさん宅のシーンが生きる。そして、揺れ動くユーゴを動乱たっぷりに、こちらもオープニングとラストの、「静」を引き立てる。
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僕は、こんな教え子のイマジネーションに――密かに激しく――嫉妬しながら、……こうして教師をしていて、こうした教え子に逢えたということを、心底正直に、至福に思う――