ツルゲーネフ「猟人日記」より「生神様」中山省三郎訳
Иван Сергеевич Тургенев(Ivan Sergeyevich Turgenev)の“Записки охотника”(Zapiski okhotnika)
イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフの「猟人日記」の中の一篇、
“Живые мощи”(Living Relic)中山省三郎訳「生神様」
を正字・正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。
「猟人日記」は中学2年の時に全篇を読んで、痛く惹き付けられた作品である。二葉亭の「あひゞき」は大学生になってから読んだが、中山・佐々木・米川他に等の現代語訳の方が僕の意識の中では洗練されたものとして魅力的なものに映った。獨歩の「武蔵野」も蘆花の「自然と人生」も、僕の文学体験ではツルゲーネフあってのものであった。それは今もって変わらない。個人的な好みからいうと、新潮社の米川訳の印象が鮮明である(但し、米川氏のドストエフスキイ訳には時折飽きる)。教員になったその4月、僕は勤務校の学校新聞の自己紹介記事に愛読書を、ツルゲーネフ「猟人日記」、と書いた。その年の秋に一人の男子生徒が、『「猟人日記」のどこがいいんですか? 少しも面白いと思わない。』と好戦的に現在形で語りかけてきた。6つ程しか違わない彼等には、新米の僕は、滅多突きにするにた易い、格好の対等な槍玉だったのであろう。僕は『「生きたご遺体」はどうだった?』(米川訳は確かそうだったか。僕は新潮文庫のそれを、かつての恋人にあげてしまってもう手許にはない)と聞いた。『可愛そうだとは思いましたが、それだけのことでしょう。』と言い切った。僕は、彼の浅薄なロマン主義への軽蔑の語感の先に、語る本人自身のロマン主義的な孤独の相を垣間見た気がしたが、それを完膚なきまでにやり込める程には、当時は残酷ではなかった。「そうか、それは残念だ。」と言って、僕は少し淋しい顔つきをして別れた。――
僕にとって「猟人日記」の中で最も忘れがたい一篇を選べと言われれば、迷うことなく、この“Живые мощи”(Living Relic)を挙げるであろう。今日も――校正をするために僕はしばしば独りで朗読をするのだが――そのラスト・シーンで図らずも落涙してしまった。僕はこの乙女に、僕の人間として儚い(即ち宿命的な薄っぺらな)同情をしないわけでは、勿論、ない。そのくらいの愚かさは、人間に不可欠であるとさえ、僕は思っているぐらいだ。いや、だからと言って、僕は僕が「当たり前の人間であること」を暗に誇ろうとしているのでも、勿論、ない。……
――確かに言えること、それは、僕はこの乙女の自然を見るその「豊穣なる視線」に激しく嫉妬しているということであり……そうして僕はこのルケリヤに出逢った13の時からずっと、今も、確かに死にたくなる程に彼女に恋をしているという、事実である――あの生徒が今頃、ルケリヤに恋していてくれたら、僕は確かに彼を、友として抱きしめるであろうに……
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