ある生活・あれから19年 (昭和39年 朝日ニュースNo.996)
http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00e3989f61b50001.html
幼い心が捉えた原爆の傷跡。広島の歴史はいつまでも語り継がれてゆくことだろう。
あれから19年の生活は、独りの母親にとってただの蛇足に過ぎなかったと、松本さんは言う。
松本さんは今年六十一才。原爆症で夫を失い、一人っ子の璋一君は、十九年前の原爆の日に、行方を絶ってしまった。
まためぐって来た八月六日。あの鮮やかな記憶が、色あせた松本さんの生活に彩りを加える日なのだ。一年のうち、たった一日、忘れていた生活の張りが、戻ってくるのだ。
自分と同じ思いの人たちが、ここに何人かいるに違いない。
大会の雑踏の中で捧げる平和への祈り。それは松本さんにとって、今日も生きていることの証しに他ならない。
息子の璋一が生きていれば、今二十四才。
松本さんは、知らないうちに息子を探していた。
あのピカドンの中で消えてしまった子どもの行方を案ずるのは、間違ったことだろうかと、毎年同じことを松本さんは考えて来た。
ノーモア・ヒロシマから観光広島へ、街は次第に姿を変えた。
公園のベンチのあちこちには、子を失った同じ親たちの姿があった。
死んだ者――残った者――その心を映して、広島の空は赤く焼けてゆく――
夜ふけて針に糸を通す眼がかすむ――やがて松本さんの一日が終る――
広島にならどこにでもある、母親の話である――
(作品No.NAJ0996-04)
(昭和39年8月12日公開)
やぶちゃん注:以上は、フィルムを視聴しながら、そのナレーションを活字に起こしたものである(一部にリンクの公開ブログに附された当時の原稿の一部を挟んである)
一聴、このナレーションには、ある種のこなれていない文飾と通常ならば不適切と言われて仕方がない言葉遣いが認められる。冒頭の「あれから19年の生活は、独りの母親にとってただの蛇足に過ぎなかった」という謂いは、決して彼女の生の声とは思われない。自身を言うに「独りの母親にとって」という客観表現は、如何にも不自然で、飾ろうとする第三者の言換えの匂いが強いし、「あの鮮やかな記憶が、色あせた松本さんの生活に彩りを加える日なのだ。一年のうち、たった一日、忘れていた生活の張りが、戻ってくるのだ」というフレーズも、今ならデリカシーを欠くと批難されるところである。映像面でも、子供を無意識に探すというシーンの(というより、そこに強引に牽引して演出しようとしているように思われる製作者の意識にもやや不満がある。インドシナ反戦の横断幕の前を彼女は受動的に「歩かせられ」はしなかったか?)、ベンチにごろ寝する浮浪の若者の足のケロイド、その効果音等は、エイゼンシュティンの教条的モンタージュの悪しき例を見るかのように覚える部分もある。――しかし、この短い映像に幾多の違和感や不満を感じながらも、僕はこの「ナレーション」、この「作品」、その全総体に、確かに胸打たれるのだ――うまく説明出来ないのであるが、そういうものって、不思議に、確かに、あるものなのである――
*
また、あの熱い、あの日が、廻って、くる――