Pause 舞姬との出逢ひ又は獸苑の至福カピパラ
Pause 獨逸語にて一休みの謂ひなり。五月蠅き蠅共の爲に言ひ置く。昨日は滿を持して醫學部看護系進學希望者へオリジナル特殊講義をしに行きしに(こは多分、我が授業の中にありて自身の記憶に殘れる良き思ひ出の授業となれり)、今日は用もなし、正しく合法なる年次休暇取りて朝の五時自り晝には麺麭齧りつゝ日がな丸一日パソコンに向かひてやぶちやんワアルドの世界構築に漬りかりたり。
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……或る日の夕暮なりしが、余は獸苑を漫步して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に歸らんと、クロステル巷の古寺の前に來ぬ。余は彼の燈火の海を渡り來て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頰髭長き猶太(ユダヤ)敎徒の翁が戶前に佇みたる居酒屋、一つの梯(はしご)は直ちに樓(たかどの)に達し、他の梯は窖(あなぐら)住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む每に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
〔聖マリエン敎会 St.Marienkirche 〕
:左寫真に立つてをるはエリスならぬ我が妻なりき。
今この處を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、聲を吞みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾を洩れたる髮の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを寫すべくもあらず。この靑く淸らにて物問ひたげに愁を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
彼は料(はか)らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑なく、こゝに立ちて泣くにや。我が臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覺えず側に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繫累なき外人(よそひと)は、却りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大膽なるに呆れたり。
彼は驚きてわが黃なる面を打守りしが、我が眞率なる心や色に形(あら)はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又た我母の如く。」暫し涸れたる淚の泉は又溢れて愛らしき頰を流れ落つ。
「我を救ひ玉へ、君。わが耻なき人とならんを。母はわが彼の言葉に從はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らでは(かな)はぬに、家に一錢の貯だになし。」
跡は欷歔(ききよ)の聲のみ。我眼はこのうつむきたる少女の顫ふ項(うなじ)にのみ注がれたり。
「君が家に送り行かんに、先づ心を鎭め玉へ。聲をな人に聞かせ玉ひそ。こゝは往來なるに。」彼は物語するうちに、覺えず我肩に倚りしが、この時ふと頭を擡げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。……
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我彼の獸苑Zooツオオにてカピパラに逢ひたり。廣々したる庭池塘に臨みて犬程もあるカピパラの至福に遊びたりき。我腦裡に一點の彼を羨むこゝろ今日までも殘れりけり。
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