ビェージンの草原 注追加<追記有>
ツルゲーネフ「ビェージンの草原」の訳者の注に、わずか4つではあるが、僕の注を追加した。読みの流れを乱すのだが、今回の翻刻では、本文の一部に「っ」の促音表記、「ょ」等の拗音表記が見られ、更に活字の脱落もあって、僕の割注を入れざるを得なかった。また、僕が今回読んで、辞書を調べて正しい意味かどうかを確認した語が幾つかあり、まずはそれをアップした。
ただ実際には他にも、その謂い自体がやや不審な訳もある。例えば、イリューシャの噂話、卓抜なワルナヸーツィ羊怪談(これは猟犬を悉く死なせてしまう呪われた名犬番エルミールという絶妙の語りの枕、羊の顏・眼のクロースアップ、慄然と断絶する聴覚的余韻からも、怪談の絶品たる面目を美事に示している!)の副話、大旦那霊現譚の最後にフェーヂャが言う
「して見ると、餘り長生きしなかつたんだな」
という台詞は、僕には不審である。僕なりに強引に解釈するとすれば、フェーヂャはここで、
『大旦那は長生きやつたと皆(みな)言ふし、大往生やつたと皆も俺(おら)も思(も)つとつたんやが、違(ちご)うたんやな、大旦那樣はちつとも長生きした、大往生やつた、なんぞとこれつぽつちも思(も)つてながつたんやな――』
と思っての、この一言なのであろうか。にしても不自然な台詞ではあると思われる。
現在、僕が遠い昔、心許した人々に次々に贈って失ってしまったところの、本訳に後続した米川正夫訳(新潮文庫:1951年刊)や佐々木彰訳(岩波文庫:1958年刊)を古書店に注文中である。そこでの訳比較や注から、一部の不審箇所の解決は図れると思う。――もう、お分かりと思われるが、僕は先だってより、愛読書、ツルゲーネフ「獵人日記」中山省三郎譯の全翻刻プロジェクトに入った。
追記(2008年7月6日8:27):今夕、注文の本が来たのだが、手違いで米川訳の方しか手に入らなかった(一緒に梱包されていたのは佐々木氏のではなく、中山氏の昭和14年の岩波文庫版であった。……ちょっと泣……でもいいや、「猟人日記」が、いっぱいだもん!)。そこで早速、上記の箇所を確認してみた。米川氏は以下のように訳している。
「してみると、この世の暮らしが足りなかつたんだな。」
また僕なりにフェーヂャになろう。
『――大旦那樣は、この世の暮らしにちつとも滿足しなさんなかつたんやな、いんや、まるで出來んかつた程に慾深の因業親父樣だつたんや――だから、まだまだこの世に未練があつて、墓の外へ拔け出さう、拔け出さう思(おも)て、この世にまた肉ば持つた、まがまがしか姿で戻ろとなさつとるんやな――』
こんな感じ? なら、ピンと来た、ね――
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