ルーカの眺め 又は レフト・アローン <リロード>
マル・ウォルドロンのように繰り返すサビを弾けたら、僕はそれだけでもう、何も、誰も、いらない気がする――いや、それは間違っている――タモリが容易にマルを真似て弾いたのを昔聴いたが、彼は、マルを好きだけれど、如何にもな憂鬱な演奏するからもう沢山だと、不遜に、いや、本当は優しさから言ったんだ、が――あのリフレインの半音階のひねった上行と下行――ブルースは、ブルーではない、ブルースは、希望、だ――僕はマルの曲をジャズではなくブルースだと本気で思っている……海の、薄暗い夜明けの、匂いがする、二人で嗅いだ、あの2月、いや、7月の浜辺……僕は、水きり遊びの石を投げよう――あの水平線の向こうへ届く、ラルゲリウスの飛び去った、あの向こうへ……ベヨネーズ列岩を超えて、少年航空兵であった僕の父の友達が消えて行った、あの彼方へ……そのような「者」、絶対の追悼者として、僕がマル・ウォルドロンのようにサビを弾けたら……
〔僕の確信犯的な思い違いを訂正するのが面倒である。それを説明するのも、「忘れられた」マルやシェップに対してオタクである人にしか溜飲は下がるまい。そこで題名を変え、本文もいじった。今日、地獄のような雨の檜洞丸から帰って、足も擦れた股間も、激しく痛むし、瞼がほとんど閉じている……鬱々と雨中行軍をしながら考えた末にかくなる仕儀となった。悪しからず。2008年6月29日9:15追記〕
〔下肢の筋肉痛は漸層的に倍加しているが、昨夜の熟睡のお蔭で、頭は冴えた。勘違いの詳細を語る。常時鬱々としている僕はこの数ヶ月、書斎では専ら二枚のアルバムをリピートで聴き続けている。一枚は、Archie Shepp の1980年の Horace Parlan とのデュオ、Steeplechase の
“Trouble in Mind”
である。これは遠い以前にブログに書いた。なお、僕は発売当時のアナログで持っているのだが、これはシェップの伝統的なジャズへの回帰の金字塔と思っている(勿論、彼の前衛演奏も認めての話である)し、そのブルージーな演奏は逸品であると確信するが、残念ながら国産CDはない。新星堂でアメリカにCDを注文したが、1年経った現在も届いていない。さて中でも終曲の“St. James Infirmary”はグンバツのスグレモノである。パーランのダルなラインが慄っとする程、イイ(因みにこの曲の別な一枚を選ぶとすれば僕は躊躇なく南里文雄をフィーチャーした浅川マキのアルバム「裏窓」の「セント・ジェームズ病院」――マキは歌中では「病院」ではなく「医院」と歌っている。僕はいろいろな思いや語感から、この曲の和名を「聖ジェィムズ医院」としたい人間である――を推す。因みに、これにはまさに僕が始めて聴いた、まさに(!)「トラブル・イン・マインド」が入っているし、驚天動地!、筒井康隆(!)作詞の「ケンタウロス子守唄」も大好きなんだナ、これが)。
もう一枚は、「同じ」 Archie Shepp で、「Mal Waldron」とのデュオである“Left Alone” (Revisted Enja Records)
である。二人の燻し銀の晩年が超ハイブリッドで鬱った心をメッタ刺しにしてくれること請け合いだ(よろしければ僕の“Left Alone”の拙訳を)。 で、……メッタ刺しにされて、頭がショートしたんだな、これが。結果が、シェップで、パーランの、聖ジェイムズ医院の、フレーズがマルで、思い込みのブルーになりにケルカナ運河、となったという落とし話。而して場外乱闘法界坊ぼうぼう燃える葉カチカチ山で捻り出したのが、題名の捏造、マルに繋がらない「聖ジェイムズ病院」はあかんから、マルの演奏でいっとう好きやねん、アレや、アレ! 1976年の名盤“All Alone”(Globe)の“A View Of S.Luca”で誤魔化させておくんなはれ、あかん! そやったら、マルのライフ・ワーク・オード、“Left Alone” を欠かす訳には、イカン! て……てふ仕儀也……こうしてやっとひねくれた懺悔を致す気持ちになったのも、とりあえず、実は勘違いの弁解より……この二枚のアルバムを多くの方にお奨めしたい、というのが本音な訳である。2008年7月1日追記〕