フリードリヒ「朝の田園風景(孤独な木)」
フリードリヒ「朝の田園風景(孤独な木)」“Dorflandschaft bei Morgenbeleuchtung”(部分)
1822年 カンヴァス 油彩55×71㎝
これはもう明るく綺麗なネット画像を見るに如くはない(ドイツ語サイトの大画像)。ただ、実際には美術館の光量が極度に制限されており(窓にも全て黒い遮幕がなされていた)、こんなに明るい画面でみることは出来ない。例えばこちらのドイツ語版ウィキの画像は、NHKの朝のラジオ体操みたような如何にもな緑色なのであるが、こんなくっきりな色は、実物には到底見られないものなのである。これは全景で撮れる大きさではあったが、僕はどうしても、この「孤独な木」にズームしたかった。ご存知でない方のために言っておくと、フリードリヒは絵に殆んど題名を附しておらず、現在我々が呼称している題名はみな後世の研究者らが命名したものであり、実際には題名が錯誤しているものさえあることは押さえておきたい。
これはベルリン領事ヴェーゲナーのために描かれた、次回に僕が予定している「海辺の月の出」との対幅であることが分かっている。美術史家が言いそうな良き羊飼い(いや、羊飼い自体は労働であってさすればそれはアダムの原罪である)やら、アニミズム・自然・世俗という二元論的属性の一方は、確かに二つ並べた時に、語り得よう事柄であるし、そのようなものとして、生真面目なフリードリヒは描いたのであろうとも思う。しかし、この絵を前にした僕は、実はそんな解釈はどうでも良かったのだ。僕は実にこの「自然」の中に素朴に、フリードリヒの「雪の巨人塚」の枯れ果てた古木に対峙する、余りに健全な「息苦しい」「生命の木」を、確かに見た気がした。芽吹き、茂り、絡み、伸び、「花咲き、はびこる牧場のように」(アルチュール・ランボー作金子光晴訳「一番高い塔の歌」より)、むんむんと噎せるように、「鼻を撲つ」ように香ってくる「緑」の臭気の「生の暴威」を感じるのである。だから僕は、何かこの絵を前に居た堪れなくさせられるのである。そうして、何という、おぞましい感情! これが枯れることを、それに「雪降りつむ」ことを、切に、切に願うに到るのである。……枯れよ! 干乾びて、死、あれかし! と……
さて、それは何故であろう……僕が28歳の秋、とある傷心の中で――その当事者であった人物は、この謂いを聞いたら、傷心はこっちの方だと唾棄するであろうが、思いの齟齬とは、相応に両者も、そうして更には第三者をも、いや更には四人目、五人目を巻き込んで致命的に傷付けてゆくものであろう――伊良湖岬を一人旅した(僕の一人旅は都合、今までの生涯に、大学1年の折の原爆の広島及び尾崎放哉の事蹟を訪ねるための小豆島行と、この時の、たった2度きりである。僕は強烈な出不精なのである。実は僕は旅は嫌いなのだ)。……その折、「椰子の実」の歌で知られる恋路ヶ浜の上で見つけた枯れ果てた木が、上の写真である。……僕は僕の無数の拙い写真の中で、この何の変哲もない写真が、好きで好きで堪らない。……それは、その時も、そうして今も、これが、僕自身の惨めな写像であるからである……では、翻って、君は問うであろう、じゃあ、何故、よりによって息苦しくなる「朝の田園風景」の「あの木」に近づいたのか、と……ほれ、それが僕らの原罪だよ……