氷國絶佳大切 地篇 其貳 Geysir ゲイシール
アイスランド語で「噴出」。英語の間欠泉“Geyser”の語源である。但し、現在、我々が見るのは厳密な意味ではゲイシール間欠泉ではない。「ゲイシール」は1789年の地震での出現に始まり、凡そ70mの高度まで熱水を噴き上げていたが、1915年以降は力が弱まり、現在では顕著な噴水は月に一度程度という。1963年以降は同じエリア内の直ぐ近くにあるStrokkur「ストロックル」にその主役を譲ったのである(本ブログの写真も全てストロックルである)。僕らが今見るそのストロックル間欠泉(アイスランド語で「攪拌」の意)は7~8分ごとに噴出、その高さは平均30mに達する。温水が120度の地熱で高温となり、その底部(約23mの深さの裂け目の水域の底)が沸騰、
その蒸気圧が上層の水圧に打ち勝って、開口部上部の熱水が激しいスプラッシュ音と共に噴き上げる仕組みだ。――僕らの訪問に、「ストロックル」は大盤振る舞いの三連発という妙技を見せてくれたのだった――
……僕は思い出すのだ――
――やっと40年振りに逢えたね……
――大好きな小学館の学習図鑑シリーズ
――僕の科学精神の原点は常にここに戻ってゆく……
昭和33(1958)年1月刊
定価380円
――それに載っていたゲイシール間欠泉の絵……
――あの頃の図鑑はみんな懐かしい胸躍らせる画家の挿絵だったのだ……
* * *
「……僕らを夢中にさせた凄い高さに噴上げた君! ……君は……その絵の……本物なんだね……君は一杯働いた……少し、お休みよ……」
* * *
……セリャランスフォスの怒濤の飛沫(しぶ)きに始まった僕の今回のアイスランド紀行……同じ噴き出すこの水で、そろそろお開きとしよう……ゲイシールにこそ相応しい伊東静雄の、今度は詩全文を掲げて、では、随分ご機嫌よう……また、いつか、どこかで――
私は強ひられる―― 伊東靜雄
私は強ひられる この目が見る野や
雲や林間に
昔の私の戀人を歩ますることを
そして死んだ父よ 空中の何處で
噴き上げられる泉の水は
區別された一滴になるのか
私と一緒に眺めよ
孤高な思索を私に傳へた人!
草食動物がするかの樂しさうな食事を
*
――今日、奇しくも僕が、アンドレイ・タルコフスキイの父、アルセーニィ・タルコフスキイの父の詩集「雪が降るまえに」を手に入れたのも、何かの因縁のように思えてならないのだ――
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