氷國絶佳地篇 其壱 gjá ギャオ そして Althingi アルシング
父の求めに応じて、地球の割れ目、大地溝帯gjáギャオ(ギャゥとも)を紹介する。
Þingvellirシンクヴェトリル国立公園内にて。この川のある“No Man's Land” の向こうに見える岩塊がユーラシア・プレート。
Almannagjáアルマンナギャオ
この割れ目の左側が北米プレートの「端」であり、右側は“No Man's Land” である。
巨人の首のように見下ろす北米プレート東の切岸――
さてしかし、僕達はこのアースの神秘にばかり感嘆していてはいけない。西暦 930年、この無人無垢のアイスランド島を発見したヴァイキングたちは、驚くべきことに、ここでは争いをやめようと、「ここ」で(直ぐ上の一番左の写真の更に左手へと降りていった場所が下の写真。上に紹介した「巨人の首」はそこを見下ろす位置にある)世界初の民主議会Althingiアルシング(アルシンギ・オルシングとも)を開いたのだ。
彼らは、その原初的無意識の中で、「ここ」が地球を、そして人類の世界を大きく二分することになる象徴的な場所であることを直観していたとしか思えない。
「ここ」が北アメリカプレートとユーラシアプレートの狭間であることは極めて黙示的である。ここの地球の割れ目は大西洋中央海嶺の北の頂点に位置し、毎年東西に数cmずつ広がり続け、その狭間はNo Man's Landと呼ばれるのだという。
No Man's Land――これは比喩ではない。
後の北アメリカとユーラシアの米ソ両大国の如何なる陣営にも属さないこの場所は、まさしく「誰のものでもない土地」ではないか!――
脆弱な近現代の民主主義や社会主義は多くの民に貧困と不幸を齎した。1986年にレーガンとゴルバチョフがここアイスランドで形の上での冷戦を終結させた時に、この象徴的な神聖な地にあって、どれほど人類の血塗られた馬鹿げた歴史を反省し得たというのであろうか? 彼らはチンピラやくざの仲直りに等しかった――
――溢れんばかりに人口が爆発し、それぞれがそれぞれに我儘を言い合い、人々の真の和解は絶望的なまでに失われた――そのことを地球という「神」は知っている――
だからこそ、この人々の信頼の聖地ノーマンズ・ランドは今も沈下し続けるのではないか?
我々はヴァイキングの、そのアルシングの精神に立ち戻るべきだ。
アイスランドという、稀有の人類の古き民主主義の、そして小国寡民の実験場(アルミニウム精錬による環境汚染と総国民遺伝子データベース法案だけはいただけないけれど)を私たちは、覚悟して学ばねばならないのではあるまいか?
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Grjótagjáグリョゥタギャオにて――
僕はここでヴァイキングが守護神とした巨人よろしく「左足」に北アメリカを、右足にユーラシアを確信犯の不遜と共に踏んまえているのである――
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因みに、コロンブスはアメリカ大陸発見を再発見したに過ぎないという事実をご存知だろうか?(実は僕もこの旅で初めて知ったのであるが)
アイスランドのヴァイキングであったレイブル・エイリクソンLeifur Eirikssonは西暦1000年にアメリカ大陸に到達し、カナダのバッフィン島からラブラドル地方まで足を踏み入れたとされる。もっとも彼はそれを大陸ではなく島と考え、ヴィンランド――葡萄の島――と名づけてはいる(上陸点は現在の北アメリカ北東部ニューファンドランド北端辺り)。エリクソン一行は定住を試みたが、インディアンとの闘争により帰還したと言われる。さて、世界史でコロンブスのアメリカ大陸「発見」は1492年、その492年も前に、『レイブル・エイリクソンがアメリカ大陸を発見していた』のである。これはトンデモ本の引用でも何でもない。第一、『エイリクソンのアメリカ大陸発見を現在のアメリカ合衆国が認めている』のである。レイキャビクを訪れたら、きっとallgrímskirkja ハットルグリムス教会を訪れるであろう。その真ん前には、1930年アルシング発足1000年記念を祝ってアメリカ合衆国がレイブル・エイリクソンの銅像を贈ってアメリカ大陸発見の栄誉を讃えているのである。
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