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2008/08/31

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 藻(淡水産藻類)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に始動、目録及び「藻」(淡水産藻類)を翻刻し、例の通り注記した。

水族と言っておいて、海藻の類いを完全に失念していたことに気づいた。ゴールがまた遠のいたが、まだ「和漢三才図会」で楽しめるのが、正直言って、嬉しいのである。

2008/08/27

いつまでも彼女は外を眺めていた――フリードリヒ「窓辺の女性」

Woman_at_a_window僕は彼女の背後で後手の儘、床の上に落ちた麺麭屑を見つめている――

1822年 カンヴァス 油彩 44×37㎝

 

 

(本写真は僕の撮ったものではなく、ネット上の公開画像である)

2008/08/24

ツルゲーネフ「猟人日記」より中山省三郎訳「ピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフ」

Иван Сергеевич Тургенев“Петр Петрович Каратаев”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「ピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフ」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。

僕はこの一篇を読むのが好きだ。特に駆け落ちしたマトリョーナがピョートルと共に女主人の村へとこれ見よがしに雪橇するシーンが――橇はしかし、いっさんに悲劇へと滑ってゆく――僕にはここから後に短調のロシア民謡の調べが聴こえてくる――そうして、終曲のモスクワ――退廃した生活で身を持ち崩しているピョートル青年は「ハムレット」の台詞を吐く――実は哀しいマトリョーナの美しさ故ではない――僕がこの一篇に惹かれるのは――僕という存在がやっぱりラスコーリニコフ的存在ではなく――如何にも優柔不断で臆病で卑怯なハムレット的人格であることを知らされるから――である……

今回は同じ惨めなハムレットなればこそ、オリジナルの注釈にも力が入った。ご覧あれ。幾つかの留保事項もある。ロシア語に堪能な方の御教授を是非願いたい。

2008/08/22

アルバム「氷國絶佳瀧篇」

左コンテンツのマイフォトにアルバム「氷國絶佳瀧篇」を作った。但し、ここでお気に入られた瀧の写真があったらば、是非、ブログ本文の巨大画像をダウンロードしてご覧になることをお薦めする。こればっかりは迫力が全く違うこと請け合い!

ツルゲーネフ「猟人日記」より中山省三郎訳「郡の医者」

Иван Сергеевич Тургенев“Уездный лекарь”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「郡の医者」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。

2008/08/21

氷國絶佳大切 地篇 其貳 Geysir ゲイシール

Img_0653_2 Geysir ゲイシール

 

 

 

  

アイスランド語で「噴出」。英語の間欠泉“Geyser”の語源である。但し、現在、我々が見るのは厳密な意味ではゲイシール間欠泉ではない。「ゲイシール」は1789年の地震での出現に始まり、凡そ70mの高度まで熱水を噴き上げていたが、1915年以降は力が弱まり、現在では顕著な噴水は月に一度程度という。1963年以降は同じエリア内の直ぐ近くにあるStrokkur「ストロックル」にその主役を譲ったのである(本ブログの写真も全てストロックルである)。僕らが今見るそのストロックル間欠泉(アイスランド語で「攪拌」の意)は7~8分ごとに噴出、その高さは平均30mに達する。温水が120度の地熱で高温となり、その底部(約23mの深さの裂け目の水域の底)が沸騰、

Img_0657

 

 

 

その蒸気圧が上層の水圧に打ち勝って、開口部上部の熱水が激しいスプラッシュ音と共に噴き上げる仕組みだ。――僕らの訪問に、「ストロックル」は大盤振る舞いの三連発という妙技を見せてくれたのだった――

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Img_0656

 

 

 

……僕は思い出すのだ――

   ――やっと40年振りに逢えたね……

   ――大好きな小学館の学習図鑑シリーズ

   ――僕の科学精神の原点は常にここに戻ってゆく……

   ――「地球の図鑑」Zukan

昭和33(1958)年1月刊

定価380円

 

 

   ――それに載っていたゲイシール間欠泉の絵……

   ――あの頃の図鑑はみんな懐かしい胸躍らせる画家の挿絵だったのだ……

   *   *   *

「……僕らを夢中にさせた凄い高さに噴上げた君! ……君は……その絵の……本物なんだね……君は一杯働いた……少し、お休みよ……」

   *   *   *

……セリャランスフォスの怒濤の飛沫(しぶ)きに始まった僕の今回のアイスランド紀行……同じ噴き出すこの水で、そろそろお開きとしよう……ゲイシールにこそ相応しい伊東静雄の、今度は詩全文を掲げて、では、随分ご機嫌よう……また、いつか、どこかで――

  私は強ひられる――   伊東靜雄

私は強ひられる この目が見る野や

雲や林間に

昔の私の戀人を歩ますることを

そして死んだ父よ 空中の何處で

噴き上げられる泉の水は

區別された一滴になるのか

私と一緒に眺めよ

孤高な思索を私に傳へた人!

草食動物がするかの樂しさうな食事を

   *

――今日、奇しくも僕が、アンドレイ・タルコフスキイの父、アルセーニィ・タルコフスキイの父の詩集「雪が降るまえに」を手に入れたのも、何かの因縁のように思えてならないのだ――

氷國絶佳瀧篇 打止 其陸 Gullfoss グトルフォス

Img_0639_2Gullfoss グトルフォス

 

 

「黄金の滝」の意。ラングヨークトル氷河及びクヴィータ湖・クヴィータ川という豊富な水源を源ととした、幅70 m・落差32mある二段の階段状になった壮麗な滝。名前の由来は、その水煙に虹がかかった色が黄金色に見えることからという(虹にツイていた僕らもここでは残念ながら曇りで見られなかったのが少し残念)。

Img_0640_2

   

 

 

20世紀の初め、外国資本がここに水力発電所を建設しようと、滝周辺の利権取得に動いたのだが、一人の少女がもしそう決まったら私は滝に身を投げると文字通り体を張って抗議し、美事にそれを阻止した。

Img_0645_2

 

 

  

駐車場のそば、滝へと下りるルート入口の左手に、この滝を守り抜いたその女性Sigríðar Tómasdóttur シーグリーズルの、まさにグトルフォスの方を見つめる銅のポートレイト・レリーフがある。愛するグトルフォスを見つめる凛としたその眼と、きりっとした口元の厳しさが、一見、何故か 忘れられない。

Img_0647_2 Img_0648_2

 

 

 瀧を愛した少女――Img_0650_2

2008/08/20

氷國絶佳瀧篇 其伍 Goðafoss ゴーザフォス

Img_0608_2Goðafoss ゴーザフォス

 

Img_0611_2神々の滝の意。

 

  
西暦1000年、シングヴェトリルのアルシングでアイスランドがキリスト教に改宗する決議をした際、その時の判事(法律制定者)であったソウルゲイルがアルシングの後、家に帰る途中、この滝にヴァイキングの多神教の神々の偶像を投げ捨てて、自らの改宗の覚悟を示したことに由来するという。――僕はその話を聴きながら、滝壺を探って、その原初の神像を蘇らせ、崇めたい願望に無性に憑依(とりつ)かれていたことを告白する――

氷國絶佳瀧篇 其肆 Dettifoss デティフォス

Img_0527_2 Dettifoss デティフォス

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アイスランドのみならずヨーロッパ最大の瀑布。

Img_0541_2

 

 

 

最大落差44m、幅約100m、毎秒200㎥の氷河の水が文字通り怒濤となって地の底へと吸い込まれてゆく。そうして……また

Img_0538_2Img_0537_2

   虹が出た……

氷國絶佳中休暇 其壱 温泉二種 Blue Lagoon/Mývatn Nature Baths 附 秘密の暴露

Img_0693

Blue Lagoon

 

     

知る人ぞ知るレイキャビク郊外の高級感のある露天温泉。草津の千人風呂位の大きさか。右手奥の人が群れているところ以外は、かなり、ぬるい。  中央部の水深は結構深い。白濁なので底が見えず、注意しないと足を擦りむく。かなり塩分濃度が高く、髪はバリバリになるのを覚悟。岩窟状のウェット・ミストなサウナがいい。しかし、山登りと同なじで、旅の終わりに温泉は、やっぱ、「エエわ!」

Hosei Mývatn Nature Baths

 

 

ミーバトン湖の近くの露天温泉。ユーラシアのツアー予定には入っておらず、ガイドのゲルタGerðaさんが提案して、添乗員の小黒さんが希望者だけを連れて行ってくれた。僕はバスタオル一丁で銭湯気分で出かけた。アイルランド北部版ブルーラグーンで同様にぬるいのだが、夜行ったせいか、人も少なく静かで、底の足場もブルーラグーンに比すと悪くない。何より、高台にあって見下ろす景観もよい。二つを並べるたら、僕はこっちの方を、断然、お薦めする。

僕は温泉評論家か? いいや! そんな「生温い!」もんじゃあ、なかったんだ! では、ここで意を決して(?)今回の旅行の僕の最大の秘密をここに暴露しようではないか!――

――出立の前々日に職場の定期健康診断を受けて、バリウムを飲んだ。下剤をまとめて二錠飲んだものの、その後、はまっちまった仕事に没頭する余りトイレに行かなかった。みるみるバリウムがしっかり固まった。翌日とんでもなく痛いことになったのだ! 旅行中も座薬と軟膏が手放せない(笑い事ではない。アイスランドでは外国人の医療費は恐ろしく高いのだ)。如何にしてもいっかな効かぬ。これを「藁にもすがる思い」というのだが――Mývatn Nature Bathsに入った――翌朝――これが――「痛くない!」のだ!――そうしてその二日後の、Blue Lagoon!――翌日――TVの、あの効かなかった有名な座剤軟膏のCMのように――嘘のようにすっきりくっきり青空のように晴れ晴れとなって僕は恙無く帰日したのであった。今もあの頃が嘘のようなのだ……曰氷國温泉其癒痔疾神妙哉! 

氷國絶佳氷河篇 Vatnajökull ヴァトナヨークトル氷河/Jökulsárlónヨークルスアゥルロゥン氷河湖

Vatnajökullヴァトナヨークトル氷河

Img_0440Img_0443

 

 

 

アイスランド南東に位置するヨーロッパ最大の氷河で、全面積約8300平方キロメートル、国土の8%に及ぶ(日本の四国の半分程)。 これは何と欧州全土の氷河を合計した面積より広い。その下には活発な火山帯が七つも隠れており、Grímsvötnグリームスヴォトン火山は定期的に噴火を繰り返すことで有名。添乗員の小黒さんは、何とこの旅行の最大の心配は、そろそろ時期が来ているこの火山噴火の噴火だったと旅の終わりに告白、なんと、壮大な素敵な心配だろう!

噴火と言えば、このグリームスヴォトン火山の脇にあるLakiラキ火山の話は凄い。1783年にグリームスヴォトンと一緒になって噴火したが、これによってアイスランドの全人口の1/3(約12000人)が命を落とし、羊約80%、牛50%、馬50%が、放出された八百万トンのフッ素化合物によって歯のフッ素症及び骨のフッ素症によって死亡した。更に放出された一億二千万トンの二酸化硫黄は、西ヨーロッパ全域を覆い、異常気象を齎して、それは数年に及んだ。その結果生じた貧困と飢饉が1789年のフランス革命の大きな原因の一つとされる。更に、成層圏まで舞い上がったラキ山の粉塵は止めどを知らない。気づいて頂きたい。1783年は天明3年、1782年~1788年は天明2年~8年、そう、あの近世史上最悪最大の大飢饉もラキ山の影響が大きく疑われているのである。アイスランド―フランス革命―天明の大飢饉――「風が吹けば桶屋が……」どころじゃ、ない!

Jökulsárlónヨークルスアゥルロゥン氷河湖

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ヴァトナヨークトル氷河の南、Breiðamerkurjökullブレイザメルクヴァトナヨークトル氷河の先端が崩れ落ちて氷山や流氷となって浮かぶノダ。でも、理科の先生やフロイト先生が意識と無意識の比喩で言っていたように水面には1/10しか出ていないノダ。

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水陸両用車によるこのクルーズはちょっとやそっとじゃ、味わえないノダ(水陸両用車というから僕は実は旧ソ連軍の確かべジュズフォートと言ったか、ごっついSFに出てきそうな装甲車を想像していたノダが、これが漁船の下に車のタイヤがついてる如何にも素朴なものだったノダ)。

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「どですかでん」の頭師佳孝風に「やれやれ、しゃーねーな! 日本くんだりからやってきたんじゃ、よ」って感じで、アザラシ君が、最後にちょこっと頭を見せてくれたノダ(残念ながら妻のこれらのファインダーの中には入らざるなりなノダ)。

氷國絶佳地篇 其壱 gjá ギャオ そして Althingi アルシング

父の求めに応じて、地球の割れ目、大地溝帯gjáギャオ(ギャゥとも)を紹介する。Img_0344

Þingvellirシンクヴェトリル国立公園内にて。この川のある“No Man's Land” の向こうに見える岩塊がユーラシア・プレート。

Almannagjáアルマンナギャオ

この割れ目の左側が北米プレートの「端」であり、右側は“No Man's Land” である。

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Img_0359 Img_0355

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巨人の首のように見下ろす北米プレート東の切岸――

さてしかし、僕達はこのアースの神秘にばかり感嘆していてはいけない。西暦 930年、この無人無垢のアイスランド島を発見したヴァイキングたちは、驚くべきことに、ここでは争いをやめようと、「ここ」で(直ぐ上の一番左の写真の更に左手へと降りていった場所が下の写真。上に紹介した「巨人の首」はそこを見下ろす位置にある)世界初の民主議会Althingiアルシング(アルシンギ・オルシングとも)を開いたのだ。

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Img_0360_2

 

 

 

彼らは、その原初的無意識の中で、「ここ」が地球を、そして人類の世界を大きく二分することになる象徴的な場所であることを直観していたとしか思えない。

「ここ」が北アメリカプレートとユーラシアプレートの狭間であることは極めて黙示的である。ここの地球の割れ目は大西洋中央海嶺の北の頂点に位置し、毎年東西に数cmずつ広がり続け、その狭間はNo Man's Landと呼ばれるのだという。

No Man's Land――これは比喩ではない。

後の北アメリカとユーラシアの米ソ両大国の如何なる陣営にも属さないこの場所は、まさしく「誰のものでもない土地」ではないか!――

脆弱な近現代の民主主義や社会主義は多くの民に貧困と不幸を齎した。1986年にレーガンとゴルバチョフがここアイスランドで形の上での冷戦を終結させた時に、この象徴的な神聖な地にあって、どれほど人類の血塗られた馬鹿げた歴史を反省し得たというのであろうか? 彼らはチンピラやくざの仲直りに等しかった――

――溢れんばかりに人口が爆発し、それぞれがそれぞれに我儘を言い合い、人々の真の和解は絶望的なまでに失われた――そのことを地球という「神」は知っている――

だからこそ、この人々の信頼の聖地ノーマンズ・ランドは今も沈下し続けるのではないか? 

我々はヴァイキングの、そのアルシングの精神に立ち戻るべきだ。

アイスランドという、稀有の人類の古き民主主義の、そして小国寡民の実験場(アルミニウム精錬による環境汚染と総国民遺伝子データベース法案だけはいただけないけれど)を私たちは、覚悟して学ばねばならないのではあるまいか?

Grjótagjáグリョゥタギャオにて――

Img_0578

Img_0577 僕はここでヴァイキングが守護神とした巨人よろしく「左足」に北アメリカを、右足にユーラシアを確信犯の不遜と共に踏んまえているのである――

因みに、コロンブスはアメリカ大陸発見を再発見したに過ぎないという事実をご存知だろうか?(実は僕もこの旅で初めて知ったのであるが)
アイスランドのヴァイキングであったレイブル・エイリクソンLeifur Eirikssonは西暦1000年にアメリカ大陸に到達し、カナダのバッフィン島からラブラドル地方まで足を踏み入れたとされる。もっとも彼はそれを大陸ではなく島と考え、ヴィンランド――葡萄の島――と名づけてはいる(上陸点は現在の北アメリカ北東部ニューファンドランド北端辺り)。エリクソン一行は定住を試みたが、インディアンとの闘争により帰還したと言われる。さて、世界史でコロンブスのアメリカ大陸「発見」は1492年、その492年も前に、『レイブル・エイリクソンがアメリカ大陸を発見していた』のである。これはトンデモ本の引用でも何でもない。第一、『エイリクソンのアメリカ大陸発見を現在のアメリカ合衆国が認めている』のである。レイキャビクを訪れたら、きっとallgrímskirkja ハットルグリムス教会を訪れるであろう。その真ん前には、1930年アルシング発足1000年記念を祝ってアメリカ合衆国がレイブル・エイリクソンの銅像を贈ってアメリカ大陸発見の栄誉を讃えているのである。

 

2008/08/19

氷國絶佳中休暇 其零 コイン偏愛その他雑感

僕がアイスランドに降り立ってこの國を好きになったのは初日に両替をした瞬間だ――

 1アイスランドクローナ1kr

:タラ目タラ亜目タラ科 Gadidae

:マダラGadus macrocephalusかなあ?

 

100アイスランドクローナ

100kr

:カサゴ目ダンゴウオ科ランプフィッシュCyclopterus lumpus

:この魚卵を擬似キャビアに加工するのだ。

 

50アイスランドクローナ50kr

 :これが分からん。アメリカのヤフーの質問箱では“shore crab”と答えているのを見つけたが、これは一般的な英名で言うハマガニの外見じゃあない。ハマガニはそもそも南方系であろう……探求中――

10アイスランドクローナ10kr

:キュウリウオ目キュウリウオ科マロータス属カラフトシシャモMallotus villosus

:英名“Capelin”カペリン。知らない? それは困った。君の食べてるシシャモの殆んどは真正の日本固有種のシシャモ(キュウリウオ科シシャモSpinrinchus lanceolatus。こっちは漁獲量が激減して話にならんくらい高価。カペリンの方は「シシャモ」という和名を戴くが、同科ではあっても近縁種ではない)じゃあ、なくて、彼らを食べてるんだけどなぁ……。

そうして 

5アイスランドクローナは5kr

:獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ科Delphinidae

:多分、マイルカDelphinus delphis。今回のホエール・ウォッチングで逢えたよ!

……しかし、ちゃんとした免税店で、この5クローネ硬貨をブローチにしたものを法外な値段(確か1200クローナ位)で側面に小さな輪を溶接してブローチにしたものを売っていたのは、こんな加工していいの? って感じ。これはアイスランドで体験した極めて稀な、唯二つの不快な出来事の一つではあったなぁ

ちなみにもう一つの不快は、レイキャビク・グランド・ホテルのウェイターが、頼んだフルボトルのワインを開けて持って来(僕の視線の向こうで抜栓したのは確かに見た)、僕のグラスにだけついで目の前に置いたボトルが、しっかり大胆にもグラス一杯分以上が減っている事実を知ったことである。即座に妻と同席していた別のツアー女性二人がおかしいと言い出した。

補注:僕は言葉が出来ない引け目からこういう時には押しが弱くなる。

――これは自分が誤魔化した分を飲むのでは当然なく、きっと帳簿上フルボトルをグラス要求されたことにしておいて(後の交渉時の言訳にならない言訳と、仕事をしていない時はずっとパソコンの画面を見ているのでおかしなウェイターだとは初めから思った)、その差益をちょろまかそうとしたのだと思う――

さて、添乗員さんを呼んでクレームを付けて

――こんな文脈の中で人を褒めるのも何だが、今回のユーラシアの小黒君は過去の僕のツアー海外旅行中では最高の添乗員だったと言ってよい――

交渉してもらった時のウェイターの油汗で照らついた顏と、第一声の妙に落ち着いた台詞、「ノー・プロブレム」(何がじゃ!?)がその確信を高めた。

勿論、新たに目の前で開けさせたが、妻と僕の分を注がせても、残りはさっきのボトルの中身より多かった! どう好意的に想像してみてもミスの起こりようがない出来事であったし、ウェイターからは何らの謝罪もなかった(分量の減ったボトルは即座に彼が奥に持って行ってしまったのである。これを並べられたら何にも言えなくなったではあろう)。

……その数分後、外国人の別グループの若者二人が二本のボトルを持ってきてやはり彼に声を荒らげて詰め寄り(離れており会話の中身は聞えなかったけれど)、その場で新しいボトルを二本開けさせてを憤然として持ち去ったのを見れば……僕の猜疑は確実であったと言ってよい。

……レイキャビク・グランド・ホテル――いいホテルだが、ワインのフルボトルを頼む時は、ご注意を――

氷國絶佳瀧篇 其參 Svartifoss スヴァルティフォス

Skaftafellスカフタフェットル国立公園内

Img_0445

 

Svartifoss スヴァルティフォス、「黒い滝」の意。

Img_0444

 

  

 

僕はこれほど美しい柱状節理を見たことがない(さればこそ珍しくカメラを持った)。観光案内書にある『パイプオルガンのような』という如何にも陳腐な表現は避けたいのだが、いや! しかしその滝の落ち口といい、その気品と優雅さは、将にカトリック教会の「それ」である。いや! そうではない。地母神が、ちまちましたキリスト教の誕生以前に創り上げた聖なる楽器の化石である。その妙なる楽の音は、未だ石化するに至らず、液化したままに今も、その歌口から流れ落ちているのだ――

Img_0454

 

  

 

滝の中景を撮った気に入っている写真が数枚あるのだが、妻の肖像権侵害になるので涙を呑んでアップしない。代わりに、妻の撮った中景を。この散漫に勝手な人物達を見ていると、僕の好きなバルテュスBalthusの“Mountain”という作品を思い出す。

Mouintain

僕はせめて、あの絵の中の少女のように、死者の如く横たわるべきであったのだ――Img_0453

氷國絶佳瀧篇 其貳 Skógafoss スコゥガフォス

Img_0398 Skógafoss
スコゥガフォス。落差62m。

 

強烈な水量は、人を寄せ付けず、それ故にヴァイキングの秘宝が滝壺に隠されているという――Img_0402

 

 

アイスランドのこうした伝説伝承には、それを裏付ける遺跡遺物が、実は殆んどない。しかし、こうした口碑やサーガを始めとする多くの神話、今も人々の中に生きる精霊や幽霊――まさに、こうした、体制・国家・権力闘争といったものに致命的に磨耗されなかった、素朴なユング的な原初的無意識が、「新しき地」であるアイスランドという風土を、逆説的に、時空を越えて精神的に天馬空を行くが如き「ゆるぎない豊穣」へと導いている――Img_0404

氷國絶佳瀧篇 其壱 Seljalandsfoss セリャランスフォス怒濤の9連写

Img_0386_2 Seljalandsfoss セリャランスフォス 

アイスランドの美景の眼目の一つは「フォス」である。Img_0387
“foss”はアイスランド語で「滝」のこと。

 

アイスランド到着翌日の最初の、このセリャランスフォImg_0388スにノック・アウトされた。Img_0389 

裏見の滝なのである。

Img_0390

 

 

 

落差40m、一番右の写真に薄っすらとしか写っていないけれど、写真の滝右手から滝壺には、誠、美しい虹が架かって、それは如何にも摩訶不思議なる位相空間なのであった―― Img_0391

 

 

断ち切る水と音と飛散する飛沫(しぶ)き――滝を真に見ようとするものは濡れることを怖れてはならぬ、と国木田独歩の「武蔵野」の口振りにもなってこようというもの――

Img_0392 Img_0394

そうして僕は、落下し飛散し舞い上がる水滴を身に受けながら――伊東静雄の「私は強ひられる――」のあの一節を思い出しながら、ただ見上げていたのだ――

    『空中の何處で

Img_0396 噴き上げられる泉の水は

  區別された一滴になるのか』――

……さても、これらは全て妻の写したものである。僕は旅に自分のカメラを持ってゆくことをしなくなって久しい。――3年前の夏の右腕の骨折が決定的ではあった――氣が向くと、妻からカメラをひったくって撮るばかりだ。その代わり僕は、僕の個人の感懐に充分浸ることが出来、而して又、妻の撮った写真を見て、再び別な感動を味わえるのを、最近は、如何にも贅沢な楽しみとして、秘かに感じているのである……

羽化登仙

今朝、教え子が送ってくれた。

Imga0111

(2008年8月16日PM5:30横浜美術館前街路樹)

ツルゲーネフ「猟人日記」より中山省三郎訳「ホーリとカリーヌィチ」

Иван Сергеевич Тургенев“Хорь и Калиныч” ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「ホーリとカリーヌィチ」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。本テクストには、末尾に旧ロシアの度量衡等、「猟人日記」全般に及ぶ僕の注を附しておいたので、今後、他篇を読みになる時は、ここを時に参照されたい。また、既公開の「猟人日記」の「死」のテクストに幾つかの私の補注を追加した。

この「ホーリとカリーヌィチ」の二老人は、文字通りの『地の塩』である。この一篇の中では何事も起こらぬ。何事も起こらぬが、そこに確かなロシアの民とその大地が透けて見えてくるのだ――

それは読者それぞれが感じることである。ただ、不遜にもロシア語の出来ない僕が注で物言いをつけた『こうろへた』という単語がある。ロシア語に堪能な方の御確認を是非願いたい部分である。

最後に。敢て本作には「一昨日来い」みたような一言を附しておこう。

冒頭に登場する「オリョール縣」! これは即、僕の好きなチュフライ監督の「誓いの休暇」のアリョーシャの最初の台詞を思い出す――彼は前線で侵攻してくるドイツ軍戦車群団を発見して、慌てて本部へ連絡するのだが、その本隊の名称が「オリョール」!

『ここは戦場の最先端である。前哨の小さい壕のなかに兵士の制服を着た獅子鼻の若者が入っている。彼は興奮して前方を見つめている。そこからは、だんだんと大きくなるモーターの唸りが不気味に聞こえてくる。
 若者と並んで初老の兵士がいる。彼は受話器に叫んでいる。

 ――オリョール! オリョール!……オリョール! 答えてください! タンクです! ……タンクです!……
 誰も答えない。彼は受話器をゆさぶる。震える手でコードを確かめ、また荒々しく叫ぶ。
  ――オリョール! オリョール!……
 返事がない。兵士たちは互いに目を見合わせる。二人の目の中には、恐怖と、いら立ちと、〈何をなすべきか〉という無言の問い掛けが読み取れる。
 前方のモーターのうなりはますます物すごく、キャタピラがぎしぎしと軋む……。』(“БАЛЛАДА О СОЛДАТЕ”「誓いの休暇」文学シナリオ――雑誌「映画芸術」一九六〇(昭和三五)年十一月号(第八巻第十一号)[発行 共立通信社出版部]田中ひろし氏訳より引用。この文学シナリオについてもし御関心ある向きは、こちらの僕の記載をお読みあれ)

……しかしそれは糠喜びであることが分かる(そもそも何でそんなことで喜ぶのか? それこそロシア語を知らない白痴の喜びに他ならなぬ)……この「誓いの休暇」の「オリョール」は、多分、“орёл”であって、軍事通信の、ほれ、「コンバット」の「チェックメイトキング!」と同じ暗号名で、「鷲」の意味であろうから、この実際のオリョール縣“Орловской”(原文。現在はオリョール地区“Орловский”)とは無関係と考えられる(綴りも違うわい)。上記のシナリオの中、故郷サスノフカ村(「ゲオルギエフスクの」とあるので彼の故郷はアゾフ海の東側スタブロポリ地方南部と思われる)へと向かうアリョーシャが、現在のオリョール州よりもずっと西のベラルーシのボリゾフを経由する描写が出てくることからも、これはただのカタカナ表記の偶然の一致ということらしいなぁ……されど! この作品にはやっぱりこの、“орёл”「オリョール」が出てくるんだな、これが! カリーヌィチが主人公に語る農村のエピソードの中に、製紙工場の請負人が村々の襤褸切れを集める男を雇うとあるが、その渾名が――『鷲』(原文“орлами”“орел”“орла”)!

2008/08/18

「猟人日記」インデックス順変更

Иван Сергеевич Тургенев“Записки охотника”のindex配列を発表順に変更した。まだまだ先のことになるが、「猟人日記」を現在知られている決定版の順序ではなく、発表当時の雑誌の掲載順や決定版への道程を味わってみるために、中山省三郎訳を今後、この配列で並べることとする。僕は、そこにツルゲーネフの熟成されてゆく感懐が、手にとるように分かるように思われるのである。

帰還

北限の一片氷心玉壺に在るが如き地アイスランドよりべたべたと忌まわしき生ぬるき汗まみれ人まみれの日本国へ本日帰還せり――

2008/08/16

reikyabiku kara konnnitiawa

aisuland issyuu hitouhudegaki wo oete mata maimodatta hotel nite.

Koko ha syoukoku-kaminn no risouteki -syakaisyugi-kokka to iu beki sekai dearu.

Muisizen, Aiceland no eienn no utkusisa ni kann-pai!

2008/08/09

kveðja!

(アイスランド語)

「猟人日記」の初篇として評価の高い「ホーリとカリーヌィチ」を、後、数段落の残すところまでテクスト化したのだが、時間切れだ。帰国後に、公開しよう。では例の通り、随分、ごきげんよう!

無題詩 尾形亀之助

私の愛してゐる少女は
今日も一人で散歩に出かけます

彼女は賑やかな街を通りぬけて原へ出かけます
そして
彼女はきまつて短かく刈りこんだ土手の草の上に坐つて花を摘んでゐるのです

私は
彼女が土手の草の上に坐つて花を摘んでゐることを想ひます
そして
彼女が水のやうな風に吹かれて立ちあがるのを待つてゐるのです

(第一詩集「色ガラスの街」より)

2008/08/08

題のない詩 尾形亀之助

私は詩をさがしに出かける

 

乳色の大きいくぼみ

 

7― ― ―

 

暗がふくれた

 

影が少しづれて

私は立ちどまつた

(玄土第三巻第八号 大正11(1022)年8月発行)

傍点「ヽ」は下線に代えた。

ツルゲーネフ「猟人日記」より中山省三郎訳「狼(ビリューク)」

Иван Сергеевич Тургенев“Бирюк”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「狼(ビリューク)」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。

明日よりアイスランド共和国――ヴェルヌの「地底旅行」の旅に出かける、その留別に。

この作品は1977年に旧ソヴィエト、ウクライナ映画の新鋭監督ロマン・バラヤンにより映画化されている(75分。残念ながら僕は未見)。1987年の「ソビエト映画の全貌’87」(パンフレット)によれば、映画では原作にない結末が用意されている。『そんなある日、森番は猟をしていた貴族の流れ弾にあたってあえなく死んだ……。倒れた森番に貴族は目もくれなかった。』――これをご覧になったこの方のブログによると、これが公開された1981年のパンフレットでは『映画評論家の佐藤忠男氏が「権力の番犬は死ななければならない!」と喜んでい』るとある――年代を考慮しても、佐藤よ! 違うだろ!……

さてもまた、僕はこの、

“Бирюк”――“Biryk”――「ビリューク」

という語の響きが好きで好きでたまらないんだ――昨日も、早大スポーツ科学の小論文を添削しながら、消化器検査台でぐるぐる回されながら、バリウムが腹の中でこてこてに固まるのを意識しつつテクストを作りながら、夕方の電車の中で、トイレの中で、酔ってブラウザに向かいながら――「ビリューク! ビリューク! ビリューク!」と唇を尖らせて独りごちていたのだ――赤塚不二夫の霊でもついたかな?……

2008/08/07

ブログ120000アクセス記念 堀辰雄 聖家族 限定初版本バーチャル復刻版

本日の正午過ぎに『芥川龍之介 李賀』の検索フレーズでアクセスした、あなたへ。あなたが120000人目の僕へのアクセス者でした。たいした情報もなくお茶も差し上げられませんでしたが、せめて「君の瞳に乾杯!」 ――ブログ120000アクセス記念(2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来)として、江川書房昭和7(1932)年刊行の堀辰雄「聖家族」限定版の〈限定初版本バーチャル復刻版〉を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

言わずもがな、ここで死んだ九鬼は芥川龍之介、主人公河野扁理は堀辰雄自身、細木夫人は芥川の“越し人”片山廣子であり、そして、その細木の娘絹子は、恋多き宗瑛(片山總子)である。
本限定本の装丁は堀自らによるもの。誠に洒落たものである。

僕はもう老眼のためにブラウザのサイズを「大」にしているし、僕のHPの活字が大きく太字なのも、何より自分のような老眼の方を念頭に置いて作っているからで――だけど、やってみると、このページはサイズ「中」でしっくりくることが判明した(ルビ位置が美しく中央に来る)。「大」や「小」の方、お試しを(職場で、共有パソコンのブラウザのサイズが「小」にされていると、如何にもムカツく今日此頃)。

どう? しんきくさい僕のHPの中では、ちょっと、お洒落、じゃあ、ない?

又は三角形の歴史――クレオパトラ 尾形亀之助

歴史(れきし)はナイルのやうに濁(にご)つて流れる。クレオパトラの鼻(はな)がよしやもー分低くも、むろん歴史は変つてはゐない。
                         
歴史家を思案(しあん)さすほど美人(びじん)故、もろくもシイザー老は染毛(そめげ)をし、アントニウスも現(うつつ)をぬかした。

アラアの造物は尖(とが)つてピラミツドとなれば、彼女(かのじょ)の鼻もビラミツドとなり、恋(こひ)もあやしき三角(さんかく)のピラミツドとなる。

「ブルータス、汝もか!」と、五十三のシイザーは名科白(めいせりふ)をのこし、身に二十三の創(きず)をうけて死(し)んだ。アントニウスは四十三が最後。誠(まこと)、恋(こひ)に死なぬ老やはある。無情、彼女は三角形の無花果の葉より三角な毒蛇(どくじや)の頭をつまみとり、その三角形(さんかくけい)の乳房を嚙ました。

紀元前(きげんぜん)三十年。三十八の彼女の死(し)は、これらのお噺(はなし)を終りにする。

挨及の月(つき)は三角(さんかく)、そして、ナイルのデルタも三角。ビラミツドも三角であつた。歴史(れきし)、伝説(でんせつ)に「三」の字(じ)が多いとか、これも亦(また)その例にもれざることこそめでたし。

((むらさき)昭和12年12月号 昭和12(1937)年12月発行)

残り「30」、これを見たあなたが、もしかすると120000アクセス。

2008/08/06

現在119912アクセス

現在、119912アクセス、このほぼ三ヶ月で何故か日平均166アクセスで、20000アクセスと急激に伸びた。「鬼火 やぶちゃん」の検索フレーズも多いところを見ると、4月に大学に入学した昨年の教え子たちが落ち着いた時期だったからだろうか? 120000アクセスに立会いたかったが、明日は健康診断、夕刻帰る頃には恐らく達成、その方に、先に申し上げておこう――「君の瞳に乾杯!」 テクストはもう、リンクを張るだけ、既にアップしてある。さて、誰の何でしょう? では、お休み、君だけの心の夢の中へ……

蚊帳中にこほろぎの来て児のむなし 尾形亀之助

蚊帳中にこほろぎの来て児のむなし 尾形亀之助

無題 尾形亀之助

枯草は赤く枯れて

上はくろずんでゐた

 

俺は心細いさむさを感じてゐた

 

夕方は地べたが空の上へ上つてゆくのだ

 

暗くなつて燈がともれば

俺のこころにも細々した燈がともり

やみの中にめ入つてゆく

 

なまぬるい酒を口にふくんで

眼をつぶる

 

ああ

何処かしら遠いところで

俺のこころは温められてゐる

(詩集左翼戦線 大正12年版 大正13(1924)年6月発行)

先に挙げた「俺」もそうだが、この詩の載る「詩集左翼戦線」という、穏やかならざるプロ文詩集風のものは、当時の詩壇の中心集団であった『詩話会』から出版された「日本詩集」に対抗して、尾形が秋山登らと結成した新進詩人グループ集団『日本詩人協会』が刊行したアンソロジーである。尾形亀之助自身、共編者である。

秋 電燈 尾形亀之助

電燈のともされた部屋に夜が来る

部屋の中に

私の影が来てゐる

 

明るい机の上に蝦夷菊が咲いてゐる。

 

部屋の中には一枚のスクリンに映つってゐる夜である。

(北方詩人第一巻第三号 昭和2(1927)年11月発行)

梅雨の中 尾形亀之助

雨の日は早くから部屋に電燈がついて

うす暗くなつた立樹の上に白けた空が窓のやうに残つた

 

電燈を見てゐると電燈の中にも雨が降つてゐる

 

とき折り梅の実が落ちる

 

何故私はぼんやりしてゐるのか

外が暗くなりきると夜になつてしまつた

そして

一日中傘をさしてゐたやうな気もちになつてゐた

(詩神第4巻醍号 昭和3(1928)年9月発行)

終行の無限写像……恰もマグリットの絵のように……

其の夜の印象 尾形亀之助

「部屋を出て路に出た。雪が未だ降つてゐる。一時過ぎた頃だ。
寒いほら穴のような路をつれの男と歩く。
外燈の上にもポストの上にも雪がたまつてゐる穴の中を歩く熊のように。
二人の人間は化けもののようだつた。
演劇、展覧会、音楽会、詩、歌、小説、感想、同人、金、人、表紙、画などと部屋の中で話されたことが外へ出ると頭に浮んで来ない、寒いばかりだ。ほら穴のような路のごとく遠くの方に未来があるような気がする。
『玄土』――こゝで自分は育つか。『玄土』――それも育つか。
それから三年半ほど過ぎた、その間に色々なことが起つたがそんなことはかゝない方がよいと自分は思つてゐる。」

(玄土第三巻第六号 大正11(1922)年6月発行)

傍点「ヽ」を下線に代えた。前の記事をお読みになってから、お読みあれ。

尾形亀之助 相対性理論 特撮

三題話である。

今、河出書房新社2007年刊の正津勉「小説尾形亀之助 窮死詩人伝」を読んでいるのだが、昨日通勤の途次、思わず「おぉ!」と車中で、感嘆一声してしまった――それは彼の義理の叔父が岸信介であった(されば佐藤栄作も縁者)等という生臭いつまらぬことに、ではない。

尾形亀之助20歳の大正9(1920)年、彼は仙台芸術倶楽部の同人誌『玄土』(くろつち)に参加する。この雑誌は、この年8月、歌人石原純や原阿佐緒が中心となって創刊された総合文芸雑誌で、亀之助はここに短歌を発表している。

この一夜風吹きやまずさわがしく戸のゆるる音に眼さめて居たり

陽ざしよき縁のふとんに置かれたる土人形のいろはげし顔

(玄土創刊号より。思潮社版「尾形亀之助全集」による。以下、同じ)

僕には、この短歌に既に亀之助の窮死への順調な道程は始まっているように感じられる。彼の意識は彼の肉体を離れて、絶対と偽装する現実から軽々と離反してゆく。風へ。土人形へ――

反(そむ)きたる若き命のさ迷ひに十字の路を知らずまがれり

これはそれ以前19歳の折の、大正8(1919)年5月29日の詠草であるが(東北学院時代の同人『FUMIE(踏絵)』の短歌会)、まさしく「二十心已朽」の謂いではないか――世界に直線は引けない――それは「知らず」曲がっているのである――

さて、『玄土』で出逢った石原純は、実は明治44(1911)年に長岡半太郎の推薦により、30歳で創設されたばかりの東北帝国大学理科大学助教授に就任した新進気鋭の理論物理学者である。その後ヨーロッパに留学、1914年にはチューリッヒでアインシュタインに師事した。一方、彼は学生時代から短歌を好み、明治36(1903)年には伊藤左千夫主宰の『馬酔木』同人、同誌終刊後の明治41(1908)年には同じ左千夫主宰の『アララギ』の同人となって旺盛な創作力を見せていた。大正6(1917)年12月、東北帝大に戻っていた彼は、そこで原阿佐緒と出逢う。

原阿佐緒。アララギ派の閨秀歌人にして、与謝野晶子も羨む恋多き才媛。石原と出逢うまでに、既に二度結婚するも、そのたびに破れ、それぞれに長男千秋と次男保美という二人の男児を産み育てていた。

石原は既婚者であったが、のっぴきならない阿佐緒への思いを性急に迫った。亀之助がその短い交遊の中で、石原から恐らく親しく短歌や物理学の話を聴いたであろう翌年、大正10(1921)年、『大阪朝日新聞』7月27日付第二面のトップ記事は「愛と理性に悩まされた石原純博士と原阿佐緒女史 若い男女の血を湧かす」という如何にも下卑た見出しで、気鋭の科学者のスキャンダルを報じた。石原は7月23日付で東北帝大教授辞職を申し出る(以上の石原の事跡は主に1997年朝日新聞社刊の朝日選書『科学朝日』編「スキャンダルの科学史」に基づく)。その後、石原は妻を捨て千葉の保田海岸で阿佐緒と同棲生活を続けるが、8年足らずで破局した。

さて。僕は特撮オタクである。特に円谷プロの昭和43(1968)年秋に放映が開始された「怪奇大作戦」は、苦悩するウチナンチュ金城哲夫の関わった実質的な最後の作品の一つであり、僕の愛する怪優岸田森の名演技も忘れ難い名作である。さて、あのS.R.I.――科学捜査研究所Science Research Instituteの所長である的矢忠を演じた俳優を覚えておられるだろうか? いや、もっと遡れば1958~1966年のNHKの人気ドラマ「事件記者」の当たり役であった長谷部記者役と言えば、お分かり頂ける年長者の方も多いはずだ。イカすマスクに抑制の利いたダンディな台詞回しは、小学生の僕でさえ、憧れたもんだ。――彼が原保美である――この原阿佐緒の二度目の夫(画家の庄子勇)との間に出来た男児が、彼である。

石原の語る相対性理論のように現実から自律的に曲がって虚空へと去った尾形亀之助――名誉も名声もかなぐり捨てて恋路のブラック・ホールへ果敢に飛び込んだ歌人にして理論物理学者石原純――男をβ崩壊させずには措かない、しかし心優しきファム・ファータル原阿佐緒――役者という仮想の虚数世界、特撮の目くるめく世界に遊んだ原保美――

僕が、車中で「おぉ!」と叫んだのも、「僕にとっては」至極無理のないことなのである――

ちょっとお洒落なテクスト

120000アクセス記念用の、×××作「×××」の限定初版本バーチャル復刻版ページを完成した。我ながら、ちょっとお洒落なページに仕上がったんじゃないかなぁって、思う。多分、これならあの気障な作者も、文句は言わないんじゃないかなぁ……お、た、の、し、み

尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)

「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」を公開した。僕の今回の作業の中で最も恣意的な仕儀であるが、僕としてはどうしてもやっておきたい仕儀でもあったものと御理解頂きたい。新字と正字では斯くも印象が違うのかと、新鮮な驚きを一人でも、一句でも感じて頂けるならば、僕の幸いである。

――さても、放哉が小豆島に旅立ったのは大正14(1925)年8月12日のことであった。

――翌、大正15・昭和元(1926)年4月7日初更、死去。41歳であった。……僕はもう既に、10年もおめおめと彼より生き延びてしまったわけである……

これを以て、僕の尾崎放哉全句集の改造の仕儀を総て終了することとする。

お間違いあられるな、これはあくまで僕の自己拘束の仕儀であって、120000アクセス記念テクスト、ではない。只今、119678アクセス……出来れば、明日明後日で突破してくれるといいなあ、9日早朝より僕はアイスランドへ氷漬けの旅に出てしまうので……

2008/08/05

腐男子

『腐女子(ふじょし)とは、男性同士の恋愛を扱った小説や漫画を好む趣味を持った女性のこと。「婦女子」(ふじょし)をもじったネットスラングである。』というのは知っていたが、何故「腐る女子」なのか? どうも、尻の据え心地の悪いネーミングに素朴に疑問であったが、やはりウィキに書かれていた(前者の引用も同所)。『ある女性がホモセクシャルな要素を含まない作品の男性キャラクターを同性愛的視点で捉えてしまう自らの思考や発想を、自嘲的に「腐っているから」と称したことから生まれた。』………………ということは、だ、生徒もギョっとするほど声高に、「こゝろ」の先生と学生の「私」を同性愛観点で捉えない限り、この作品の核心には辿り着けぬと豪語している僕は――「腐男子」と、いうわけか……なるほど、こりゃ「普段死」だ。頓死したと思われるより、自然死であればこそ「先生」は願ったり叶ったりではあるわい――あん? 今日は、また何サボってるんだってか? 今日は山の合宿の割振で、午後休みなわけよ……小人閑居して腐男子を為す?――いやいや、あと数日でブログ120000アクセス達成となりそうであるから、その記念テクストを鋭意作成中。僕はそれ程、グウタラはしていない、よ――

2008/08/04

蚊帳の中 尾形亀之助

蚊帳のたるみを見てゐる

 

蚊帳の中では朝と夜の区別がない

蚊帳の中には何時も風がない

蚊帳は青入道に化けてゐる

(詩神第3巻第10号 昭和2(1927)年10月発行)

父の胃の中をつぶさに観察

僕が山に行く前に大立ち回りで救急車で運ばれた父が今日退院するというので、わざわざ休みをとって病院に行く。前立腺からの癌の転移を心配したが、如何にも素直な神経性胃炎ということなのでひとまずは安心ではある。それでも僕は、再度の組織検査を提案していた。「あの」僕の腕の手術に失敗し、そうして手遅れだった「あの」病院で。

主治医の許可を得て、内視鏡検査を最初から最後まで見せてもらった。機材も進歩しているが、父の言うように、実に手際のいい職人気質の医師である。初期の病変写真に較べて、500円玉を越える巨大潰瘍とその脇のやや中型のものどちらも、素人目に見ても有意に改善している(色が違うね)。十二指腸に至っては瘢痕さえも僕には綺麗に見えた。他の小さな潰瘍も修復されている。クリップ状の鋏で5~6箇所の組織片を採取、出血部に消火剤見たような白い散薬を振り掛けて終わり。それにしても、胃カメラも誠に細くなったものだ。テレビでは鼻の穴から挿入するタイプが最近知られるようになったが(今日のものは通常の口腔からの挿入タイプだが、いや細いわ)一昨年教えた僕の教え子の女性はこうした機器の開発をする医工学に進んだが、彼女の話では胃カメラはカプセル型の時代に突入するそうだ。風邪薬見たようなカプセルを飲む。中にカメラが仕込まれていて、回転しながら、消化器系を進み、翌日、排泄されたものを回収、現像するというわけだ。これは、いいね! 今すぐにでも飲んでみたい……という訳で、これだけの術式をしておいて、即退院というのはヘンだぞ……と思い始めた。案の定、検査が終わるなり、医師は、精検結果が出る今週の土曜辺りに退院でしょうという。なんだ! 退院は父の希望的誤解であったのだ。病室で待っていた母は無駄骨――しかし僕は僕なりに、そうそう体験できない内視鏡ワールドや組織採取の実際をつぶさに見れて、実は満足のご帰還であったのだ――

今朝、「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)」の整除を終えた(【同日4:25追記】更にそれに漏れた部分を補った)。後は、夢の正字体全句集だが――お楽しみは、また後で……

2008/08/03

「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)」異形句補充

「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)」に、筑摩書房版全集第一巻の記載を中心にして、異形の句を大幅に補充し、注釈を施し、「存疑の部」も最後に設けた。これで僕の「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)」の概ねの作業を、自分で納得出来る程度には終了し得た。ご覧あれ。

2008/08/02

尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)

「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版)」の再編成・改造を終了し、「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版)」と名を改めた。現在出版されている放哉の何れの句集よりも採録句数は多くなったはずである。これで少しは、放哉への御恩返しが出来たものと思っている。

2008/08/01

「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版)」改造始動

昨夜より「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版)」の真の全句集に向けて改造を始動した。とりあえず本未明、大正3(1914)年の定型時代迄の改造を終了した。

奇しくも1925年の8月1日頃、放哉は万事休すの状況の中、台湾行を決意していたのだった――

――ニグザイル……エクソダス――

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