昨日は私の勤める学校の体育祭だった。本校には「狂師像」という教員を女子生徒が仮装させ、生徒の創作したパフォーマンスを教師が一人で演じるプログラムがある。運動神経マイナス100の僕にはとっても荷が重いのだったが、断った去年に引き続いて今年も頼まれ、色の生徒の誰を「狂師像」にしたいかというアンケートまでとられた結果を持ってこられては(体育祭は4色に分かれ、それぞれ誕生月に振り分けられる。僕は仕事上、誕生月と関係なしに黄色組のトップの顧問を振り分けられていた)、断るのは男がすたるというもんだ(とっくに十分男どころか人生がすたっているのだが)。但し、「芝居はモト演劇部だからね、女装でもオカマでも何でもこなせるが、病気のデパートの僕には体を動かすパフォーマンスは出来ないよ。」という約束だったのだが……
衣装及び小道具(8個に限られる):薄いクリームの光沢地に赤の単衣(ひとえ)風に見えるような下地が肩に入った完全正統の美麗な狩衣。紫の指貫(さしぬき:袴)。黒の立烏帽子。扇子。ミニチュアの牛車(ダンボール製だが非常によく出来ている)。マイク(100均の玩具)。尻尾の付いたピンクのヘッドバンド。雪駄(これのみ自己提供品の本物)。
その実演決定稿の台本。
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時は平安時代。(光、扇を開いて舞い始める)京の都にはその美しさゆえに「光の君」と呼ばれ、人々に慕われた、ひとりの男がおりました。さて、ここ数日、光は夕顔という御方にすっかり夢中になってしまい、宮中のお勤めをさぼって、舞を舞うなどして、夕顔と遊び暮らしておりました。
ところがある夜、夕顔は、物の怪にとり殺されてしまったのです。(扇を落とす。夕顔に走り寄る風情)
やぶちゃん「……夕顔? 夕顔!? 僕を一人にしないでおくれよ!(狂気乱舞して、嘆く) どうして、どうして僕を置いていってしまったんだ!(天を仰ぐように) 僕を一人にするなんて……この光源氏を一人にするなんて!! (牛車脇に泣き崩れる。が、ふっと面を挙げて) ヒカルゲンジ!?(合点して、手を打つ)」
BG:パラダイス銀河(歌:光GENJI)
(烏帽子を脱ぎ、ヘッドバンドを付け、左手にマイクを持ち、ダンスの体勢。以下、振り付けもろもろ。)
♪ ようこそここへ 遊ぼよパラダイス 胸の林檎むいて♪
♪ 大人は見えない しゃかりきコロンブス 夢の島までは さがせない~♪
(アウトロでマイクとヘッドバンドを牛車に投げ入れ、烏帽子をかぶり直し、2回転からしゃがんでため、エンディングで腰だめに戻して、決めポーズ。そこから伸び上がって)
やぶちゃん「あ~あ、歌ったら何だか、すっきりしちゃった! あ~、かわいい子いないかなぁ……(退場方向を指して)は! ピーチ姫![やぶちゃん注:僕の直前の白組のパフォーマーは金○という男の先生のピーチ姫であった。](正面に向き直り、正位となって)それではみなさま、僕は姫の所へ参りますので、これにて失礼仕りまする~ 金ちゃあ~~~~ん!!」(走って牛車を引きながら退場、金○先生扮するピーチ姫と抱きつく[やぶちゃん注:このシーンでは金○先生が自主的に出てきてくれ、熱く抱擁した。])
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僕を知る方は、前後の部分で僕がどんなオーバーアクトを演じたかは概ね想像がつくであろう(いや、その想像より、多分、前半の発狂と後半のオチャラケ・シーンは1.5~2倍に過激にしてよい)。また、この台本はすべて生徒の創作にかかるものであるが、最初に読んだ時に、この光の「僕を一人にしないでおくれよ!」という台詞には大いに快哉を叫んだものだ。これは僕が「夕顔」の授業中に「源氏物語」=「新世紀エヴァンゲリヲン」説をぶち上げる際に必ず用いる現代語訳の光の台詞であるからだ(その点に於いてこの台本を書いた女生徒はちゃんと僕の授業を聴いていてくれたわけである)。……しかし、恐らく誰も中間部の「パラダイス銀河」は想像出来ないであろう。いや、何と言っても僕自身、それを踊っている僕自身を全く以ってイメージ出来ないのであるからして……。
しかし、踊ったのである――幼稚園や小学校低学年でお遊戯と花笠音頭位しか踊ったことのない、この僕が!!
指導してくれた二人の三年生の女子(昨年僕が古典を教えた)は、如何にも無駄のない均整のとれたスポーティな体型。難なくこなす振り付け……しかし、僕は一歩のステップ、両手の一振りからして、なかなか覚えられないのである……特訓の始まった一週間前――途方にくれた――えらいこっちゃ、正直、こりゃ出来んと心底思った……しかし、出来ないとは言えない、いや、彼女たちの鋭い目の前では言える雰囲気では、ナイ……日曜練習、朝練……体育会系の部活経験皆無の僕は、正直、51年生きてきて、こんなにしごかれたことは、ナイと断言出来る……すってんころりんは毎度のこと……
打身・擦り傷・筋肉痛(薬の能書きそのままだ)で迎えた昨日の本番の朝――ところが、ここ何年も体験したことのない、ひどくすっきりとした「あるすがすがしさ」の中で僕は目覚めたのだった(これは常套的で陳腐な表現だが、確かにそれがぴったりくるのである)。久しぶりのさわやかな朝日の中で職場に向かう間も、不思議なことに僕は今までの十数回の舞台経験でも感じたことのない程、ある「気」というか、「ドゥエンデ」(フラメンコで決して出来ないようなステップが踏めてしまうときに、霊が体に入ったと言う。その状態を言うスペイン語)というか、ともかく何かを体の中に感じていた。たかが「狂師像」? いや、僕には、ある思いの中で、されど「狂師像」であった――
始める前に生徒たちの「やぶちゃん!」コール。僕は答えた――「俺の最後の芝居だ!」
優雅に舞うこと、十二分に狂気すること、ぼろぼろのステップとリズムであっても伸びやかに笑顔で踊ること、あきれるほどにオチャラケること……勿論、「パラダイス銀河」の振り付けは最後まで見られたもんじゃあ、なかったけれど、最後は、手筈通りくるくる回転して、校長の前でしっかりポイントの決め手を指さして、ニヤリと笑った――
ちなみに終わった後に、やはり生徒の発案による新企画「四色合同パフォーマンス」(光源氏・ピーチ姫・浦島太郎・ペリー)の四人が絡むコントもやった。いい企画だ。これからも続けてもらいたいと思う。この学校の体育祭がいつまでも活気のあるものでありますように!
……すべてが終わった後に、特訓してくれた二人の女生徒が、「よかったよ! せんせい!」と泣きながら喜んでくれたのには、久しぶりに51のおじさんも貰い泣きした……この二人が、この僕の退屈な人生にはあり得なかったであろう、この鮮やかな快い体験をさせてくれたこと、心から、感謝している。ありがとう!!
「狂師像」の採点は、体育祭の最後にある。黄組が「一位」をコールされた時、僕は生まれて初めて心から「ヨッシャ!」と叫んだ。なるほど、これが勝利の快感というものか……
しかし、演技が全て終わった直後から肉体のβ崩壊が始まっていた。午後、足の全筋肉と関節がカチカチとなり、慣れない回転に捻った左の腰痛が激しくなり、立っても歩いても坐っても、痛~い。山行でもこんな経験をしたことがない。幸いにして得点掲示係で、ほとんど動く必要もなく、やることは山岳部の生徒がみんなやってくれたので救われた(これも感謝!)。
――夜、ボロ布みたいによれよれで家に帰った。愛犬のアリスを抱き上げ(アリスの体重が太腿の筋肉に突き刺さるう!)、焼酎「魔王」の最後の一杯の祝杯を飲み乾しながら、アリスに勝利の独り言を語りかけた「アリスぅ、お兄ちゃんは、勝ったんだょ!」……その時、ふと気がついたのだ……何のことはない、僕のこの今の快感と充実感は、生まれてこの方、運動会や体育祭で、ビリかビリから二番目しかとったことのない僕にとっての、人生で最初と最後の一番だったのだなぁ……無意識の内に「パラダイス銀河」の何度も間違えた右腕の振りを虚空に描きながら、僕はそのまま、中有の闇へと沈んでしまった……