塒もなく イワン・ツルゲーネフ
塒もなく
いづこにこの身をかくすべきか? 何を私は目論むべきか? 私ははぐれた鳥のやうによるべない身である。ふふ毛を逆立てながら小鳥は花も葉もない枯木の枝にとまつてゐる。いつまでとまつてゐるのも堪へ難い、……けれど、どこへ飛んで行つたらよいのか?
やがて小鳥は翼をひろげる――おそろしい大鷹に逐ひ立てられた鳩のやうにまつしぐらに、はるか遠くつき進んでゆく。どこかの緑のかくれがに身をかくすことはできないものか? どこかに、たとひ暫くなりと、小さな塒を營むことはできないものであらうか?
小鳥は飛ぶ、飛ぶ、心をくばりながら下を瞰おろす。
下には黄色い荒野がある、こゑもなく靜まりかへつて死んだやうな……
小鳥はいそぐ、荒野をわたる、たえず瞰おろす、心して、ものかなしげに。
下には海が、黄いろな、荒野のやうに死にはてた海が、……海はざわめき動いてはゐるが、はてしない海鳴りに、波の單調なうねりにまた生氣なく、どことして身をかくすやうなところもない。
あはれな小鳥は疲れはてた、……翼をあげる力も弱る。すばやく飛ぶこともできなくなる。空高く舞ひのぼることができたなら、……しかもこの底ひも知れぬ虚空(そら)にはまた巣を營み得ないのではないか?
小鳥はつひに翼をたたむ、……呻きの聲もいよいよ低く、小鳥はつひに海にと墜ちる。
波が小鳥を呑んでしまふ、……相も變らず波は心なげにざわめきながら押してゆくばかりである。
さて私はどこへ身を寄せたらよいのか? もうこの私も海に墜ちるべき時ではないのかな?
一八七八年一月
[やぶちゃん注:本詩については、1958年岩波文庫版の神西清・池田健太郎訳「新散文詩」(但し、実は高校生向けに一部表現を恣意的に改竄しているので注意されたい)による訳を私の「アンソロジーの誘惑/奇形学の紋章」に引用しているので、比較されたい。]
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