杯 イワン・ツルゲーネフ
杯
私はをかしい……わたしは自分自身に驚く。
私の苦惱は空(そら)ごとではなかつた、私には生きることがまことに苦しく、私の感情は苦しみに滿ち、ただ侘しい。それにも拘らず、私は、感情(こころ)に光彩(ひかり)を與へようと努めているのだ。私は形象を、また對照を求める、私は辭句を整へる、言葉の余韻や諧調をたのしむ。私は彫物師のやうに、貴金屬師のやうに、自身の仰ぐべき毒を盛る杯を熱心に、型どり、刻み、樣々な装飾を施す。
[やぶちゃん注:本詩には末尾の年月のクレジットがない。次の次の「処生訓」と同時に書かれた(とすれば1978年4月)可能性があるが、そのような場合でもほかでは同じクレジットを附しているので不審。本詩については、1958年岩波文庫版の神西清・池田健太郎訳「新散文詩」(但し、実は高校生向けに一部表現を恣意的に改竄しているので注意されたい)による訳を私の「アンソロジーの誘惑/奇形学の紋章」に引用しているので、比較されたい。]